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コラム:メタバースの違和感

個人的にVRやメタバースは好きだが、前から持っている違和感がある。
思っていることを認識するためにこれから書き出してみる。
まずメタバースには色んな形があるが、現在の主流は現実の物理法則に則った世界を構築しようとしていることである。
端的に言うと、人間や生物の形態を持って、重力があり下に地面がある世界だ。
そして地面を含め衝突判定を持っていることだ。
メタバースは下半身のトラッキングがない場合に不気味さの問題を抱えている。
上半身のみのトラッキングだと、移動時に足に自動のアニメーションが付き不気味な動きになってしまう。
NeosVRやResoniteだと飛行モード、ノークリップモードがある。
飛行モードが重力の影響がなく、ノークリップはそれに加え物体をすり抜ける。
これらは自分が幽霊になったようで、歩行モードより圧倒的に自然だ。
Horizon Worldsの上半身しかないアバターは、下半身の不自然から解放されるためだったのか逆に不気味に見える。慣れの問題かもしれないが。

メタバース空間上の物理法則は現実のシミュレーションとして無理やり後付けしているものである。
何が言いたいかと言うとメタバースに現実の物理法則を適用したり現実に近づける必要があるのかという事である。

ゲームなどを見れば分かるように、欧米は現実をシミュレーションすることをずっと昔からやっている。Metaなどが目指しているのも、現実世界が有限であるため仮想空間上に無数の現実と同等の空間を配置することだ。
一方、日本のゲームやメタバースはアニメ風のものが多いが、あれはアニメや漫画風の世界に入りたいのであって、けっして現実のシミュレーションではないが、それでもあくまで「記号的に置き換えられた現実」だ。
(日本のアニメや漫画は物理法則を無視した抽象的な表現をすることもたくさんある。しかし3Dが登場して以降、物理空間における連続性を無視した表現は難しくなった。要は、孫悟空の髪型は3D化する時に整合性をとるのが難しいという話。)

人間の文明の中でずっと行われていた事の本質は「抽象化」だ。
人間は、文字を手に入れ、計算して、小説を書き、音楽を奏でることで、抽象的な情報空間を作り出す事をしてきた。
抽象化された情報を扱う事によって、物理法則に縛られた肉体から解放される事になる。
抽象空間に没頭することで体を忘れる感覚を感じてきた。
現在のWeb2の世界を見ても分かるように、SNSや動画サイト、Webページなどこれは抽象的な情報空間だ。
Web3の世界はブロックチェーンやスマートコントラクト、暗号通貨、DAOなど、さらに抽象的な情報空間になるはずだ。
物理的制約は逃れられないが、その形状や形態は変化してきた。
PCを使うために何らかのコントローラーを操作する。
情報空間を動かすために、電気を使ってサーバーを動かす。
これは今より前の文明では行わない事だし、知的生命体以外はこんな行為はしない。
動物からすると、スマホを手に取って歓喜する人間と石板を手に取って歓喜する人間の違いは分からないが、現代に生きる人間からするとそれは同じではない。


だがメタバース(特に欧米)の進んでいる方向は「具象化」に見えてしまう。
新しい世界を用意し、重さを与え、衝突判定を与え、肉体に魂を閉じ込める。(そのうち痛みすら持つようになるかもしれない。)
小説でも漫画でも映画でもそれはあくまで自分から対象化された客観的な経験であるがVRのシミュレーションは主観的な経験になってしまう。
VRというコンテンツ自体が「五感を扱うコンテンツ」である以上、物理空間に縛られているのは仕方がない。
しかし、「現実世界のシミュレーション」は人間の文明の進む道を逆走しているように思える。
逆にドラゴンボールのスカウターやSAOのステータスウインドウなどAR(拡張現実)的なものは抽象的だと言えるし、おかしさは感じない。

個人的に思うのはメタバースというものが向かう方向は、物理法則や現実の
形状からもっと縛られない方向にあるのじゃないかと思う。
Horizon Worldsの上半身だけのアバターは半身の人間を表現するから不気味なのであって、例えばアバターを「人型」以外の何らかのものに変えてしまえば不気味さがなくなる。
今の延長線上でいくら高画質でアバターになっても、スティックを倒して前に進んでいるなら違和感ばかりになる。高画質になればなるほど、人間は現実と間違うような感覚を覚え臨場感は増していくだろうが、オブジェクトを突き抜けた時点で臨場感も没入感もさがる。
日本のアニメっぽいメタバースは、キャラがアニメである以上はある程度おかしくても許容できると思うがそれでも今のままだと違和感がある。


今のメタバースの在り方は、HMDとコントローラーでの操作で表現できる形状にヒントがあるような気がする。
HMDは「頭」で、コントローラーが「手」の記号表現になっているがこれが常識になっているように思える。
Resoniteでは初期アバターが、頭と手が二本宙に浮いている状態になっているがここにはハッキリとその兆候が見られていると思う。
なんとか自分とアバターを物理的に同一化させようと試みているように思える。

入力コントローラーの形状はそのコンテンツを強く束縛する力がある。
ビデオゲームの歴史から分かることは、最初に受け入れられた機種のコントローラーの形状に縛られる。
十字キーや3Dスティックはコンソールゲーム機の呪いのようなものだ。
PCゲームもずっとキーボードとマウスだ。
逆にスマホが登場した時、スマホゲームはそのタッチパネルを生かした形になった。スマホに搭載するコントローラーもあるがそれは主流にはならない。
今のコントローラー形状で、いくらハードウェアトラッカーをつけても現実世界と同じようにするには無理がある。(ハードウェアトラッカーは、モーションキャプチャーにこそ生きている気がする。)
入力コントローラーは後から別売りのものを販売してもまともに主流になったことはないはず。
だから今のメタバースの世界線は、今のコントローラーの形状に呪われ続ける事になる。呪いから脱却するには単に新しい形状のコントローラーが必要になる。

SAOのナーヴギアなどのフルダイブVRは、現在のメタバースの延長線上にあるものではない。
ナーヴギアは、脳に直接電気信号を送りこんでいるのでそもそも仕組みが違う。
この先Metaがやってるようにカメラなどを使った全身トラッキング技術がより研究されると思うが、それがどんなに凄くなってもやはりナーヴギアとは違う世界線のものになる。
ナーヴギアが究極のメタバースの形態とするならそれ以前に登場するメタバースは、全て現実を代替しきれないものとなる。
だから、今の「ゲーム機に毛の生えたコントローラー」にふさわしい形のメタバースを形成しないと没入感の低い虚構で終わってしまう。
HMDはOculus Questのビートセーバーが大ヒットしたが、それはゲーム機としての側面だ。(ビートセーバー自体はシンプルで抽象化されていて、Questの性能の範囲でうまく表現されている。)
それでも現状は、SwitchやPS5やXboxが売れているように2Dゲーム機の世界の没入感のほうがVRやVRのメタバースより圧倒的に高いと言える。
これはさっきも述べた通り、コントローラーをアップデートしたり改変しても解決しない
おそらく、Metaがカメラによる全身トラッキングを研究しているのは、コントローラーからの脱却ともっと自然により人間ぽく振舞える事を目指しているのだと思われる。
その点、HMDを全くリリースしなかったAppleはその不気味さに気づいているように見える。
(Appleはあくまで空間コンピューティングと言っている。)

まとめると現状のメタバースのVR技術では現実を模倣しきれない違和感がありる。模倣することにこだわらず、今のコントローラーの形状を考え最も臨場感のある抽象的な形に落とし込める何かがないか?という事が僕の考えている事だ。
自分の身体を映したメタバースが主流になるのはまだ当分かかると思う。
そしてSAOのメタバースが究極と言ったが、それが「現実シミュレーション」ならそれは単に具象化された存在に過ぎない。
現実シミュレーションは「現実」を生み出すだけで、人間が向かう方向はあくまで抽象化された「超現実」だ。
究極の抽象化とは、アニメや漫画のような肉体を手に入れる事かもしれない。
もしくは「人類補完計画」かもしれない。


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