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仕事や勉強は実は面白い説
仕事も勉強もつまらないし、意味わかんねーし、苦痛でしかない。
と思ってた。
本当にそうなのか?本当は楽しいんじゃないか?つまらないと思い込まされているんじゃないか?と薄々感じている。
そんなアンテナが立っている状態で、ディズニープラスで配信されているスペースX潜入ドキュメンタリーを観た。
番組終盤で、イーロンマスクがこんなことを言う。
大事なのは生きる理由だ
人生を雑事で埋め尽くしたくない
何か目的が欲しい
毎朝、目覚めるたびに前向きなれる何かが欲しい
私にとってそれは、火星と宇宙への探究なんだ
また、全ては読めていないが、こんな記事もあった。
イーロンマスクの本を読むと、激しい性格で、ずっと働いているし、それを強要するのだと言う。しかし働いた人たちは、可能性を疑わずに120%成果を出し、中にはキズつけられたのにまたイーロンと働きたいという人もいるのだとか。
そこまでするエネルギーは、楽しさではないだろうか。
僕は子供の頃、どうしても欲しいおもちゃがあって、かなり真剣に親と交渉し、駄々をこね、執着したことがある。というか、誰にでもあるはず。
このエネルギーとイーロンマスクがロケット飛ばすのとでは、同じエネルギーなのではないだろうか。
いつしか僕らは人目を気にして、そのエネルギーを殺してしまったのではないだろうか。
藤井聡太は、仕事で将棋をやっているとは思えない。ひたすら強い棋士と戦いたいだけのような気がする。
大谷翔平も、仕事で野球をやっているとは思えない。イチローはプロ引退後も学生に野球を教えて回っている。
僕が大学で出会う、研究好きの先生は嬉々としてその内容を話してくれる。彼らが仕事でそうしているとは思えない。
仕事って本当につまらないのだろうか。
勉強って本当につまらないのだろうか。
人目を気にするというところが、つまらなくしていると思う。
みんなこうしているのだから、こうしないといけない。大人はこの道を歩いて来たのだから、子供も同じ道を行かねばならない。
小学校のときに、楽しそうに授業する先生がいたが、いやそうじゃなかった。残念ながらその先生は塾の先生だったけど。
仕事やプライベート、勉強や遊びを区別してしまわなくて良かったのでは。言葉によって世界は分けられてしまって、間にある間隔とか混ざり合った感覚を失ってしまったのが悲しい。
ミハイ・チクセントミハイという粋な名前の心理学者は、夢中(フロー状態)になる条件を挙げている。
目標の明確さ(何をすべきか、どうやってすべきか理解している)
どれくらいうまくいっているかを知ること(ただちにフィードバックが得られる)
挑戦と能力の釣り合いを保つこと(活動が易しすぎず、難しすぎない)
行為と意識の融合(自分はもっと大きな何かの一部であると感じる)
注意の散漫を避ける(活動に深く集中し探求する機会を持つ)
自己、時間、周囲の状況を忘れること(日頃の現実から離れたような、忘我を感じている)
自己目的的な経験としての創造性(活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない)
こりゃ、難しい😓
もっと単純なやり方として、タモリがこんなことを言ったらしい。
真剣にやれよ!
仕事じゃねぇんだぞ!
これはいい。
僕の解釈は、遊びを真剣にやってたら、仕事とか遊びとかの区別なくなると言うことではないか。
興味のあることを一所懸命にやる。
無我夢中でやる。
この時間はこれ、この時間はこれ、みたいな感じで全部欲張りに死ぬまでそうする。
僕の理想は、仕事や勉強を覚醒させること。そこに夢中になるぜ!