適応障害になって仕事を辞めた話④退職という選択の正しさ
これまでも書いてきたとおり、私は8月に適応障害の診断を受けて、それまで数年続けていたパートの仕事を休職し、診断書の休職期間が終了すると同時に退職をした。(これまでの話は無料マガジンにまとめてあります)
退職理由も以前の記事で少し触れたように、私の適応障害発病の主原因となった上司のことで、該当上司については仕事の伝達漏れや確認不足が多く、私以外の職場仲間も多かれ少なかれ一緒に働きにくいと感じている人であったが、いちパートの私が本部に現状を訴えてみるなど動いてみたところで上司の態度に変化はなく、また本部も我々にとってより働きやすい環境に調整してくれる気も無さそうで、「あ、これは駄目だ。この会社にとって非正規なんてどうでもいいんだ。環境最悪だ。私が去るしかないんだな。」と思ったからである。
こうして主治医の診断+職場環境の改善が見込めないことから、ストレス源を断つには退職しかない。と思い私は退職をした。この選択は正しかったと思う。だって、文字通り「環境の改善が見込めない」のだ。いくら私がパートだからといって、小売業なんてほぼほぼパートやバイトといった非正規の労働者がメインで現場を回しているようなもので、もちろんその一方で当然正社員には正社員だけの苦労があるだろうが、それと職場環境を改善する努力すらしないというのは話が違う。その環境のせいで私が退職する以前にも何人も次々と退職者が出た時期があってもなお、上司は職場環境を見直そうとはしなかった。そんなところにこれ以上身を置いてはおけない。だから退職し、休養・療養に専念している今の私の選択は「前向き」な選択であり「正しい」はずだ。
なのに時々、弱気になる私が、「今でも続けていられれば良かったのに…」と考えてしまう時がある。
それはきっと、該当上司以外の仲間とは仲良くできていたからもう少しみんなで楽しく仕事を続けたかった、という未練や、あるいは、私が社会復帰できるようになった時に前職のような福利厚生と時給で雇ってくれる場所が見つかるだろうか、という不安から「逃げ」の思考に入ってしまっているからだと思う。前の職場なら業務内容も慣れていたし、パートとしての福利厚生も整っていたし…と、ついつい「なぜ自分が辞めたのか」という辛い現実から逃避して都合のいい面ばかりを見るように考えてしまうのだ。
社会復帰云々を考える前に、まずこういった「逃げ」の思考でまた「最悪の環境」に戻ろうとしてしまう自分を変えたい。前の職場を「最悪の環境」と定義してしまうのは、今でもそこで頑張っている仲間達に対して失礼ではあるが、その仲間たちにとって、という意味ではなく私にとっては最悪な環境であったことに違いはない。(そうじゃなかったら適応障害にまでなってないよ)
まず、今から社会復帰を焦らなくても良いし、社会復帰を考えるにしても、前職よりも良い環境の場所はきっと見つかるよ、と信じるしかない。逆に言えばどんな仕事だって辛い部分は多かれ少なかれあるものだし、前職はあまりにもそれの度が過ぎていたから辞めたというだけの話。大丈夫。時間はまだたくさんある。むしろ前職で散々な目にあったことで、次の職を探す時に「これはOK」「これはNG」と自分で条件を提示できる。
こうしてここに書いておくことで、自分の前職での今までの頑張りを労い甘やかしてあげながらも、都合の良い部分ばかり見ていては社会の中で自立できないよ、と戒めておきたい。それは別に今の自分を責める意図はなく、ただ、未来の就職先で辛いことがあったとしても自分の中で最大限適切に対処ができるように…今回のように次を決める前から辞めざるを得ない状況に陥る前になんとかできるようにしたい。
そのために今は通院とカウンセリングを続けながらストレス耐性をつけていき、焦らず少しずつゆっくりと、前を向けるようにしていきたい。