ウェイクフィールド『植民方法に関する一見解』

の翻訳をしたくて一時期ちまちま進めてたやつです。最後に手をつけてから、もう半年程経っています。続けるかはかなり謎ですし、300pあるような本で結構長いので、私の今の技量だと完全にお手上げなため、訳しきるとしても、当分先のことだと思います。
本当に最初のさわりの部分だけです。全く本題に入らないのですが、備忘録の意味も込めて公開します。

※注意
素人がDeepLと二人三脚でやったものです。間違いだらけだと思ってください。括弧()で括ってある場所は、私が自分の分かりやすさのために勝手に付け加えた場所か、訳し方の候補が絞れなかったため、複数の訳を書いた場所です。変だと思ったら、逐一確認しながら読んでください。
全文は、https://historyofeconomicthought.mcmaster.ca/wakefield/colonize.pdf 
で読めます。この翻訳は、これを底本としていますが、時々1849年の原著も確認しています。



A View of the Art of Colonization: 『植民方法に関する一見解』

エドワード・ギボン・ウェイクフィールド著 1849年

“There need be no hesitation in affirming, that Colonization, in the present state of the world, is the very best affair of business, in which the capital of an old and wealthy country can possibly engage.”

— John Stuart Mill.

目次
(省略)

序文

少し前のことだが、わが国の著名な政治家の一人に、植民地に関するある質問について手紙を書くよう頼まれたことがある。その質問は、植民と植民地政府のあらゆる側面に関わるものであり、手紙の中のやり取りは、出版を意図したものでも、出版に適したものでもなかったが、個人的に様々な人に見せることになった。植民地問題に関して非常に優れた判断力を持っている何人かは、私にこの書簡を出版することを繰り返し提案した。もちろん、人目に触れても差し支えないように改変を加えた上でのことである。私は今ここにその提案を実現しようと思う。
実際の書簡からは、省略、修正、大幅な追加がなされており、以下の書簡は実際に郵便局を通過したものとは大きく異なっている。しかし、その違いは主に出来栄えと形式からなるものであり、素材や内容からなるものではない。目的、範囲、趣向、つまり検討した主題や提唱した思想に関しては、二組の書簡はほぼ同じである。私は、この架空の書簡が、実際の書簡が少数の人々に残したのと同じような印象を、多くの人々に与え、現在はまだ一部の聡明な人々の漠然とした願望にすぎない組織的な植民が、やがて実り豊かな現実のものとなる事を期待している。
実際の書簡の当事者であった政治家の名前は、少なくとも本書で紹介するのは無益な事であろうから、日付や住所、実際の書簡が通常冒頭と末尾に用いる形式的な表現は省略し、分からないようにしてある。その政治家からの書簡は、単に「ある政治家からの手紙」と記し、私のものについては「ある植民者からの手紙」と記すことにした。
私にとってこの肩書は、植民地問題に長らく関わりをもち、精通している人として適切なものであると感じている。というのも、私はカナダで、チャールズ・バゴット卿とメトカーフ卿という二人の総督-どちらもその任期において初めて公式に責任政府に関する問題を取り上げたダラム卿と比べ、一層その問題に実際に関心を払っており、私はその時、シデナム卿の下で彼らの熱心な観察者として植民地の政治に多く携わることになった―の下で下院議員を務め、事実植民者であったことがあるのだ。
しかし、これらが植民者を名乗るのに十分な根拠とならないのであれば、私は、不幸にも植民者ということ以外では何者でもない同胞への共感という理由から、そう名乗ることを主張したい。この共感は、英領北アメリカや、ある意味では依然としてイギリスの植民地であると言えるアメリカ合衆国のいくつかの州に滞在し、頻繁に訪れたたことによって獲得したものであることを付け加えれば、その由来が理解されよう。 さらに、イギリスの植民地の中では最も若い2つの植民地、南オーストラリアとニュージーランドの設立のための仕事に20年近く熱心に参加し、イギリス(帝国)政府の植民省からの手ごわい反対にもかかわらず、その二つの植民地の設立が実現したことからも理解されうるだろう。

1849年1月30日
ライゲットにて

書簡1 ある政治家より
政治家は植民者にある議題について議論することを提案する

貴方は、私がこの町に来た時に私の友人の何人かが、植民に関する問題を次の会期中に庶民院に提出することを決意していることを知ったということを聞いて、嬉しく思うでしょう。そのうちの2人は、おそらく積極的に議論に参加するでしょうし、彼らは皆、私も彼らと協力することを望んでいると思います。この、私が参加することになった論題は、いつも私に〈植民に関する〉必要不可欠な知識を得るための時間が必要であることを思い知らしめ、私は何はともあれこの論題について学ぶことを決意しました。そして、少なくともこの問題に関する貴方の主張は理解できるようになりたいと私は思うのです。
 
したがって、私は今、できる限りの貴方の援助を必要としています。一言で言うならば、私は知識を詰め込まれたいのです。あなたの思うままに私に植民について説教したり教えたりしてください。いずれにせよ、私は熱心な生徒として取り組むでしょう。私は、あなたが役に立つと思われるものは何でも読むよう努力しますし、必要であれば時間が許す限り、対面での討論にも時間を割きます。特に後者の方法は、植民に関する完全な論説のようなものは存在せず、さまざまな書物や議会文書などから少しずつ情報を拾い集めるのにかかる時間や手間を省くことができるという点から私にとってもっとも効果的であると思っております。
 
つきましては、次回にロンドンに訪問する際には、1日か2日前にご連絡の上、こちらにお立ち寄りくださいますようお願いできないでしょうか。そうすれば、休会期間中はロンドン近郊に滞在するつもりですので、頻繁にお会いできるように手配できると思います。
 
私の知らせと、あなたにこのような面倒をかけるという私の提案に、あなたが同じように喜んでくれることを信じ、あなたの健康が回復していることを心より願っております。

書簡2 植民者より
植民者は代替案として、手紙でのやりとりを提案する

あなたからの手紙は大変嬉しいものであると同時に、私にとってかなり腹立たしいものでもあります。ご友人のご決断は、私にとって最も喜ばしいことであり、また、あなた方が私がなによりも関心を抱いている論題について、今後も調査を続けるご意向であることをお聞きして、嬉しく思います。しかし、これらの点に関する私の喜びが大きなものであることによってもまた、私との対面での討論を望むあなたの希望に応えられないことをお伝えしなければならないことに、私は一層心をお痛めるのです。最近私の健康状態は改善するどころか、悪化しており、おそらく一生回復することはないだろうと思います。以前から神経に障害があったのですが、現在は、私の関心のある分野の口頭での議論、特に論拠や継続的な思考を伴うような論題であれば参加するのは不可能なのです。以前お会いした際、私が会話が進むにつれどれほど苦しんでいたか、ご覧になったはずでしょう。もはや、家で安静にしていなさいという医師の命令に背くことはできません。真剣な討論に関しては、私は全く無力です。この提案された討論はあなた以上に私が望んでいることであり、それが実現できる可能性が少しでもあるのならば、危険を冒してでも挑戦したいのですが、現状では、残念ながらこの喜ばしいお誘いをお断りせざるを得ません。
 
しかし、別の方法を考えることはできます。ほとんどの神経障害が気まぐれのように見えるのに対し、私の神経障害は話すことを妨げはしますが、書くことに関してはそれほど困難ではありません。私の脳は、急がされたときだけ非常に苦しみますーー昔の猟師が「焦りが死をもたらす」と言ったようにーーが、自分の時間を取ることを許されたときは、どうにか働くことができるのです。のんびりと文章を書けば、私はいくらでもあなたの質問に答えることができるでしょうし、活字で最も入手しやすい情報源を指摘することで、あなたにとっての手間を省くこともできるでしょう。したがって、提案されてはいるが不可能な会話の代わりに、あえて手紙のやり取りで済ますことを提案させていただけないでしょうか。
 
この提案は、決して悪いものではないと思います。確かに、討論における活発さや楽しさはより小さいものとなるでしょう。しかし、大きな困難を伴うのは主に私の方であり、両者ともども、どんな賢明な話し手でさえも自分の考えを文書で伝える際に捧げるような、より慎重な思考が必要となることによって、おそらく議論はより完全で効果的なものとなるでしょう。あなたは自分の仕事を成功させるという評判をお持ちですが、それはもちろん、できるだけうまくやると決心したものしか引き受けないということを意味します。そうであれば、私の提案の方をより好ましく思うのではないかと想像するのです。
 
もしそうであることがわかったら、あなたが情報を求めている問題/話題/テーマを私に教えてくだされば幸いです。会話の主導権は当然あなたの側にあるでしょう。私はただ、あなたの裁量に任せ、折に触れ、ご意向に沿うような方向へ話を進めることをお約束します。

書簡3 政治家より
政治家は自身の知識の状態を説明し、いくつかの定義や、それらに関する質問をし、世論の問題とする


あなたの代替案は、当初、あまり気が進まないものでしたが、その後(じっくりと)考え直した(試してみた)ところ、書簡でのやり取りの方がより好ましいと思うようになりました。私たち双方にとって、より面倒な道であることに納得するために検討した結果、私の目的には、個人的な関心事でない限り、すぐに記憶から遠ざかってしまう口頭でのやり取りよりも、残ることになる書面でのやり取りの方が優れていることがわかりました。そして、その最初の試みによって、あなたの考えの
私は、(イギリスの)植民とは何であり、どうあるべきかについて明確な考えを持っており、後はそれを改善する最良の方法を学ぶだけでよいと信じてこの仕事を引き受けました。しかし、文字におこす過程で、この問題(テーマ)についてより深く検討したところ、実は私の知識は貧弱で表面的なものでしかないことに気付きました。実際、私が学びたいことが何なのかを満足にお伝えすることもままならない程の知識しかないため、(まずは)植民地に関する私の印象を説明することが最善の道であると思います。
 
公職に就いている少なからぬ人物と同様、私は最近、このテーマが愚かにも私たちに無視されてきたと考えています。植民は、最悪の社会悪を救い、手ごわい政治的危険を回避する上での、当然の手段であると考えています。(しかし、私は、)新聞を読むすべての人々と同じように、植民地が、我々に重要な見返りを一つも与えることなく、(代わりに、我々に)金と多大な労力と少なからぬ恥辱を与えていることを知っています。どの植民地も一度や二度は無秩序で不穏な状態に陥るようです。今、そのような不穏な状態に陥っている植民地の数は通常考えられうる数よりも多く、全40植民地(これがその合計だと思います)のうち、英国人が誇りに思える植民地は1つもないのです。全ての植民地を足し合わせても、合衆国より少ない人数の移民しか受け入れていません。(その内)最も多くの移民を受け入れているカナダは、どう考えても、アメリカ人がいつの間にか所有するために人口を増やし、豊かにしているに過ぎません。その他のイギリス人移民が移住する世界の唯一の地域の人口は、植民と呼ぶことのできる70年間(の時)を経ても30万人を超えず、グラスゴーの町の人口と同じぐらいです。西インドの植民地は、経済的にも政治的にも嘆かわしい状態にあります。(少なくとも)政治的には、入植者の反乱とカフィール戦争のある南アフリカもそうです。 最も若い植民地ニュージーランドもそうです。入植者と原住民の間にひどい確執があり、英国の権威を維持するために費用のかかる軍事占領が行われ、植民地政府の野蛮な実験が行われています。そして他のどの植民地も多少の差はあれど、同じような状況にあります。私は、ここ1、2年のわが国の新聞を見ただけですが、植民地が混乱したとき以外は、植民地についてほとんど触れていません(言及していません)。したがって、私の考えでは、我々の現在の植民ほど不満足なものはありません。少なくともこの一点に関しては、私の考えは、たとえ一般的なものであっても、十分に明確なものです。(一方で/しかし)我々の植民はどうあるべきか、という問題については、私の考えはさらに一般的で、まったく不明瞭で(ありま)す。実際に書き出してみると、植民を計画的に進めれば、何か非常に有益で重要なことが成し遂げられるのではないかという、きわめて漠然とした希望から成っていることに気付きました。しかし、この話題について深く無知であることを告白するように、私のぼんやりとした願望を実現するための手段についても、私には何の構想もありません。私が思い描くのは、過剰な人口を幸福に養い、自国に残る人々の状態を改善し、食料と製造の原材料を大量に供給し、言語、宗教、法律、制度、帝国への愛着において真に英国的な国民性を地球の未占領地域に拡大することによって、国家としての誇りの最高の感情を満足させ、その費用を十分に回収できるような植民地化の種類と数です。しかし、空想の領域から下りて、この構想と悲惨な現実との違いの原因を探ってみても、私にはまったく考えが浮かばないのです。このように原因に対して盲目な状態では、当然ながら、適切な救済策は私の視界から遠く離れています。もし本当に適切な救済策が見つかるとすれば。今、文字に起こしながらで真剣に考えたところ、私は友人たちの議会での計画にほとんど絶望し、その実行を共にすることを辞退すればよかったと思っています。

その約束を撤回するつもりは全くありませんが、私がこのようなことを申し上げたのは、約束を履行する資格を得るためには、この問題のアルファベット(いろは)から始めなければならないこと、そして、私たち双方にとって大変な仕事であるということをお伝えするためです。そこで、アルファベットを学ぶために、私はまずいくつかの定義を尋ねることにしましょう。

英領インドは植民地なのでしょうか?ジャージー島はどうでしょうか?アメリカ合衆国はイギリス(イングランド)の植民地であると言えるのでしょうか?もしそうでないなら、常に完全に母国から独立している、古代ギリシア人がシチリアや小アジアに形成した国家が植民地と呼ばれているのはどうしてなのでしょうか?それなら、植民とは何でしょうか?我々がフランス領カナダを占領したときに、それがイングランドの植民地になったとすれば、外国人を征服して統治することだけが植民なのでしょうか?それとも、植民の条件として、新しい国の土地がすべて、あるいは大部分が未開拓(かつ未所有)であることが必要なのでしょうか?植民(という行為)には統治が含まれるのでしょうか、それとも母国からの移住と、政府とは無関係に移住者が新天地に定住することだけを意味するのでしょうか?これらの質問に対する回答には、書いていくなかで思いつくものもあります。しかし、私はこれまで、植民地や植民について、その言葉の意味を正確に理解することなく、むしろ急いで話してしまっていると思います。

でも、このことを正直に私に指摘できる政治家はそう多くはないでしょう。この告白は特異なものであって、全くの無知や無関心ではない。(そして)この最後の言葉は、また別の疑問に繋がります。なぜ植民というテーマは一般に関心を持たれていないのでしょうか?確かに、ごく最近は、多くの人がこのテーマに活発な関心を寄せていると公言し、世間の関心がそちらに向いているとさえ言えるかもしれません。でも、私はそれは本当に関心が払われているからだとは思えません。それは、オウムがあなたの(人々の)健康状態について、優しく不安げな口調で「調子はどう?」と尋ねることと似ているのです。植民については、かなり多くの、一見真面目そうな話や文章があります。でも、私は分からないのです。私は、植民とは、地理学や天文学のように、ただ知っているだけのものではなく、実行すべきものであると思います。誰が、議会が何をするべきかを教えることができるのでしょうか?誰が(何かしらの)計画を提案するのでしょうか?誰が重要な実際の成果を真剣に期待しているのでしょうか?そのうえ、植民、そして「組織的(な)」植民についてこのように話されたり書かれたりしているにもかかわらず、人々は一般に、このテーマについて、私が告白しているような無知以上の知識を持っていないように思われます。この問題を長年研究することを仕事にしており、非凡な数少ない研究者の一人に頼む以外には、少なくとも、私は本当の知識をどこに求めればいいのかわかりません。一般に、相変わらず無知は多いのです。無知ということは、どんなに喧伝されようとも、本当は無関心であることを意味します。一般大衆が植民についてほとんど関心を示さないのは、ほとんど何も知らないからなのか、それともほとんど関心を示さないから何も知らないのでしょうか?もし無関心が無知から生じていないのだとすれば、その原因は何なのでしょうか?この最後の疑問は、単なる推測に貴重な時間を浪費したくない私にとって、実際的にも個人的にも非常に重要なものです。このテーマには研究する価値があるのでしょうか?そもそも一般的な無関心は克服されうるのでしょうか?行動を起こすことには見込みはあるのでしょうか?

私の最初の話題に戻ると、少なくとも言葉の上では、現在多くの人々が移民と植民を実質的には区別しているとすれば、その違いは何であるのかを知りたいです。最も有名な新聞の数々は、移民ではなく、植民を行うべきだと言っています。これは何を意味するのでしょうか?ここでもまた、恐らく組織されていない植民から区別されているであろう、「組織的な」植民という言葉をよく耳にします。しかし、「組織的な」とは何を意味しているのでしょうか?この表現はどの制度を指しているのでしょうか?既知の制度があるのでしょうか?数種類の中から選ぶものなのでしょうか?それとも、組織的な植民を提唱する人たちは、ある制度を考案すべきだという意味なのでしょうか?私は、あなたの名の下に行われている植民計画が存在すること、そしてそれが時として制度と呼ばれていることを知っています。グレイ卿はそう呼んでいます。私は前に、当時アイルランドからの大移民を促進したいと強く望んでいた人々に参考のために見せられた、二年前に書かれた彼の手紙を見たことを覚えています。その中で彼は、もし彼が植民地省長官の座にあり続ければ、あなたの制度は大方実行に移されるだろう、と述べていました。それは実行されたのでしょうか?オーストラリアの植民地のいくつかでその制度が試されたことは知っていますが、私がこの制度についてすべて知っているはずの(公的な)知人の話を信じるなら、これまでは失敗と失望しかなかったという話です。いずれにしても、この計画を理解するためには何を読めばいいのか、教えてもらえないでしょうか。私には漠然とした、そして、おそらく誤った概念しかないのです。

私が誤解していなければ、あなたの植民計画は、移住や荒地の売却といった経済的な問題にのみ関連しており、植民地政府については手つかずのままなのでしょうか(だと思います)?しかし私は最近、植民地のための政府についての計画について社会で耳にしました。それはあなたの友人の何人かが賞賛しているもので、彼らはそれを自治政府の計画と呼んでいます。これは何でしょうか?その点に関してあなたを悩ませることなく、それを理解できるような出版物はありますか?グレイ卿のニュージーランド憲法は、この植民地政府の計画に基づいていると、誰かが言っていたのを聞いたことがあります。もしそれが本当であれば、その計画はあまり良いものでないのではないかと危惧しています。正直に言いますと、その憲法はあまりに非現実的で不合理なものであったため、グレイ卿自身が最初の機会をとらえて破棄し、ニュー・サウス・ウェールズ州への拡張(統合)の申し出を軽蔑的に拒否しました。ですから、もしグレイ卿が、あなたの友人たちが称賛した計画を本当に採用したか、あるいは模倣したのであれば、植民地政府の他の計画やプランを調べるよう、私はあなたに頼まなくてはなりません。実際、私は、この分野に関して、お勧めのものがあれば何でも読みたいと思っています。この話題は(哲)学者たちによって扱われたことがあるのは当然だと思いますが、誰によって扱われたのか思い出せません。

その中でも特に理解したいのは、ダラム卿が報告書の中で、確か「植民地に対する(の)責任政府」と呼んでいた理論のことです。 それとも、あなたとチャールズ・ブラーの共著だと聞いたかすかな記憶がある、小さな本のタイトルだったかもしれません。現在カナダで完全に実施されている理論のことですよね?もしそうなら、どのように機能するのですか?

チャールズ・ブラーの名前を聞くと、1843年の植民に関する大演説を思い出します。私がそれを「大」演説と言うのは、当時この演説が万人の賞賛を浴び、哲学に関心のある政治家の中でこの演説者を第一級の人物に押し上げたからです。私自身も、この演説を聞いて、その、とても強く、心地よかった印象から、決して忘れることはないだろうと思いました。しかし、私はそのスピーチをすっかり忘れてしまったのです。今でも彼らは、あれは大演説だったと言います。しかし、同時にその理由は分からないのです。一流の演説だったということ以外は、すっかり忘れてしまったというのです。

最近、貴族院で開かれた移民に関する委員会が提出した証拠に目を通す必要はありますでしょうか?ざっと目を通しただけでは、膨大な事実の塊、あるいは事実の記述で構成されており、形式も秩序もなく、指針となる原則も無視され、唯一望ましい結果、すなわち理解しやすい理論や実現可能な計画を生み出すこともない、という印象を受けました。国会の委員会による照会で、私が研究したほうがよいと思われるものは他にありますか?

一昨年の会期中、庶民院はリンカーン卿の発議により、特にアイルランドの植民について調査を行うよう請願する演説を、女王に提出しました。演説の動議は当初、政府によって猛烈に反対されたが、分裂によって負けてしまうことが判明してから、ようやく譲歩しました。演説は可決され、女王によって下院の希望が実現することを約束されました。一般的な慣例に従っていれば、王室調査委員会が任命されていたでしょう。しかし、そのようなことは何も行われませんでした。委員会は任命されず、他の手段による調査も行われていません。演説と答弁は政府によってまったく無視されました。私はこの奇妙な政府による無視の理由と原因を探ろうと努力しましたが、無駄でした。他の政府関係者は植民庁を紹介してくれましたが、そこでは何も知ることができませんでした。私の政府の知人は、植民庁に所属しているが、私が情報を求めることができないと分かり切っている、グレイ卿に照会するよう、ぼんやりと私に言いました。これはいったいどういうことなのでしょうか。

新聞を見ると、植民地化を推進する目的で最近いくつかの協会が設立されたようです。植民協会というのもあれば、カンタベリー協会というのもあります。他の協会の名前は忘れてしまいました。これらの協会のうち、何か計画や指針になるような理論を持っているところはあるのでしょうか?もしそうでないなら、それらの計画を検討するのは時間の無駄というのも、特定の問題や実際的な問題について意見を述べようとする前に、この問題について一般的かつ抽象的な見解を得る必要があるからです。

同時に、単なる理論や抽象的な科学には、今の私には何の魅力もないことを(あなたに)言わせて下さい。それらに割く時間の余裕が今はありません。そして、他国には適用できても、わが国には適用できない植民理論に興味を持つこともできません。このグレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国での実践的な成果を視野に入れて、私はこのテーマを極めたいのです。したがって、真理を追求するための補助としての抽象的な考察を捨て去ることなく、できる限り、実践を常に視野に入れ、特にわが国のための実践に繋がる事を願っています。


書簡4 植民者より
植民者はいくつかの定義を提案し、この研究の範囲を定め、どのように説明していくかを示す

あなたの手紙は大変興味深く読ませていただきましたが、あなたが最初に私に注意を向けさせたいテーマについて、私には疑問の余地がありません。私たちの手紙のやり取りを正確かつ明瞭にするために、いくつかの定義が必要であることは言うまでもありませんが、あなたの質問は、実際には、このテーマの現状とでも言うべき説明を求めているのです。植民地化に関する世論と知識の状況については、別の書簡を割かなければなりませんが、それとは別に、ご質問の1つか2つから示唆された予備的な点について、少し述べさせていただきます。

植民地と植民地化という言葉が何を意味するのか、という質問は、私にとって驚くべきことでもありません。なぜなら、どちらの言葉も明確な意味を持つどころか、異なる様々な意味で一般には使われているからです。このような言葉の曖昧さや混乱は、考え方の曖昧さや混乱から、そしてなによりも無関心から生じています。広大な帝国の多数の辺境に属する特徴や状況の非常に顕著な違いについて、明確な概念を形成する価値があると考えた人はごくわずかにしかいません。このような違いについては、コーンウォール・ルイス氏の『属領統治論』に詳しい説明があります。しかしこの問題について私が、繰り返し述べる必要はないと感じています。ざっくり述べれば、あなたの現在の目的には十分耐えるでしょうし、私がいつも植民地と植民という言葉によって指すものについて説明したいと思います。

私は、植民地という単語では、巨大な属領である英領インドや、フランスの植民地でしたが、今はただ英領の属領でしかない、モーリシャスのことは指しません。同様に、マルタやイオニア諸島のことも植民地とは呼ばないでしょう。さらに、これらの地域がイギリスの属領となる過程には、いかなる植民の性質も見当たらないと思います。植民とは、主に移住からなり、無主地への移民の永続的な定住のことを意味します。よって、植民地とは、遠くからの移民を受け入れている、まだ完全もしくは部分的に占有されていない土地のことを指すのです。そしてそれは、移民がやってくる国―母国のことですー、の植民地であるのです。この、植民地に人が定住し、人口を増やすことのみが、植民であると私は考えます。当然ながら、植民の過程は、統治されることを含みます。……


ここら辺で力尽きているので、続きはありません。手紙一つ一つがすでにかなり長いのですが、この先どんどん長くなるので、もう絶望です。ただめちゃくちゃ面白い本なので、原文で読んでみてください。悲しいことに、日本語への翻訳は一切存在していません。

解説

短いのに何が解説だよ!という感じですが、好きな本なので書きます。
この本は1849年に出されたものであり、1830年代イギリス植民改革運動の旗手であった、E・G・ウェイクフィールドの、自身の植民理論の集大成となる本です。J・S・ミルに勧められて書いたらしいのですが、ミルにとってはあまり満足のいく出来ではなかったとか。
手紙のやりとりという形をとっており、明らかに読みやすさに全振りしている上、今回の翻訳では入れませんでしたが、途中でグレイ卿への個人的恨みの話が始まり、そこが無駄に長いです。グレイ卿は政府の偉いさんの中だとウェイクフィールド理論の支持者として有名であったため、それを敢えてこういう本に載せるのは割と意味が分からないです。あまり理論を説明する学術書?としての性質がないため、当時政治経済学者のグループに一応属していたウェイクフィールドの本としては、まあ期待外れだったのかな、と思います。政治経済学の方である程度高評価を下されている著作としては『イギリスとアメリカ』(1833) があり、それが、ウェイクフィールドの植民論の理論的な裏付けを説明している本と考えていいでしょう。(『イギリスとアメリカ』は日本語訳が1948年に出ています)

ただ!そのような評価はあくまで経済学史上のものです。『植民方法に関する一見解』は確かに、ウェイクフィールド植民論それ自体が、最も体系的にまとめられているものであり、植民学では、こちらを参照することの方が多いと感じます。
ウェイクフィールド植民論もしくは、彼が唱えた「組織的植民論」の骨子はこんな感じです。
①植民地の発展が遅れるのは、人口が集積しないため、工業化の元となる分業が行われず、資本家層ー階級社会ーが生まれないから。そのためには地価を高く固定するべき。
②植民地は本国コスト削減のために自治を行うべき。

イギリスでは人口と資本が過剰に存在しているため、それを植民地に流し込むことで有効活用ができる上に、本国の問題も解決できるはずだ!
という感じです。
実践面では他にもいろいろとあります。例えば植民地には男女比が等しいように人を送り込むべき、とか流刑制度を廃止するべき(これはもっと昔からある議論ですね)とか、ですね。
これがそれまでの、古典派経済学におけるスミス以降の植民地の経済的価値の否定(植民地=投資の制約を生み出す独占が行われるため、十分に発展せず、資本の吐け口とはならない)への真向からの批判となったのです。あとは、やっぱり、実際問題植民地を保持しているイギリス資本家層としては、植民地を効率よく保持する思想として、魅力的に映ったのでしょう。
同時に、ここでは、植民地=移住地という概念が飛び出てきますね。スミスに対し論点のすり替えだろ!と言われれば、まあそうなのですが、これが結局それまでの、貿易・商業と不可分に結びつく植民地観とは、一線を画すことになるのです。一世紀ほどその後も、植民政策家にとって、ウェイクフィールド理論が魅力的だった理由の一つではないのかと、私は思います。



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