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思春期とジェンダー

私は元女児であり、元少女であり、現成人女性である。
そしてこれから書くのは少女と女性のちょうど狭間にいる時に私が感じたことだ。

今思春期真っ只中の少女たち、および現在女性として生きている方々のなかにも
同じように感じた人は少なくないのではないだろうか。

私は「女性」になるのが怖かった。

小さな頃は早く大人になりたいと思っていたが、
いざ思春期を迎え「女性」が目の前に迫ると怖くてたまらなかった。

それは「大人になると何をするにも責任が伴う」とかそういうことへの恐怖ではない。

身体が女性になる恐怖、「女性」という生き物が周りから叩きつけられる評価基準が怖かった。

どういうことか。

少女くりっぷは、女性という生き物が周りから評価される時に
ほぼ必ず性的な見られ方をしているように感じていた。

「どうせブスだから」
「顔はいいけど胸が」
「胸はいいけど顔が」

自分の身体が「女性」に近づくにあたり
自分もあのものさしで評価されることが他人事ではなくなっていくのがわかった。

通っていた学校で、体育の時間に女子の制服が盗まれるだとか
水着が盗まれるとかいうことが起こるようになった。

同じクラスで、同じ学年で仲間として生きてきた小さなコミュニティで
友人たちが性的な目で見られるようになった。

私が直接被害に遭った遭わないの問題ではない。
性的に魅力的であるかどうかの判断対象になるのが嫌だった。
性的魅力があろうがなかろうがあのものさしで私を判断されるのが嫌だった。

その結果、私は成長する自分が嫌でたまらなくなった。
自分の身体が気持ち悪くてしょうがなかった。

もしあのときトランスするという選択肢を与えられていたら
自分はどうなっていたんだろう。

もし「女性」にならずに済むといわれたら
心が揺らぐことは1度や2度ではなかっただろう。

今私が女性として生きていることに違和感も嫌悪感もない。
悪い意味であのものさしに慣れてしまったのだと思う。
あの頃の私が今の私を見たらどう思うのだろう。

どうか私が生きている間に
この世に生を受けた女の子が私のような思いをしないで大人になれる社会を作りたい。

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