ジェントルマンという生き方について学んだこと。
こんにちは😊
今回は気合が入っています。(笑)
noteを始めた時からずっと書きたかったのに、確信が得られずずっと書けなかったこと。
「ジェントルマン」「紳士」についてです。
私の夫はフィリピン系カナダ人なのですが、控えめに言ってジェントルマンです。(笑)
しかし、それを説明しろと言われると…どう説明して良いのかわかりませんでした。
毎回車のドアを開けてくれる訳でもありません。
毎回お店のドアを開けてくれるわけでもありません。
そもそも「これをすればジェントルマンになれる!」というのも…なんか違う気がします。
そんなモヤモヤがあったのですが、そのモヤモヤがやっと晴れるきっかけがありました。
息子の誕生です。
妊娠中に息子だと分かってから、「この子はジェントルマンにする」「間違っても女性を傷つけるような子には育てない」と意気込んでいました。
ジェントルマンとは何かもわからないのに。(笑)
息子が生まれて、息子と接するうちに、そして夫と息子の将来について話すうちに、ジェントルマンの「核」がなんとなく見えてきました。
それが分かると、とても腑に落ちて、肩の力が抜けました。
今回はジェントルマンについて、夫と話した事をまとめたい思います。
表面上のジェントルマン。
「ジェントルマン」と聞くと、どんな人を想像されるでしょうか?
また、どんな行動を想像されるでしょうか?
この記事を書くにあたり「ジェントルマンになるには」とgoogleで調べてみました。するとトップにこんな記事が出てきました。
この記事を読んだ後、私はとても大きな違和感を覚えました。間違ってはいないのですが、本質が書かれていないというか、なんと言うか…
しかし、「じゃあ本質はなんなんだ?」と聞かれると、私は答えられませんでした。
夫にこの記事の内容を説明し、私の感想を伝えました。
すると夫から「ジェントルマンは、act (行動やフリをするもの)ではない。ジェントルマンは、ジェントルマンという生き方そのものだ。」と言われ、す〜っと腑に落ちました。
振る舞いが上品
礼儀正しい
重い扉を開ける
車道を歩く
etc…
これらの行動は、ジェントルマンという生き方に付随するものであって、ジェントルマンそのものではないと学びました。
振る舞いが上品で、重い扉を開けてくれても、そこに下心があると、ジェントルマンとは呼べない。
その男性が礼儀正しく、車道を歩いてくれても、そこに女性へのリスペクトや心がこもっていないと、ジェントルマンとは呼べないと気付きました。
逆に言うと、その核となる「女性へのリスペクト」や「女性を大切にする心」さえあれば、常に上品に振る舞わなくてもジェントルマンだと呼べると感じました。
「ジェントルマン」は、フェミニスト。女性をリスペクトできる男性。
ジェントルマンは、女性をリスペクトして、尊重することができる男性。女性の成功や幸せを願える男性。その心がある男性。
ふむふむ…じゃあジェントルマンはフェミニストってこと?
この質問を夫にぶつけてみると、答えは「YES」でした。
夫は続けて、「フェミニストのイメージは、男性を虐げて(しいたげて)、女性を持ち上げたり、男性嫌悪なイメージがあるが、そうではない。」と言いました。
フェミニストというと、女性崇拝のようなイメージを持ってしまいそうですが、そうではないです。
ジェンダーに関係なく、お互い対等でいることを認める。
女性だからこうするべき。
男性だからこうするべき。
それを取り払って、お互いをただの「大切な人」として扱う。
「1人の人間」としての尊重し、助け合う。
ジェントルマンの根底には、こんな精神があると学びました。
(これを書きながら、男女ではなく、同性の大切な友達なら、尊重し合って助け合うことは、簡単にできるのになぁと思ってしまいました。)
また、「ジェントルマンは男女平等を志向する」はとても腑に落ちました。
平等といえば、同じように扱うこと。
…と思い込みがちですか、それだけではないことに気付きました。
平等とは、違いを認め合い、平等に権利を与えることだけでなく、その違いをお互いに深く理解すること。
その上で扱い方や政策を議論し、生きやすい社会にするところまでが、「平等」だと知りました。
男女の差が広ければ広いほど、お互いの理解が浅く、男性にとっても女性にとっても生きにくい社会になってしまいます。
男女平等が実現すると、お互いの理解が深まり、お互い生きやすい社会になるだろうなぁと思いました。
ジェントルマンが生まれる家庭環境。
女性に対する尊重、リスペクト。
それは、家庭環境の影響が大きいようです。
夫に「どうすればジェントルマンが生まれるのか?どうすれば息子がジェントルマンになるのか?」を聞きました。
聞いた話を3つのポイントにまとめてみました。
一つずつ解説していきます。
① 父親(夫)が母親(妻)を大切にすること。それを息子にきちんと見せること。
これが基本中の基本だそうです。
(※ジェントルマンがトピックなので、「父親が母親を大切にする」と書きましたが、もちろん母親が父親を大切にすることも重要です。)
日頃から子どもは、父親から母親への愛情や気遣いを、きちんと見て、感じ取って育ちます。
気遣いの例としては、
•母親が疲れていたり、病気の時は、父親が家事をする。
•道が雪などで凍った時、父親が母親に手を差し伸べる。
などだそうです。
父親と母親が家事を協力するところを見せる事で、子どもは家事は女性だけのものではないことを学び、協力することを覚えるそうです。
その他にも、子どもの前で愛情表現をすることも大切だそうです。
イチャイチャするまでは行かなくても大丈夫ですが(笑)、手を繋いだり、腕組みをしたり、母親をエスコートすることで、母親(妻)は愛されていることをきちんと子供に見せるそうです。
また、2人でオープンに会話しているところを見せることも大切です。
2人の信頼関係や、対等な関係性が子どもに伝わり、将来子どもに恋人ができた際、健康的なお付き合いに繋がるそうです。
② 息子が悪気なく、遊びでも母親(妻)を叩いたら、父親(夫)が息子を叱ること。
あるあるですよね。(笑)
幼稚園児ぐらいの子が遊び半分で母親を叩いたり、蹴ったり、取っ組み合いをしたり。
子どもも遊び半分ですので「まぁいいか」と思うのですが、夫の意見は違いました。
遊び半分でも、叩く、蹴る、取っ組み合いになるなどのフィジカルなことは、母親としたらダメだと教えるそうです。
きちんと「僕(父親)の大切な人だから、そんな事をしてはいけない」と叱るそうです。
また、女性に手を出して良いのは女性だけ。女になりたかったらどうぞ、と言われたこともあるそうです。(笑)
息子が取っ組み合いをして遊びたい時は、父親やお兄ちゃんが相手になるそうです。
③ 息子に、母親(妻)のエスコートの仕方や気遣いを教えること。
息子が子どもの時から、母親をエスコートするように教えます。
教える人は母親、父親、兄や姉、おじいちゃんやおばあちゃんなど、家族みんなで教えるそうです。
息子がエスコートするのは、母親だけでなく、姉やおばあちゃんなど、家族の中の女性陣だそうです。
エスコートの例としては、
母親が車に乗る時は、息子がドアをあける。
母親が道場の悪いところを歩く際には、手を伸ばす、腕に掴まってもらう。
などなど。
やはり根底にあるのは、母親(=女性)へのリスペクトです。
家族の女性陣を上手にエスコートできるようになって、一人前のジェントルマンだそうです。
母親は練習台ですね。(笑)
その他にも、私の夫は、お母さんからいつもハンカチを持つように教えられたそうです。
子どもだった夫は「使わない!持っていかない!」と言ったそうですが、その際に言われた言葉が「自分用ではない。レディが必要な時が必ずあるから、その時に差し出しなさい」と教えられたそうです。
このような家庭環境で、女性へのリスペクトを小さい頃から叩き込まれるそうです。
レディファーストの本当の意味。
女性へのリスペクトを込めて学ぶ、レディファースト。
レディファーストは、まさに言葉にある通り、「女性を先に(前に)通す」行為です。
男性が重い扉を開けて、女性を先に通す光景は、映画や海外などで一度は観たことがあるのではないでしょうか。
「重い扉を男性が開ける」という行為は、身体的に女性は男性よりも弱い事実を、男性がカバーする、という行為であり、気遣いです。
このレディファースト、実は昔、一つだけルールがあったそうです。
「女性を先に通すのは、自分(男性)が行ったことのある場所だけ」というルールです。
昔は危ない場所も多かったため、男性が先に行って安全確認をすることが多かったそうです。
すでに安全を確認できた場所(つまり自分が行ったことのある場所)でのみ、女性を先に通していたそうです。
それが現代になり、安全な場所が増えて、女性を先に通すことだけが残りました。
また、「女性を自分より前に歩かせる」、つまり女性がリードするという行為は、社会的に弱い女性に自信を与えてくれます。
実際、私は夫と付き合ってから前を歩かされるようになりました。
これまで歩く時は、無意識のうちに誰かの後ろについていくのが当たり前でした。
それが、逆転したのです。
初めは違和感で、夫に前に歩いてもらっていたりしましたが、夫は私を前に出しました。
何日かすると、不思議と、胸を張るようになりました。
どちらに行くか決める、その選択肢が自分にはある。
簡単なことですが、夫がいると責任感が湧いてきました。
「女性が前を歩く」というシンプルなことですが、それだけで、その女性には人生の選択肢があり、自由に選んでいい。
後ろに着く男性がサポートするから安心して良い。
そんなメッセージが込められている気がしました。
ジェントルマン vs 男らしさ
ジェントルマンになりたい方の中には、こんな葛藤があるかもしれません。
「ジェントルマンであり、かつ、男らしくありたい。」
「強くたくましく、それであって優しい男でありたい。」
まるで正反対のことのようで、難易度が高そうです。
私の夫はジェントルマンですが、男らしさを感じたことがあるか、と聞かれると、もちろんあります。
外見の男らしさは隣に置いておいて(笑)私が感じた夫の男らしさは、「自分の悩みや弱さときちんと向き合う」「自分という人間をしっかり持っていて、周りに流されない」というところです。
夫は自分をしっかり持っているからこそ、私を大切にする余力があるように思います。
これは世間的に言う「男らしさ」とは少し違うのかもしれません。
世間的には言う「男らしさ」というと、強い精神の持ち主、信念や決断力があり、クヨクヨしたり思い悩んだりはしない、そんなイメージがあると思います。
私はこの世間的な「男らしさ」は、男性の首を絞めているのでは…と思います。
「男だから強い精神を持て」
「男だから決断力が(すでに)ある」
「男だからクヨクヨ悩むな」
そんな無茶な…!
元々そんな力を持ち合わせていたら誰も苦労しませんよね。(笑)
また、逆に見ると
「女はみんな弱い精神の持ち主」
「女はみんな決断力がない」
「女はみんなクヨクヨ悩む」
という意味にも取れてしまいます。
女性でも強い精神を持っている人、決断力がある人と色々いるはずです。
だからこそ、男性でも色々な人がいて良いはずです。
特に「クヨクヨ悩む」が個人的には引っかかりました。
男性も人間ですので、過去を引きずったり、クヨクヨしたり、思いやなんだり。
それをするのが当たり前というか、人間として成長する為には、悩むべきだと思います。
人にはそれぞれ、自分の過去やトラウマ、悩みとの向き合い方があります。
自分からトラウマなどに蓋をして、納得して前に進もうとするのであれば問題ありませんが、それを周りがが「男らしくない」「男ならクヨクヨするな」「前に進め」と押し付けるのは良くないなぁと思っています。
英語では、”face”(動詞)「〜と向き合う、〜に立ち向かう」をよく使います。
face yourself = 自分自身の感情や悩みに向き合う、しっかりと目を逸らさずに立ち向かう。
「クヨクヨ悩む」と「悩みに立ち向かう」が、ほぼ同義語ならば、クヨクヨ悩むことは男らしいことかもしれません。自分の弱さと向き合うことは、とても勇ましいと思います。
また、過去を引きずったり、クヨクヨしたり、思いや悩むことで、パートナーとお付き合いが始まった際、人としての共通点が生まれます。
自分も悩んだ、苦しんだ、そういう経験のある人は、パートナーが悩んでる時に耳を傾けることができたり、共感できたりする可能性が高くなります。
ジェントルマンは自分の悩みや弱さと向き合える人、クヨクヨ悩みながらも前に進める人。
そして、そんな経験があるからこそ、余裕を持って女性の悩みを聞いてあげれる人、そんな人なのではないでしょうか。
最近、男らしさについて書かれているnoteを目にしました。こちらも参考になると思いました。
(いのみすずさん、勝手に引用してしまい、申し訳ございません… わかりやすい記事をありがとうございます。)
まとめ。「強い女性」も「弱い男性」も、魅力的な社会へ。
長くなりましたが、日本にジェントルマンが増えるととても良い社会になるんじゃないかなぁと思います。
ジェントルマンが増え、男女平等が実現されていくと、女性にとってだけでなく、男性にとっても生きやすい社会になる。
そんな社会を見てみたいなぁと思いました。
最近SNSで「私は強い女だから、モテない」というのを目にしました。
フィリピン系カナダ人の夫からすると、「カナダでは強い女性、自信に満ちた女性がモテる。なんで日本ではモテない?」と聞かれました。
なんでと聞かれると…答えるのは難しかったですが(笑)やはり男女平等がカナダほどではないこと、そして男女観が違うのかなぁと思いました。
日本ではまだまだ女性を性的なモノとしてしか見なかったり、自分の「所有物」のように扱う風習が残っているのかなぁと思います。
一方、カナダでは、おしとやかな、おとなしい女性よりも、自立していて自信満々の女性の方が人気なイメージです。
対等じゃないと面白くない。
男性にきちんとモノが言える人じゃないと、僕のパートナーとして相応しくない。
と、考える人が多いそうです。
カップル間での力関係は、バランスが必要だと思いますが、私は「強い女性」も「弱い男性」も魅力的だと思います。
お互いの違いを認め合える社会になれば良いなぁと思いました。
この記事がジェントルマンを理解するために、少しでも参考になれば嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。