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きょうは、ジュリア18歳の生誕記念日。

2005年8月1日に埼玉県上尾市で生を受けたアメリカンコッカースパニエルのジュリア、PRINCESS DREAMS JP ALBRADA の生誕日です。ジュリアは、2005年12月23日に我が家に届けられ、16歳を迎えた年の9月29日にこの世を去りました。

生まれてはじめて犬を飼う私に、ショータイプのアメコカは、ハードルが高かった。毎日のブラッシングが欠かせないことも知らず、犬の仲介業者さんからは、シャンプーはあまりしないほうがいいですよと言われていたのを信じていたので(いまでも夫は頻繁には洗わない派)、はじめてトリミングに出した時には、トリマーさんから電話で、大きな毛玉(驚くほど大きかった)があるので切ってもいいでしょうか?と訊ねられたほどでした。

でも、ぼさぼさにしていたジュリアがはじめてコッカーカットになって帰って来た日。トリマーさんも驚くくらいきれいな子だと褒めてくれました。ほんとうに、ほんとうに美しい子でした。ブリーダーさんからは、ショーも楽しめる子だとお伝えいただきましたが、当時の私たちにはショーを楽しめる余裕もなく、歯並びも前歯が若干どうかなということもあり、普通に育てて充分だったと思っています。

ジュリアを飼い始めて間もない頃、躾が入っていないことをご近所の散歩で知り合った方に指摘され、いまも外出時の一時預かりでお世話になっている白拍子さんというドッグトレーナーさん(お父様が警察犬の訓練士だったそう)のことを教えてもらい、躾の入れ方を習いなんとか散歩での不安もなくなりました。

でも、子供のいなかった私たちは、どうしてもジュリアを甘やかしてしまい、私が自治会長を引き受け、留守がちになるった時、下血が続いてしまいました。寂しいのかなと思い、ちょうど近くのペットショップにいたRoccoに出会い、お見合いさせても平気そうだったのでロコを迎えることにしたのですが、家に連れてきてみたら、ジュリアはロコに向かって吠える吠える。

慣れるまで静観できたらよかったのですが、あまりの相性の悪さに、一時はロコくんを手放すことも考えました。しかし、夫の会社の方を通じて問い合わせのあった方から、「よだれは多いですか?」と聞かれ、よだれが多い少ないで飼う飼わないを決める人に託すくらいなら、自分たちでなんとかしようと思い立ち、夫の実家に一時避難させることにしました。

後に、いろいろあって、ある日夫はロコくんを連れて帰って来たのですが、その頃にはだいぶ落着いていたジュリアとロコの距離は、徐々に近づいて、散歩も仲良く並んで歩き、他の犬が来ると一緒に吠え(汗)気付いたら、シンクロするように同じ格好で眠っているという幸せな日々が続きました。

しかし、アメリカンコッカースパニエルを飼うということは、病気との付き合いも覚悟しなければいけません。

ジュリアが1歳を越えたある日、片目が変色しているのを見つけました。

急いで近所の動物病院で診てもらい、右目が白内障のようなので専門医にかかったほうがいいということで、予約を取るのが難しい麻生大学附属病院ではなく、町田から遠く文京区にある眼科専門のトライアングル動物病院に通い、一泊手術で片目にレンズを入れてもらいました。白内障が進行したら再手術が必要かもと言われましたが、幸い進行が遅く術後の通院は1、2回程度だったと記憶しています。

過敏性大腸を抱え、文京区の病院に通うのはつらかったですが、ジュリアのために耐えて、苦労の甲斐あって、点眼薬は嫌がらずにつけさせてくれるいい子になりました。その後、左目は晩年になって気がついたら視力を失っていましたが、もういい年齢だったので、病院にはかからず普通に暮らすことを選びました。

ロコくんも、5歳のときに胆嚢が壊死して、このままでは他の臓器が危ないとのことで、緊急手術を受けてなんとか寿命を長らえましたが、無くなる前の年におしっこの量が多いと預けた白拍子さんに伝えられて、病院につれていったら、膵炎から来る血糖値の上昇があると指摘されました。インシュリンの投与を半年ほど続けたのですが好転せず、12歳の若さでこの世を去っていきました。

(3) Facebook 日本動物高度医療センター ロコくんが手術を受けた病院

2頭とも、普通に市販されているドッグフードを与えていたので、外耳炎や皮膚炎に悩まされたり、ジュリアは歯磨きの習慣をつけるのが遅かったのと体質もあるのか、歯周病による口臭には悩まされました。いま、じょんじょんは、毎日の歯磨きも欠かさないし、ブリーダーさんからのおすすめで導入したアニマルウォーターⅢのおかげで、口臭衛生は万全です。

でもアメコカを飼って楽しいこともたくさんあります。

いつだったか忘れてしまいましたが、ある夏のこと。ドライブで何気なく訪れた道志川で、リードをつけたまま、人間の膝より少し高い川にジュリアを連れて入っていったら、ジュリアは普通についてきて、足がつかなくなる深さになると驚く飼い主を尻目にすいすいと泳ぎ出しました。

後に、ジュリアとロコ2頭を連れて、青木湖でひっくり返らないタイプのカヌーに乗ったのですが、そのときもライフジャケットを着けたジュリアは、自分からざぶんと水に飛び込み泳ぎだし、いっしょに水に落ちたロコくんは、ライフジャケットがあるのに溺れそうになりあわてて引き上げました。

愛犬と白馬大町安曇野エリアで遊ぶ【あそんちゅスタイル青木湖】 (asoncyuadventures.com)

でも、2頭とも川遊びは大好きで、丹沢の犬連れオートキャンプバウアーハウスジャパンには何度か行き、キャンプサイト脇の浅瀬で、水遊びを楽しみました。丹沢の水は真夏でもきれいで冷たくて、飯ごうのご飯も美味しく炊けました。

でも、ある年のこと、台風による大雨に襲われて、川の大きな石がゴロゴロと音を立てて動くのを聞きながら、眠れぬ夜を過ごしてから、上流にダムは無いから川が氾濫する恐れは無いキャンプ場とわかっていても、(下手にあったキャンプ場では、中州に取り残された車が川を渡ろうとして横転し死者が出る事故が起こっています)なんとなく足が遠のいてしまい、私たちもジュリアもロコも年を取ってしまい、オートキャンプは行かなくなりました。

一番多く通っているのは、白馬のピレモンという犬連れ用ペンションです。いまは、ペンションの脇に犬連れ専用のドッグランとしても使える囲いのついたオートキャンプサイト、ロンパードックも併設されています。

犬と泊まれる白馬ペンション・ピレモン (piremon.com)
Romperdog Run&Site – ワンコ連れ専門キャンプサイト&ドッグラン

ジュリアが最初に泊まった(旧しぶごえ館山)のとジュリアとロコを連れて最後に行ったのは、しぶごえ館山(現じゃぱり館山)だったと思います。海辺を歩いて、打ち上げられた片口イワシがきらきら光ってきれいだったのを覚えています。(海には入りませんでした)

ペットと泊まれる宿|ペット同伴専門の宿-じゃぱり館山(旧しぶごえ館山)【公式】 (japari-tateyama.com)

そうそう、ジュリアとロコと一番遠くへ旅した先は、北海道の襟裳岬です。

以前勤めていた光ディスク製造メーカーを早期退職した夫が、次の仕事は福祉にしようと考えて、北海道浦河町のべてるの家を訪ねることにしたからです。

飛行機とバス(日高線が台風のため運行停止になり後に廃線)で浦河に行くには、ジュリアとロコはその間預けなければいけません。公共交通機関を使うのに不安があった私がいろいろ調べた結果、カーフェリーを使うのが一番安上がりとわかり、行きと帰りでフェリーに一泊づつ、浦河では犬OKのペンション馬の宿に二泊というスケジュールで、車での北海道行きを計画したのでした。

行きは、まず山形で開業したばかりのクライミングの恩師でもある平松幸祐さんが開いたFLAT CLIMBINGを訪ね、ボルダーを楽しんでから、夕方仙台からフェリーに乗り、翌朝苫小牧に上陸しました。

犬を車に乗せて乗船できると知らなかった私は、2頭が入ったクレート(9.5kgと13kg+クレート2個分)を両手に持ち、倒れそうになりながら、フェリーの入口に向かったのを覚えています。さすがに、フェリーの中では、係の方がクレートを持ってくれましたが。

そして、甲板にある専用ケージに犬を入れたのですが、時々見に行きましたが、慣れない環境でしかもはじめての海の上という状態で、一泊はちょっときつかったかなと思いました。大間、函館線は、犬と泊まれる部屋があるそうなのですが、ちょっとお高い。

しかし、船酔いで吐くこともなくフェリーは苫小牧に着き、車でそのまま浦河に向かい、宿に着いてみたら、まわりがサラブレッドを育てる牧場で、部屋の窓を開けると馬が近づいてきてくれたりして、浦河町の豊かな環境を満喫できる宿でした。ペンションのオーナーは、ナリタブライアンの調教師だった方で、浦河べてるの家にも一時関わっていたとのことで、浦河の絶品の海の幸と山の幸を順序は忘れてしまいましたが、他の泊まり客もなく、ゆったりとした時間が流れる中、べてるの方たちが焼き肉を食べに来るという無想庵で提供していただきました。

ペンションオーナーが飼っている、三四郎くんというポニーがかわいかったです。

ペンション 馬の宿・夢窓庵 - うらかわ旅 (urakawa-tabi.com)

確か翌日は、朝早く馬の宿のオーナーおすすめの山に向かったところにある川の源流を見に行ってきました。北海道らしいコロボックルが隠れていそうな大きな蕗の葉が群生する道を分け入っていくと、原生林を向こうに抱えた緩やかな清流に行き着きました。

クマが出ないだろうかとびくびくしながら、北海道南部らしい景色を堪能して宿に戻りました。馬の宿からは、海も近く、お天気は悪くて雲っていたのですが、きれいに削られた石が落ちていたので、お土産に拾って持ち帰りました。

宿を後にして最終日、犬2頭を連れてニューべてるに向かうと、職員の伊藤さんが対応してくれて、前日は見られなかったべてるの施設を案内してくれました。べてるの家のメンバーさんたちは、おそらくはじめてアメリカンコッカースパニエルを見た人も多いのではないかと思われ、犬連れて来たんだーなどと言いながら、かわいがっていただきました。

帰りは苫小牧から新潟に向かうフェリーに乗船。この日の日本海は少し波が高く、浴場の湯船のお湯がかなり揺れていたのですが、窓から見える月が大きくてきれいで、ジュリアとロコも犬専用の船室とケージがあったので、太平洋を渡った時より少しましかなと思いましたが、フェリーを下りて、新潟から私の実家のある足利に向かう途中にご飯をあげたのですが、2頭ともアメコカとは思えないほど頑として食物を受け付けず、おそらく昨夜の揺れで船酔いになっていたのだと思います。

フェリーの中で演奏していた歌手の方と偶然話をする機会があり、犬のことを話すと見たいといってくれて、犬用船室で遊んでもらえたのは楽しい思い出です。後に、もう閉店してしまった渋谷のダブルトールカフェでのライブにも行って、くじ引きだったかじゃんけん大会だったかで、美味しい北海道の小豆缶をゲットしました。後にその方がべてると繋がりのある教会で演奏会をしたと聞いて、またいつか会えたらいいなと思っていますが、お名前を失念してしまいまして、確かじゃくそんさんと聞いた気がするのですが、検索してもマイケルに行き当たってしまい、探しようがありません。

他にもたくさんの思い出を連れてきてくれたジュリアですが、後一点、思い出すのは、てんかん持ちだったということです。幸い薬を飲ませるほどではなかったのですが、数ヶ月に1回くらい5分ほど、痙攣をして意識がなくなるジュリアを見守るのは、辛い体験でもありました。はじめての犬ということもあり、お医者さんが言うには、人間との距離が近すぎると悪化する傾向があると。でも、忙しい夫が仕事で午前様が続くような日々を支えてくれたのは、まぎれもなくジュリアの存在で、最後は認知症で徘徊を続けるジュリアを介護し続ける日々もそれはそれで、狭いところに入り込んで動けなくなったのを救出したり、ぐるぐる回り続けてようやっと横になってくれるとほっとしたり、ご飯を食べてくれる間は命が続くと安心し、最後食が細くなっていくのが何より辛かったです。

幸い、2頭目で適当に手を抜いて育てたロコはてんかんになることもなく、更に幸いなことに、ロコの看病に忙殺されて、そこそこにしか手をかけられなかったじょんじょんには、てんかんの兆候は見られなくてほっとしています。若干、甘えん坊ではありますが。

ことしの秋には、ジュリアとロコをいっしょに連れて行ったこともある、長野県川上村にある町田市自然休暇村せせらぎの里の犬連れOKなキャビンを予約してあります。町田市民だと早めに予約が出来て、めっちゃ格安なのです。本館の広いお風呂も使えるし、食堂も予約で利用できます。無論キャビンにも浴室はありじょんじょんが山で汚れても安心です。

せせらぎの里には、川上犬という天然記念物の犬がいて、この犬種は保存会によって保護されています。生育環境を審査されたり繁殖を手伝うなどいろいろな条件を満たさないと譲ってもらえない犬なので、憧れですが、飼うにはハードルが高い犬種です。落語家の林家木久扇さんも事前審査に2年かけてやっと飼えるようになったとか。いませせらぎの里にいる子は、先代の源太くんの源の字をもらった源くん。まだ若い川上犬と触れ合えるのも楽しみのひとつです。

この保養施設を選ぶ理由は、近くにある小川山の廻り目平で、ボルダーを楽しむためです。私たち夫婦はもう14、5年ほどクライミングを続けており、私が病気になった頃に購入したボルダーマットとサブマットをかついで、もう夏の繁忙期を終えた平日なので、じょんじょんも連れて小川山を楽しんで来ようと思っています。

それから、11月には、じょんじょんのお里のトゥインクルファミリーのオフ会が泊まりがけで予定されています。ライクマインズのイベントも控えた時期でもありますが、会場が伊豆高原とそう遠くないので、兄弟犬たちとの再会、初顔合わせも楽しみにしています。

インターネットのブリーダー仲介サイトを通じて、はじめて飼った犬がアメリカンコッカースパニエルのパーティーカラーのブラック&ホワイト、しかも父方の祖父にはCH(AM)もいたり(父方は、祖母も父もCH)して、知らずにチャレンジングなドックライフを始めてしまったのですが、2人が喧嘩をはじめると仲裁に入ってくれる賢くて優しい子に恵まれて、幸せな16年間だったと思います。

そう、私たちの中ではまだジュリアは生きていて、白馬や館山、丹沢、川上村と町田を行き来しながら、時には大好きな小田急線ロマンスカー(何故か私たちの中ではジュリアは鉄子ということになっている)で箱根に行って温泉につかったり、何故か猫ぱんちで、雲を叩いて雨を降らせたりと、お空組の犬生を満喫していると信じています。





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