3/25 春の着るもの
パジャマの作り時が、やってきてしまった。
皆さま、春になりました。
春が、来てしまいました。
ようやく札幌は雪も解け、ダウンコートとブーツを装備しながらですが、自転車で出回れるようになったので、私は久々の自由の身を満喫しております。
部屋の片付けとかしなくっちゃならないのに、特に用事もないのに、自転車であっちへふらふら、こっちへふらふらしてしまうんですよね。花の芽も出始め、日差しも暖かく、とてもいい氣分で、毎日を過ごしております。
ただ、今困っていることがひとつあります。
ないんです。
服が。
春の陽氣に対応できる、小ざっぱりした、熱のこもらない、でも寒くはない……そういう服の持ち合わせが、ないのです。
はい。
去年まではどうしていたのでしょう。
多分、ジーンズがもう一本はあったと思います。でも、かなり長いこと…丈夫だったけど、5年くらいかな…履き倒したので、布が擦り切れてしまって、捨てました。
たしか、そのジーンズ、2~3日に1回は履いていたのです。
つまり、今の私は、2~3日に1度、履くパンツがない状態というわけです。
……いや、結構冗談じゃなく、その状態だな。上はともかく、下に着られるものがない。悠長なこと言ってないで、買うっきゃないわ。
と、恐らく、去年の秋ごろも思ったのです。
私はズボンではなく、布を買いました。
安い生地でできた出来合いの服から選ぶより、自分で生地を選んで、安くないお金を払って、不格好でも自分でミシンをかけて作った方が、いろいろと、いいことが多いんじゃないかな、と思ったからです。
何年か前に、自分で麻(綿麻だったかもしれない)の生地を買ってきて作ったパジャマは、まあちょいとほつれたりもしたけれど、氣持ちのいい肌触り、寝心地で、まあ良いもん作れちまったわけです。自分で作れば、素材が選べる、形が選べる、後から改造だって好きにできる。あるもんから選ぶより、作りたいもんはっきりと思い浮かぶのなら、作っちまったほうが実はラクで、かつ樂しい。
で、ズボンを作ってみようとしました。
間違って、左足を2本切り出しました。
おーわーり。
ちくしょう私には裁縫の基礎なんてもんも慎重さってもんもねえんだ。
なんてこった。
仕方ないので同じ布をまた買ってきました。
――手記はここで途切れている――。
ああ、はい。ってなわけで、そう、服のない私は、そろそろ服をね、作らねば、ならないわけですね。いえーい。
ズボンも足りてないし、もっと欲しいのは春パジャマである。夏用に作ったパジャマは襟のないラウンドネックなのだが、この時期は襟なしだと寒い。布地もほんのり厚い方がいい。で、それ用に布を買って去年軽く作ろうとしたのだが、この”襟”ってもんが、まあなんか、…なんだか、難しかったのである。
ラウンドネックのパジャマは、正味、勢いで作った。
試作が2着あって、なんというか、勘が出来ていたところに作ったし、多分実力以上のものが出せたのである。だって「作った!」「寝れねえ!」「直した!」「寝れねえ!」と言いながら毎日ミシンに向かってたし……。眠れるパジャマが欲しくて必死だったのである。
ただ今はその勢いがないし、あと襟つけなーんか…よくわからん…難しいし、どうやったら上手くいくんだ、わからん、どうだ、うーん。
ってとこで、つまづいていた。
まあ、ミシンやんないで更に時間経っちゃったけど、またやってみるしかない。欲しいもん作ろうとするなら。
なにか作りたいものがある時、必要なのはまず、想像する技術だ。
冬の間、あんまり”理想をリアルに思い浮かべて、現実にする”という作業が、やれていなかった。雪のある間は、生活で手一杯だ。どうにも現状維持的というか、今やっている・やってきたことを少しずつ改善していく、くらいの仕事・生活になっている氣がする。もちろん悪かあない。そういう時間も必要だから。
春だ。
暖かな春だ。
新しい、何かが始まるような、春だ。
うまく季節の風を掴まえて、私はきっと、今までとは違うことが、できる。
違ったやり方を試したり、美味しいお茶を飲んだり、わからないところを人に教えてもらったり、自分で観察して、思いついたことをすぐやったり、氣分転換に散歩をして川沿いに咲いた花を見たり、そういうことが、きっとすぐそこに待っていて、私を迎え入れてくれる。
スーパーへ行く道、民家脇の、細く砂利のあるスペースで、ふきのとうが顔を出していた。
そろそろ山菜の天ぷらをやりたいなと思いつつ、丁度いい暖かさの日はないのか、ずっと探っている。今日は風が冷たかったから、ホワイトソースを作ってパンに塗って食べた。
それでも、冬用のパジャマじゃあ、蒸して寝苦しいだろう。
ああ、これが、生活なんだよなあ。明日は寒いんだっけ、晴れるんだっけ。
おこづかいちょーだい!