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ギグル

 僕の偏愛するロックバンド、LUNKHEADの楽曲の中に「ギグル」という曲がある。意味は「クスクス笑う」といった感じ。
 その曲ないしLUNKHEADの素晴らしさについてはまた追々別の機会に語るとして、今日はこのとりとめも無い雑記に、恐れ多くもこの表題を引かせていただいた。

 先日、大学時代の恩師のツテで、地域の小さな朗読会に出させてもらう機会があった。
 卒業後から、毎年お声がけいただいていたのではあるが、仕事で参加できなかったり、その会自体が休止したりとままあって、出られたのは三年ぶりとなる。

 今年は、毎回一緒に出ていた友人があえなく不参加。加えて、よかったら見に来てね、と伝えていた友人も一人急遽来られないということで、僕は独り、知り合いも何もないところに飛び込むことを思い震えていた。恩師も来ない、もう一人開催を知らせていた友人も来ない、最悪のアウェーをシミュレーションしておくことでなんとか心を保とうとした。だって本当に、毎年ものすごく身内的な会なんだもの。それでいて、僕は完全なる部外者なんだもの。

 主催をしている作詩サークルの同人には、ご年配の方が多く、もちろん皆さん思い思いの作風で多彩ではあるが、どう考えても僕の激重メンヘラクソ野郎な作風が馴染むわけがなく、今回は特に持っていく作品をどれにするがギリギリまで悩んだ。本当にギリギリまで迷っていた。なんなら、新作を書き上げたのが前日の日付が変わる前で、それが完成してようやく、これを持っていこうと決めた始末だった。
 朝起きて、近くの無人スタジオで軽く練習をして、会場に向かった。スタジオを使うことさえ、後ろめたかった。そんな資格があるような出来なのかも、まるで自信がなかった。

 歩いて、歩いて血をめぐらせる。しばらくすると、頭の中を風が吹き抜けていって、少しだけ息がしやすくなる。そうして緊張のための動悸を、運動したせいだとごまかしながら会場に着いた。
 受付を済ませて中に入ると、司会は恩師周りの大学の先輩で、顔を見るなり「怜梨さん! 今日はよろしくお願いします」と声をかけられ、ほっとした。ろくすっぽ交流もなかった後輩の、顔を覚えていてくだすったことが、何よりうれしかった。
 そうして適当な席に着くと、幸いなことに件のもう一人の友人が目の前に座っていた。それだけで、ばかみたいだけど、無駄じゃなかったと思った。これでもうなんとか頑張れると思った。しばらくして、会場を見回すと、いつの間にか恩師も来ていて、いっそう心強かった。

 とはいえ会が始まってからは、気が気じゃなかった。じわじわ自分の出番が迫ってくるのが恐ろしかった。毎年毎年、僕ら大学関連の出番がプログラムの最後の方に据えられていることを、少しだけ恨んだ。さっとひと思いに殺してくれ。
 それでも三年前よりは、他の皆さんの朗読を楽しむ余裕が出ていたと思う。宮沢賢治や、中原中也を読む方もいらっしゃって、各々の解釈が本当に楽しかった。その余裕が、曲がりなりにも社会人二周目に入って多少成長したからなのか、歳を重ねて鈍くなったせいなのかは分からない。
 ステージで足が震えなくなったのは、職場でやらされる月一定例報告のおかげ、なんてお手本のような皮肉。
 いっちょ前に引いた朗読譜どおりに読めた。僕のやりたかったことはできた。もっともっとやりようはあっただろうが、少しでも練習をしていて、本当によかったと思った。
 そうして、三分あまりの出番が終わった。

 会が終わり、恩師と友人と三人でお茶をしながら、しばらく話をした。どちらにも概ね好評だったのが、信じられなかった。同時に、間違いじゃなかったと、安堵した。
 夢を見ているように浮ついていて、人の目に自分が創作者として映っているのも、不思議な気がして、でもうれしかった。
 あえぎあえぎ吸っていた酸素が、固体から気体に変わるような心持ちがした。

 僕の出番が上手くいこうが、いくまいが、会の皆様にとって僕は余興で、一晩経った頃には大半の人の記憶から消えていたことだろう。
 それでも、ステージに上がらせてもらって、出番をつつがなく終えることができた。身内とは言え、自分の朗読を聴いてもらえて、自分の作品を知覚してもらえた。褒めてもらえた。僕にとっては、確かな成功体験だった。たとえ社交辞令でも慰みでも、本当にうれしかったんだ。

 僕の普段の仕事は、平たく言ってしまえば、競合他社から客をむしり取るための仕事といっても過言ではない。A社だろうが弊社だろうが、大して取扱商品は変わらないのだ。どこへ行っても、大体のものは提供される。人聞きは悪いし、そんなことを言えば同僚や上からは怒られそうだが、認知の歪んだ僕の認識はそうだ。
 やらなくたって、いなくたって、顧客には、競合他社がきっと同じないしは似た商品を提供してくれる。全部やめたって、代わりはあるのだ。業務内容はまぁ概ね嫌いではないが、果たして本当に社会の役に立っている仕事か、無くてはならないものかと問われたら、僕は決して首を縦には振れない。何にも生み出さない仕事。
 そうして度々、空しくなる。

 誰かの唯一じゃなくて、一番になりたかった。そう思っているうちに、唯一ですらなくなった。皆、大人になって、自惚れていたのは僕だけだった。
 仕事がそうで、人間関係がそうで、さらには創作もそうだった。僕に才能なんてものはなく、その中でもとびきり継続の才能がなかった。社会人になってから、いつだって怠惰な活動だった。
 怠惰な創作者を、見初める読者がいるもんか。

 今までは、少なくとも前職の頃までは、自分の作品に愛着を持っていた。自分の作風が好きだった。(自分にとって)完璧だと、自惚れたことも一度や二度じゃない。
 それがいつしかどうにも、書くもの書くものが、手垢に塗れて、陳腐で稚拙なものに感じて仕方がなくなった。そのうち創作以外の文章ですら、ひねり出すのに吐き気が込み上げてくるようになった。見てもらえたところで、皆一笑に付して忘れていくのだと未だに思い込んでいる。そのころ受けていた書くカウンセリングでさえ、吐き気と疑心がしんどくなってやめた。
 こんなもの、愛してもらえるわけがないと思った。同時に、自分にさえ愛されない、誰にも評価されないものを、書く意味はあるのかと思い始めてからは思考が濁った。だって僕の理想はいつだって、そこかしこで輝いている。
 言葉をこねくり回す頭に吐き気がした。心が軋んで、手が錆び付いて、すべて、すべてを燃やしたかった。
 僕は、一番承認してほしかった自分に、見放されたのだ。

 今でも何かを書くのが怖い。誰にも必要とされないものだと、思い知るのが怖い。
 いっそ何もかも、すっぱり諦めて、消し去って、完全消費する側に回ろうとも考えた。何度も。とにかく楽になりたかった。
 筆を折ると言えるほどの筆もないと、考えては、あまりの情けなさに少し泣いた。

 もしかしたら、もうとっくに折れているのかもしれない。こんな頻度とクオリティで創作者など、名乗れる立場でもないことは分かっている。
 それでもそれを認めることが、こんなにも悲しいのなら。無理に筆を折るなんて、決意しなくてもいいんじゃないかと思う。書こうが書くまいが、誰かに迷惑があるわけじゃなし、どちらにしたって僕はこの先も苦しいまんまだろう。
 ただ、今は珍しく、ほんの数グラムだけ、書きたい気持ちの方が勝っている。そうして、奇しくも三年ぶりに、この場所で、この雑記を書いている。

 何が好転したわけでも、何を克服したわけでもない。未だに僕は何者でもなくて、僕の作ったものはごみくずのまま。込み上げる吐き気にも、何も変わりはない。
 それでも、時折ちらつかせられる希望が、本当に綺麗で、踊らされた心地よさが、忘れられない。この文章が、誰の目に触れなくても、誰の心に届かなくても。僕が僕を赦すために、愛せるようになるために。

 「笑う奴ら」すらいないこの海底で、僕は走り続けるしかない。苦しいけれど、かなしいけれど、走る権利に縋り付いていたい。それだけが、すべてにおいて代替可能なこの生の、たった一つの突破口となり得るだろう。
 一生独りでも、立ち止まっても、蹲っても。あげくにすっ転んで、嗤う奴が現れたとしても。この場所で書き続けていたいと、思う。いつかあなたに、出会えたらうれしい。

「きっと最後に俺たち笑おうぜ」

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