叶とわ子・外伝/第三話;感情
この作品は、pekomoguさん原作の『心の雛』のスピンオフ作品です。
【心の雛】の原作マガジン
https://note.com/pekomogu/m/me0868ad877bd
今から十年以上前に、上層部は妖精の存在と、妖精から薬が得られることを知った。
そして上層部は、この当時、病床を逼迫していた患者たちを救う為に、妖精を医療資源としようという方向に舵を切ろうとしていた。
今から約十年前に、上層部は妖精の利用に関する有識者会議を開いた。
その会議で、『妖精を狩り、その場で血液を採取し、分泌物も回収する』という案が明示された。
この会議に出席していた叶とわ子は、その方針に賛同していた。
しかし、会議に出席していた全員が賛同していた訳ではなかった。
* * *
有識者会議を司会・進行する広報官は、「ここまでで何かありましたら…」と質疑を呼び掛けた。その時、すぐに手を挙げた者が居た。
叶の隣に座っていた男性だった。浅黒い肌で厳つい体をした、カイロプラクティックの医師である。広報官に「どうぞ」と言われると、彼は立ち上がった。
「住処を襲って、皆殺し状態で狩り尽くしちまおうなんて、野蛮すぎねえか? 最初に見つかった村だと、人間と妖精は共存できてたんでしょう。その村に倣おうと、誰も思わんのか?」
男性の言葉遣いは友達に話し掛けるようなものだったが、その目には怒りが宿っているのか、些か眼光が鋭くなっていた。彼はその視線を、この三人に一人ずつ突き刺した。
広報官、生態学の先野、更には巣の襲撃を提案した昆虫学者。この三人だ。
「ですから先野先生の報告にあった通り、意思疎通が困難な上に、人を殺せる力まで持っている生物なので…」
広報官は面倒くさいと言わんばかりに溜息を吐き、顔を歪めながら先と同じ説明をした。しかし体格の良い心の医師は納得せず、反論を続けた。
「そんでも共存できてた前例があるんだから、無理じゃない筈だろう? 勿論、調査団の一人が亡くなったことは残念だ。だけど妖精からしたら、俺たちなんて大怪獣みたいなモンだから、つい怖くなっちまったのかもしれねえし」
妖精側の気持ちや事情も考えるべき。それが、この医師の考えだった。
しかし、大体の者は人間側の気持ちしか考えられない。
「貴方。今の発言、亡くなった人のご遺族にもできますか? 妖精から見たら私たちは大怪獣で、殺されても当然だという話を」
これは、生態学の先野の言葉だ。彼は机を叩き、大きな音を会議室に響かせながら立ち上がり、体格の良い心の医師を鋭く睨みつけた。
体格の良い心の医師も、同様に鋭い視線を先野に返す。
「当然とは言ってない。ただ、相手にも気持ちが…」
「気持ちと仰るなら、ご遺族の気持ちをお考えください! 妖精に殺されたのは、まだ20代の大学院生ですよ! まだご両親ともに健在でした! 知らせを聞いた彼のご両親がどれだけ悲しまれたのか、貴方はその気持ちを考えて発言されてるんですか!?」
体格の良い心の医師が喋り切る前に、先野はもの凄い剣幕で捲し立てた。叫んでいるうちに、目から涙が溢れてきた。
先野が言葉を詰まらせたタイミングで、隣の席に居た同年代の男性が彼を宥め、静かに座らせた。
心の医師は立ったまま項垂れ、一つ息を吐いて呼吸を整えてから、また顔を上げた。
「確かに無神経だったかもしれねえ。だけど本当に狩り殺す以外の手段が無いのか、考えて欲しい」
先とは異なり、静かな口調で心の医師は語った。
「俺がもう一つ気になっているのは、あんたらが【青い粉末状の分泌物】って言ってる物が、妖精と共存してた村では【妖精の涙】と呼ばれていたことだ。多分、妖精は俺たちと同じように感情があって、涙を流す気がするんだ」
その言葉を聞いて、昆虫学者と広報官が明確に鼻で笑った。
「目の近くから出るから、涙に喩えてただけでしょう?」
昆虫学者は座ったまま、乾いた笑いに混ぜながらそう言った。そして、せせら笑いながら話を続けた。
「まあでも、妖精は仲間が死ぬと、悲しくて泣くのかもしれませんね。もしそうなら、確実に泣かせる方法を考えてもらいたいですよ。貴方、心の専門家なんでしょう?」
心の医師を貶していることを隠そうともしない態度もそうだが、それ以上に「虐待方法を考えろ」という趣旨の発言を笑いながら話すこの昆虫学者に、心の医師は明確な怒りを覚えた。
浅黒い顔が、何処か赤みを帯びる。そして、彼は叫んでいた。
「仲間の死に涙を流すんなら、それは妖精が俺たちと同じような感情を持ってるっていう証拠だろう? そんな奴らを泣かせたり狩ったりするなんて、医療の為だろうが許される訳がねえ! 俺は断固として反対する!」
その声は会議室全体に響き渡った。壁に反響して、何度も聞こえたような錯覚すら感じさせた。
しかし、その声は物理的には響いても、精神的には響かなかったらしい。
「ねえ、そろそろ止めてくださる?」
彼の隣に座っていた叶とわ子は、ここに来てようやく口を開いた。
彼女は座ったまま、批判的な眼差しで彼を見上げる。心の医師は叶の方に顔を向けたが、その視線から先までの勢いは失われていた。そして、叶は彼に告げた。
「貴方のせいで、心の病の業界の印象が悪くなったら、どうしてくれるつもり? 妖精の形が人間に似てるからって、肩入れし過ぎよ。こんなの、他の動物を殺してその肉を食べるのと同じレベルの話じゃない? 貴方みたいなことを言ってたら、私たちは食事すらできなくなるわよ」
叶の言っていることは理解できる。しかし、彼は納得できない。
「でもだ。殺さずに済むなら、その方法を考えるべきじゃえのか? まして、相手が心のある生き物なら…」
彼は先と同じ話をしようとした。するとその時、叶の表情が変わった。
叶は座ったまま、鋭い目で彼を見上げた。睨みつけたと言った方が正確か?
思わず彼も言葉を詰まらせた。そして、叶は彼に言った。
「心が心がって言うなら、亡くなった大学院生のご遺族や先野先生の心を考えなさい! 貴方はその薄っぺらい理想論で、妖精に殺された子の死を無駄死にする気? 彼は命と引き替えに、妖精の危険性を私たちに教えてくれたのよ! 次の犠牲者を出さない為に! 最も優先すべきことは何なのか、考えなさいよ!」
怒声と言って差し支えない程、激しい口調だった。叶の目は血走り、涙を流しそうな気配すらあった。
彼女は見知らぬ大学院生の死を、我が事のように捉えていたようにも見えた。
叶の気迫に圧倒されて、彼は何も言えなかった。
そして、誰かが拍手をし始めた。すると、他の人も拍手をし始めた。一人また一人と、拍手をする人が増えた。
「いいぞ! よく言った!」
そんな声も聞こえた。拍手は確実に叶の発言を賞賛するものだった。
心の医師は反口を噤まざるを得なくなった。
場が静まると、また別の人物が手を挙げた。広報官はその人物を指名した。
挙手したのは、叶より少し若いと思われる男性だった。叶の隣にいる男性とは異なり、細身に厚い眼鏡という、漫画のガリ勉学生がそのまま大人になったような雰囲気のする人物だった。
彼の名は園崎進。専門は遺伝子工学である。
園崎は立ち上がってから、静かな口調で語り始めた。
「私は妖精に感情があるとか無いとかは、全く興味無いんですけど…。この生物の個体数とかって、全く判ってないんですよね? 今日まで想像上の生き物と思われてたような存在なんだから、個体数はかなり少ないと考えた方が良いですよね? 今日、狩った一匹が最後の一匹でした! なんてオチになりかねませんよ」
どちらかと言えば、彼の意見は心の医師に近かった。
「じゃあ、どうするんだ?」
と、すかさず飛んできたヤジ気味の反論に対して、彼は静かな口調のまま返した。
「妖精の血液から有効成分を特定して、それを人為的に合成する手法を考案する。この研究にも、科研費を回して頂けませんか?」
決して感情論ではない、冷静な提案だった。
多くの人が悪い案だと思わなかったのか、この案に対して反発は無かった。
しかし、広報官は余り良い顔をしていなかった。
「悪い研究とは思いませんが…。そういう研究って、実用化までに何十年と掛かりますよね? 今週中に有効成分を特定して、製薬工場で量産できる段階まで研究を進めてくださるなら問題ありませんが、時間の保証ができないなら…」
園崎という学者は舌打ちをしながら、また席に座った。
* * *
この会議を経て、「捕獲ちゃん」と名付けられた妖精を狩る道具の開発が進められ、国内の生息域を特定された妖精たちは狩られるようになった。
そして妖精の血液や【青い粉末状の分泌物】は、優れた薬用効果を持つ薬として医療現場で用いられるようになった。
しかし妖精を狩りつくした場合の保険として、園崎が提案した『有効成分の特定と、その成分を人為的に合成する手法の開発』にも科研費は幾らか回されることになった。
会議の直後、叶は生態学者の先野に礼を言われた。
「指導学生の死を無駄にしないと言ってくれて、ありがとう。嬉しかった」と。
たった一人だが、傷ついた心を少しでも癒せたので、叶は安堵した。
そして妖精との共存を訴えていた心の医師は…。
上層部は、方針に従わおうとしなかった彼を非国民と認定し、社会的に葬ることにした。
かくして彼は、憶測にすぎない持論で議論を搔き乱した挙句、命を落とした調査団員やその遺族を侮辱したと、謂れのない咎めを受け、医師免許を剥奪された。
その後、関係のあった医療関係者とは二度と連絡が取れない所に送られたらしい。