叶とわ子・外伝/第五話;理解
この作品は、pekomoguさん原作の『心の雛』のスピンオフ作品です。
【心の雛】の原作マガジン
https://note.com/pekomogu/m/me0868ad877bd
奥野心は胸ポケットに妖精を入れていた。叶とわ子は捕獲ちゃんを起動させ、そこから妖精を引きずり出して、狩ろうとした。その時、奥野心は身を挺して妖精を庇い、妖精の代わりに自分が捕獲ちゃんの刃を受けた。
あの時、叶とわ子は知った。妖精が人語を解し、意思疎通ができることを。
今まで、妖精は言語を持たない生物で、意思疎通は不可能と言われていた。しかしながら奥野心が保護していた妖精は、かつて考えられていた妖精像とはかなり異なった。
「十年くらい前に考えられていた妖精の姿は、だいぶ間違ったものだったのかしら?」
叶がその考えに至るのに、大して時間は掛からなかった。
だから、奥野心の医院に通って、雛と名付けられた妖精の観察をすることにしたのだ。
そういう理由で、あれだけ大暴れした数日後、叶は性懲りも無く奥野心の医院を訪れた。
目的の半分が診療で、もう半分が観察だった。
「この妖精、よく私の前に姿を見せるわね。私が怖くないの?」
雛という妖精は奥野心の肩の上に乗り、彼の首にしがみついた状態で、自分を出迎えた。これが意外過ぎて、叶の目は点になった。
思い返せば、自分が捕獲ちゃんを使った日、この妖精は自分と奥野心と一緒にティータイムの席に同席していた。
自分を殺そうとした相手と、平然とお茶を嗜んでいたのだ。
「自分が何をされそうになったのか、それが理解できないくらい知能が低いの? いや。そこまで知能が低い動物が、言葉を理解して使いこなせる訳が無いわね」
言葉は脳の中だけに留め、奥野心の診察を受けながら、叶は妖精の観察を続けた。すると気付いた。
「睨みつけてる。やっぱり私を敵として認定してるみたいね」
雛という妖精は、奥野心の首にしがみつきながら、目を吊り上げて叶を凝視していた。心に触れなくとも、その視線から怒りや敵愾心を察することは容易にできた。
そして奥野心の首にしがみついているのは、自分に対する恐怖心の現れだと推測した。
だとすると、余計に理解できない。
何故、自分を殺そうとした相手の前に姿を見せる?
悩んでいると、叶はあのことを思い出した。
「この妖精、私を魔法で外に放り出したわね。あれだけの力があれば、私を殺すこともできる。もしかして、隙を見て殺す気なのかしら?」
その可能性も充分に考えられた。現に、妖精の魔法で命を落とした人はいる。妖精にとって、実は人間など恐れる程の存在ではないのかもしれない。
しかし、この説には自分が頷きかねた。
「殺す気なら、とっくに殺してるわね。あの日、捕獲ちゃんを魔法で操って、私を傷つけることもできた筈だけど、この妖精はそれをやらなかった」
この妖精に殺意は無い。それはその妖精の行動が実証している。すぐその結論に至った。
そして叶は、ある事実にも気付いた。
「羽が全部無くなってる。私を外に飛ばした時、反動で最後の一枚も捥げたのかしら」
この妖精は最初に見た時、左側に下羽が一枚だけ残っていた。しかし、今は一枚も羽が無い。
妖精は魔法を使うと、その反動なのか体が傷つくと、捕獲要員たちの証言で知られていた。
その点から考えると、この妖精は残り一枚の羽を犠牲にして、あの日、自分を外に出したのだろうと容易に想像できた。
そして思った。
「多分、もう強い魔法は使えないわね。と言うか、羽を捥いでまでしたのに、私を殺さなかったの? 私を殺せば、確実に危機を回避できたのに…」
もしかして妖精は余り凶暴ではなく、むしろ攻撃性の低い生物なのかもしれない。叶はそう思い始めていた。
だがそうすると、余計に理解できない。
「なら、どうして私の前に姿を見せるの? もう抵抗する力も、殺す力も失ってるのに。やっぱり知能が低いの?」
本当に理解しかねた。これは一回の観察では、理解し切れなかった。
* * *
叶は、また日を改めて二回目の観察に臨んだ。
この時も、雛という妖精は堂々と姿を現した。今回は胸ポケットに入り、頭だけを外に出していた。そして相変わらず、斜め上に吊り上げた目で叶を睨んでいた。
「何なの? どうして私の前に姿を現すの?」
叶は悩みながら、診察を受けた。そして、心を整えられながら考えた。
この妖精の行動には、本当に不可解な点が多すぎる。
初めてこの医院を訪れた時、この妖精の姿を確認した。おそらく咄嗟に植木鉢に隠れてたのを、わざわざ奥野心が摘まみ上げて胸ポケットに入れたから、その時にはっきりと目撃できた。
捕獲ちゃんを使ったあの日は、今日と同様に胸ポケットに入っていた。
最初から羽を三枚失っていたことから、人間に襲われた経験があってもおかしくない。
それなのに、どうして人間に見つかるリスクを冒すのか?
見つからないよう、診療時間中は患者が立ち入らない場所に籠っているとか、防衛措置を取らないのか?
敵意を籠めた視線や、自分を医院の外に出した行為から、性善説を心の底から信じている完全な平和主義者ではなさそうだ。
それなら何故、自分を殺しかねない人間の前に現れる?
本当に謎だったが、暫くするとその理由が理解できる行動が確認された。
「歯軋り? まさか…」
叶は見た。ある瞬間、雛という妖精が奥野心の顔を見上げ、歯軋りしているのを。
その様子から感じ取れた感情は、敵愾心や悪意ではない。おそらく…嫉妬だ。
それに気付いた時、叶は雛という妖精の行動が全て納得できた。
「この子、他の女に心先生が構っているのが嫌なんだ。危険な人間の前に平気で出て来るのも、心先生と一緒に居たいから。いや、まさか心先生を守ってるつもりなのかも?」
それが理解できた瞬間、何だか拍子抜けして乾いた笑いが口から洩れそうになった。叶はそれを必死に堪え、滑稽な妖精の少女に生温かくも微笑ましい視線を送る。
「担任の先生にガチ恋してる小六女子じゃないんだから…」
呆れているのか、それとも感心しているのか。
叶の感情は複雑だった。
しかしこの時、叶は確信した。
妖精は体がちょっと小さいだけで、人間と何も変わらないのだと。
「この子のメンタルは、想像を絶する程に頑丈なんでしょうね。殺されそうになった恐怖より、好きな人に他の女が寄り付く怒り、はたまた好きな人と一緒に居たい気持ちが上回る。だから自分を殺そうとした相手とも、平気で対峙できる。そんな所かしら? 色気づき始めた、気の強い肉食系女子の予備軍ね」
叶の中で、雛の人物像はほぼ固まった。
* * *
妖精は虫ではなかった。私たちと何も変わらない、心を持っていた。そんな妖精たちが容赦なく狩られているこの現状を、何とかしらなければならない。
そのことに気付いてから、叶とわ子は明確に変わった。そして、この決意を実現するべく、動き始めた。