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木を見て森を見ず
「木をを見て森を見ず」とは?
もっと言うと、
葉を見て、木を見ず。
でも逆もあって、
森を見て、木を見ず。
木を見て、葉を見ず。
「どっち?」っていう感じですが、この言葉には続きがあります。
「一枚の葉にとらわれては木は見えん、一本の木にとらわれては森は見えん。
どこにも心を留めず見るともなく全体を見る。それがどうやら「見る」ということのようだ(沢庵)」
これは漫画「バカボンド」の4巻で沢庵宗彭氏(沢庵漬けの考案者といわれているお坊さん、気になる人はリンクをどうぞ↑)が言う言葉。
これの元々の言葉は
「葉一つに心をとられ候(そうら)わば、残りの葉は見えず。一つに心を止めねば、百千の葉みな見え申し候(そうろう)。是(これ)を得心したる人は、即ち千手千眼の観音にて候」
で、現代語訳(+漫画でわかりやすく)すると、上の文章になるという感じ。
「どこにも心を留めず、、見る事なく全体を見る。」
とても難しい事ですが、大切な事だなと思います。
自分は建築の仕事をして、設計の仕事をしています。
この言葉がとても大事な事だと感じ時があります。
家の設計をしていて、何かに心が囚われれば他が見えなくなる事が多々ある。
というか、建築設計にかかわらず、仕事や家庭など実生活でも、こういう事はよくありますよね。
何かに気を取られすぎてて、周りが見えていない。事や
周りや他人の空気感に気を取られすぎて、ホントにやりたいピンポイントがわからなくなる事。
などなど、大人も子供もあると思います。
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建築の仕事をしていて、葉に、木に囚われてしまう時
例えば、その家から見える景色。
本当に大切な事だけど、それに囚われるあまり、日当たりとか寒さの事を考えられなくなる。でも、逆に、それが(景色が)とても大切な場合もある。
間取りの形状であったり、家の外観であったりに囚われすぎて、使いにくくなってしまうとかもあるけど、これもまた逆も然り。
使いにくさも踏まえて、でもそれでも、それよりも大切な場合もある、外観や間取り。その想いの強さが良い場合もある。
なのでプランニングしている時は、葉に囚われず、木に囚われず、森を見ながら、どこかに心をとめずに、見ることなく全体を見る。
という事を意識するようにしています。(できているかどうかは別ですが…)
ここで言う所の葉は、建築の場合は、詳細のディティールなのかなとは思う。
で、木は間取り。森はなんでしょうね。街並みとかなのかな。
でも、諸先輩方(二周りくらい年上の建築士の方)とかとプランや納まり、建築の話をしていると「見ることなく全体を見る」という事の解像度が自分とはまだまだ全然レベルの高いところが「見えている」なあという感じをうける事もあります。
もちろん全体を見るのだけど、葉を見ることなく見るというレベルが高い。
葉脈レベルまでを見ながらも、心を囚われずに、見ることなく全体を見ている。
自分もいつかは、同じような「見る」という事ができるようになりたいと思います。
できるようになりたい事
葉脈も見ながらも全体を見る。
細から粗の部分へ。また、その逆も。
経験を積みながら、自分の中に積み重なっていくものを増やしていく。
けど、それが決して思い込み・こだわりになりすぎないように。
新しいモノは取り入れながら、良いものと掛け合わせる。
そんな建築が考えられるようになれたら、良いなぁ。
と思っています。
まる。
まるやま設計室
丸山 雄太 yuta maruyama
tel: 080-9837-2860
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