長野県の片田舎にある小さな設計室の自己紹介
自己紹介
はじめまして。
長野県北安曇郡池田町というところで、まるやま設計室という設計事務所をしている丸山 雄太です。
初めて「note」での記事を書いてみます。
読みにくい点もあるかと思いますがお付い合いください。
今回は初めてなので自己紹介をさせていただきます。
生まれたのは1984年3月。2023年6月現在で39歳です。
生まれ育ったのも、現在住んでいる池田町という長野県にある田舎町です。
現在、妻と子供たち(7歳の男の子と5歳の女の子)の4人で、実家にあった築50年ほどの離れをリノベーションした建物に、子供たちのやんちゃぶりに振り回されながら、暮らしています。
以降の文章は、私の経歴等を書き出してみましたが、長くなってしまったので、ご興味があればご覧いただければと嬉しいです。
経歴をざっくりと
池田町の生まれで、高校生までは池田町で育ちました。
ホントに何の変哲もない田舎の、普通の家庭で育ったように思っています。
自分が生まれ育った家は今現在は、建て替えていて残っていません。
今思うと少し変わった土地と建物の使い方をしていて、敷地の中に家が2つ(母屋と離れ)ありました。
私が小さい頃住んでいた家(厳密に言うと居間と台所、お風呂が在ったほうの家)は、古民家というとカッコいい感じがあるかもしれませんが、そういう感じは無く、ただ古い家という感じでした。
屋根裏部屋は暗く、物がたくさんで、怖かった印象が残っています。
今、私たちがリノベーションして住んでいる離れは、私が子供の頃は、和室が4部屋とトイレだけがあるような家で、そちらの家で寝るという不思議な家の使い方をしている家でした。
建物の位置関係はこんな感じです ↓
今は母屋に私の父と母が住み、離れに私たち家族が住んでいるという状況です。
住む世代が交互に変わるような、家や土地の使い方をしている不思議な家です。
話が逸れましたが、そんな感じの家で高校まで育ち(母屋の古民家は中学生の時に建替えて今の建物となりました)大学は長野県から出て、石川県の大学へ行きました。
なぜ建築の道へ進んだのか
大学に入学する際、というか大学を選ぶ時には「将来何の仕事をするつもりか?」というお題目を含め、学校というか学科を選ぶ必要がありました。
まだその時は「何をしようか?」「何を仕事にしようか?」という事に鈍感でハッキリと「コレがしたい!」みたいな事はなかったように記憶しています。
ただ、高校の時に物理が得意で楽しかったので、何かそれを使えるような事を仕事にできたら良いなぁくらいの気持ちで、建築学科というものを選びました。
建築学科と言っても、卒業後の選択肢はさまざまです。
王道中の王道としては、建築の設計・意匠を学び、設計事務所に就職するパターン。
またはインテリアであったり、あるいは構造設計事務所であったり、ハウスメーカーや工務店の営業や設計、工務など。
公務員試験を受けて公務員になる人などもいます。
設計の勉強が楽しかったので、設計をできる仕事ができたら良いなと思って設計事務所などを受けたりもしました。
色々悩んだ末、私は長野県にある工務店に就職する事となりました。
就職をしてみて。工務店時代。
新卒で入った工務店。
長野県に本社のあるアトリエデフという工務店です。
就職を考えたとき、建物の設計といっても凄く幅が広くて色々あります。その中でも住宅の設計に惹かれるものがあり、工務店に入りました。
私が入社した時は、社内には設計課みたいなモノは無く、外部の設計士さんに設計の業務を依頼していて、アトリエデフでの業務としては、現場監督(現場の工程管理、品質管理など)の仕事を主にしていて、私も入社から2年間は現場監督の仕事をしていました。
現場監督の仕事はすごく大変でした。
というのは、仕事の量というより、職人さん(大工さん、左官屋さん、基礎屋さん)たちに工程(家を作るスケジュール)を伝え、職人さんの入るタイミングを調整し、先方の予定も加味する。
そのうえで工程が遅れないように、材料を発注する。
で、出来上がった内容のチェック。というのが、すごくざっくりの仕事ですが、職人さん達はみんなおじさんで、思った通りに動いてくれなかったり、材料が予定より納期がかかってしまったりと、自分がどれだけやっても仕事が進まない…という事があるんだなというのを感じました。
学校の勉強とかは、自分が頑張ってやれば一応それなりには進むけど、社会に出て人に何かをお願いして、やってもらうという難しさを新卒の1年目に痛感しました。
そこで2年間、現場監督の仕事をしていて、その間に会社に一級建築士の人が入社してきて、設計課なるものができ、私がその人の部下として設計課へと晴れて異動という形になりました。
仕事として設計の仕事を始める
設計の仕事になり現場監督と違うなと感じたのは、設計の仕事は、もちろんすべてではないですが、自分が頑張れば仕事が進んでいく事が、現場監督より多いなと感じ、それが楽しかったです。
特に最初は、図面を書くような仕事が多かったので、「自分がやれば終わる」という感覚は大きかったです。
工務店にいると、職人さんとの距離感も設計事務所などより近い感じで、わからない事などは直接職人さんに聞けるというのも、とても良い環境だなと感じました。
今でも「あれ?コレってどうやって納めよう。」という時に相談できる職人さんがいるのは、ありがたい事です。
設計事務所として、独立をする。
だいぶ端折りますが、そんなこんなで新卒で入ったアトリエデフという工務店ですが、最終的に15年ほど在籍する事になりました。
アトリエデフという工務店は変わっていて、工務店の業務とは別に、仕事として山の下草刈りや、植林へ行ったり、間伐をしたりなどなど色々しています。それが性に合ったのかどうか、だいぶ長い間お世話になりました。
そんな中で、自分で設計事務所をやってみる。
建築の仕事をし始めてから、ぼんやりと思っていた独立を考え、地元の長野県池田町で設計事務所を開設しました。
まだまだ、自分の設計や建築で何をしていきたいのか?という事がぼんやりとしている部分があるので、このnoteを使い、文字・言葉として残しておくことで自分でも再認識できるのかなとも思い、文章にしていってみます。
これから設計事務所として取り組みたいと思っていること。
自分がやりたいなと思っていたこと。
それは自分の生まれた場所、地域であったり、家であったり。
それを大切にして、次の世代に引き継いでいく事。
その手助けを間接的にでもできればなと思っています。
今の自分ができるのは、家の設計、素材の事、暮らし方というか住まい方と言うかの提案や、その建物自体であったり、庭とかも含めた提案。
だから、まずは自分の家族・家・土地・地域を大切にしてもらいたいなと思います。
そして、そう思ってもらえるような土地、家を提供し、そこで暮らす家族、しいては、その子供や孫と世代を超えて、その家、家族、地域、社会を大切に育むような心が芽生える事の1%でも寄与する事ができたら素敵だし、楽しいし、いいなあって思ってます。
やはり作る側(設計士以外も大工さんや左官屋さん、基礎屋さんなど、あと施主となるお客様自身も含めて)の熱量は、図面や建物に伝わるモノだなぁと、今まで建築業界で仕事をしてきて感じました。
そして、その熱量は仮に住む人が変わって、その建物をリノベーションする時も伝わるモノだなと感じてます。
最終的には、家族を大切にして、家を大切にして、地域を大切にして、地域ごとのつながりを大切にして、同じような気持ちの人達が、地域ごと地域ごとであったり、地域を超えて繋がる事で、その輪は広がり、日本へ、もっと言うと世界へと、身近な人を大切に思う気持ちの輪が広がり、それが当たり前になるような社会へと少しでも変わるといいなぁという思いが浮かびました。
あくまで自分ができるのは、その一端の「家」をつくる事だけど、そこから人の気持ちへ訴えかける事はできるはずかなと。
別に世界を良くしよう!とか、地球が危機的な状況だから!とか。そういう人の気持ちを恐怖心で訴えかけるのではなく、「身近な人と豊かな暮らしを紡ぐ事」、幸せだなと感じてもらう事、それをちょっとだけ地域と関わる事で輪を広げ、大きな力に変わっていくような事ができたらなぁと感じてます。
別に地域から出ていく事を反対しているわけではなくて、自分が良いなと思った場所であれば、自分が生まれ育った場所以上に大切に思えるだろうし、そういう気持ちは、子供にも伝わるであろうし。それがずっと伝わっていけばいいなと思います。
なんていう事を、息子をバス停まで迎えに行った、家までの帰り道。
自分が歩いた通学路と同じ道を、息子が歩いている景色が、ただの田舎道でしかないけど、壊されてない。って感じて、こんな事を感じました。
以上、すごく長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただき嬉しい限りです。
ありがとうございました!
まるやま設計室
丸山 雄太 yuta maruyama
tel: 080-9837-2860
e-mail: yuta.maruyama00@gmail.com
instagram: https://www.instagram.com/maruyama_sekkei/
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