カンチャ@ベトナム

18歳でベトナムに渡り、現在は北部の地方都市住み。誰に話すともない自分の考えをつらつら。はまりやすく冷めやすいので、いつまで続くかな。

カンチャ@ベトナム

18歳でベトナムに渡り、現在は北部の地方都市住み。誰に話すともない自分の考えをつらつら。はまりやすく冷めやすいので、いつまで続くかな。

最近の記事

赤ちゃんの生歯熱と科学、ついでに韮汁

赤ちゃんは歯が生えるときに熱がでる。 こっちでは当たり前の説として通っていて、私もそんなもんだと思っていたが、どうやら違うらしい。 次女が発熱。心配していた日本にいる母や祖母に、 歯が生えて熱が出てるだけだから大丈夫ー と電話で話すと、 そんなこと聞いたこともない! と言われて驚いた。 まさかの共通認識でなかったのか。 長女が乳児の時は病気が少なったので、この話をしたことがなかったか。 赤ちゃんの生歯熱と科学  日本語で調べると、生歯熱というワードはあるようだ。乳歯が

    • ベトナムの地方で新卒が現地採用されるまで

       今から2年半ほど前の就活記。ハノイでの生活に別れを告げ、地方都市にある夫の実家に引っ越して2年経った頃。コロナ禍を田舎で乗り越え、一応学位を取得。家から通える就職先を探し始める。 就活時の状況  ・新卒     ・外国語学部出身  ・ベトナム人配偶者あり(学生結婚)     ・夫の実家暮らし 地方で就職したかった理由  単純にベトナムの都会が好きでなかったから。ハノイでの生活は物質的な豊かさがあっても、精神的にどんどん摩耗していく。あくまで個人的な意見だが、数か月か

      • お義母さんの赤ちゃんのときの写真

         お義母さんは1972年生まれ、ベトナム戦争中に爆誕した。  お義母さんのお母さん(以下、おばあさん)はハノイ出身で私が嫁いだ時には既に亡くなってしまった。当時、戦争で不在の夫に代わってほぼ一人で家を守り、子供を産み育てたという。  お父さん(以下、おじいさん)は今でもご健在で、会えば曾孫をよく可愛がってくれる素敵なご老人である。ベトナム戦争中はサイゴンに入り、ジャングルでアメリカ軍と戦った。仲間が爆撃やマラリアでどんどん死んでいく中、五体満足で帰還した奇跡の人物である。

        • 歯でわかる人種の違い

          夫の歯がちょっと自分とは違うなと思ってきた。具体的には、形と歯の分厚さ、大きさ。 夫の歯:丸っこい形。下の前歯にも厚みがあり、裏に凹みなし。全体的に小さい。 私の歯:角ばった形。前歯は上下とも裏に凹みあり、歯茎から離れるほど薄くなる。大きい。(ベトナム人によく歯が大きいと言われる。)ちなみに、長女の歯はまだ乳歯であるが私の歯と似ている。  小さい頃歯の矯正をしたのだが、私の歯の裏がくぼんでいるのを見て心配した母が歯科医の先生に聞いたことがあった。母の歯の裏はくぼんでいなか

          ベトナムの地方で出産した私が、妊娠中に見聞き・体験したあるある一部

          ベトナムの北部の地方都市で2回妊娠出産を経験して、新鮮だと思った考え方、習慣、風習。  ※注意書きとして、下記の内容は昔から伝わる良くも悪くも伝統的観念・価値観である。科学が発達した現在では推奨されていないこともあり、インターネットの普及や教育レベルの向上で、変化が生まれつつある旨もお伝えしておく。 1.男の子命  ベトナムではまだまだ男の子が好まれる傾向が高い。ここ数年、人工受精の技術が浸透した結果産み分けが一般的になってきた。確実に男の子が欲しい場合、何百万円もかけて

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          ベトナムで避妊インプラントをいれてみた【写真付き】

          場所 Facebookでヒットした地元市内の産婦人科の診療所。行って知ったが、私が第二子を出産した省病院産婦人科長がされている診療所だった。 手続き 名前、年齢、避妊インプラントを入れたいことを伝える。最後に出産してどれくらいか聞かれる。 お医者さんからの説明 避妊インプラントの効果、利点、欠点を説明される。 ・避妊できる確立は99% ・効果はまる3年間 ・インプラント挿入後は、月経の異常(無月経、過多月経、月経周期が安定しないなど)が見られるが、問題はない ・

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          会えるかも、という淡い思い

           私の叔母の元旦那さん(以下:Sさん)はベトナムのフエの方であった。私がSさんに会ったのは恐らく生後3,4か月の赤ん坊の頃である。その後すぐに離婚しているので、顔どころか名前も最近まで知らなかった。  私の中でSさんは謎のベールに包まれているのだが、同時に心惹かれる人物であった。特にベトナム語の勉強を始めた高校生の頃から、Sさんへの興味は増し、会ってみたいという気持ちが大きくなっていった。  20年ほど前にどのように叔母とフエで出会ったのか、日本に来てどのように感じたのか

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          1年前、唯一知っている日本語は「おばあちゃん」だった

           長女Tの日本語について書きたい。娘は3歳、ベトナム生まれベトナム育ち。幼稚園も地元の普通の幼稚園。ベトナム北部の地方都市で、外国人を見かけることがまだ少ない地域である。  Tがタイトルの状態から日本語学習というものを始めて7か月ほど経とうとしている。文字の読み書きはまだノータッチ、発話も少ないが、既に私が話す日本語がだいたい理解できるようになった。 ベトナム語育児の結果、日本語能力ほぼゼロ  Tを出産してから、ベトナム語で育児をしてきた。家庭で日本語をほとんど使ってこな

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          ベトナムの田を前に日本の田を思う

          田中の小路を辿る人も  子守唄として朧月夜を歌っていると、この一節に毎度想像力を掻き立てられる。山あいのひっそりとした田んぼの映像が頭に浮かぶ。その広大な田の真ん中のあぜ道を足早に通る人。心の原風景である。  ベトナムの稲作は2期作である。4月から10月の半年で、小さい苗の背が高くなり、段々と首を垂れていく姿が2回見られるのである。  1サイクル目の稲刈りは真夏に行われる。夏の稲刈りは大変である。皆、暑さが少し和らぐ夕方4時ごろから繰り出して、稲を刈るのである。現在も稲刈

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          ベトナムでマイホームを建てたい

          今は机上の空論である  私め、2021年より義両親と同居している。義両親は優しいので、これまでも何かと文化や世代の違いに戸惑いつつも、関係はまあ良好。もちろんお互い不満もあると思うが、大喧嘩はしたことない。下の子がまだ幼稚園に預けられる年齢でないが、義両親が面倒見てくれるので、私は仕事に勉強に邁進させてもらっている。そこは本当にありがたいと思っている。    実家は1990年後半に建てられ、当時は村一番オシャレで大きかったとか。しかし部屋数が圧倒的に少ないのである。四方と天

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