頑張って疲れたから、真の望みに興味を向けてみる。
私たちは、頑張ることを頑張って、
頑張ることが日常の世。
今があるのは生きてるから。
生きてるから今がある。
生きてるのは生命のお陰で、
頑張る思考のワタシじゃない。
頑張らないで、生きていいんだよね。
子供の頃に大人達から、頑張り屋さんだね。
偉いねー。頑張りを褒められた。
頑張りは嬉しがって、もっと頑張ろう!って、頑張り始めた。褒められスキルを覚えた。
大人になったら、褒められることがなくなった。
あれっ?頑張っても褒められないぞ。
頑張りが足りないのか?じゃあ、もっと頑張ろう!って、
長い間、カラダに頑張ることを強いてきた。
頑張りは、誰のためだったんだろうか。
何のためだったのかも、わからない頑張り。
頑張るを頑張る癖。
なんとなしに頑張ってしまうことを、
もうやめたいな。終わりにしたい。
頼りたい、甘えたい。ゆるんでたい。
助けること、支えるのをやめたい。
助けて欲しい。支えてくれる友達欲しい。
わハハッって、面白おかしく笑い合ってたい。
もっとカラダも望みも自由で、
勝手に起こる豊さと愛は、なだれのように流れたらいい。
恥ずかしさなく、言えるようになった。
そうなれたのは、
子供の頃から好きだった観察。
例えば、車の流れをボーッとじっくり観る。
流れる雲をボーッとじっくり観る。
流れる川をボーッとじっくり観る。
頭空っぽになる。
すると頭にあった意識がカラダの中心にある。
そして、中心にあるそれをそのまま見つめ感じる。
流れてる何か(音とか、風とか、五感に触れるもの)の中心に意識を置く、ある感覚。
自然と一体になったような感覚。
ある。って感覚。存在してる感覚。
今。を感覚的にカラダがそう捉えると、
その一瞬一瞬は、自然の一部と感覚が想いだしてきて、あ〜生きてる。って、涙でる。
鬱なのか?頭おかしいよね?と思われるのも嫌だな。
と、思ったから、やらないようにしてた。
それ意味あるの?
それでなんかなるの?
現実変わるとか思ってんの?と、頭が言う。
意味?よくわからん。
けれど、ちょっと期待してるかな。
変化は訪れるはず。
それを信じたい。
目の前の現実が一瞬で変わるとかじゃないけど、
温泉に入って、はぁ〜♪ってなる。幸せだし♡
安心、幸せ、感謝に包まれてて、
カラダが汗ばんで、熱い。
今までは、冷え、寒い、固い、トゲトゲ、イライラ、ザガサガサ、チクチク、キンキン、グチャグチャ、グシャグシャ感。不安と心配と恐怖で居場所がないと感じてた。
望みなんてない。やりたいことも分からない。
どうせ…だった。
安心に包まれてる感覚を、カラダが想い出して覚えたら、素直にこれやりたいが出てくるかなって。
真の望みを知りたい、そして叶えたい。
何が起こるかわからない。
怖いよ。
だけど、ゆるんでみる。任せる。
ただ今、実験中。