子ども達のNeohyumanity (ネオヒューマニティー)新しい時代の人間性や倫理的価値観の革新
新しい時代に入り、テクノロジーの進化やグローバリゼーションがもたらす変化。効率化と利益優先といった殺伐とした現代社会の中で、こども達が新たなる未来への豊かな道を見出すために必要なこと。私は常に探求し実践しています。
その原動にあるものは単純に「どの子も幸せに生きてほしい」そんな純粋な思いです。
人間の子どもは、システムや決められた箱、バーチャルな世界の中で、人間が最も大切にしなければならない「人間らしさ」を育むことはできません。
しかし、これらのルーティーンの中で大切なこども時代を送る子どもが大半であることは現実なのです。
そこで私は、自身が運営するRYUHOW'S Children Art House で、
「ネオヒューマニティー=新しい時代の人間性や倫理的価値観の革新」
に視点を置き、子ども達が人間としての本質を自ら磨き、一人ひとりが豊かな未来を築いていけるよう、自分たちは「美しい世界に生まれたこと」を知る環境作りをしています。
そして、「美しいを知る」「感じるままに」「楽しむを知る」をテーマに、
「RYUHOW'S Children Art House Tokyo」と「世界遺産京都仁和寺」という二つの拠点で、子ども達の美しく豊かな藝術環境づくりを整えています。
「テクノロジーとの共存」「ダイバーシティとインクルージョン」といった多様性を尊重し共生する時代を生きるこども達の未来形成は「自己を理解すること」から始まります。
新しい時代を歩む子ども達にとって豊かに生きるために大切なことは、
美しい文化やルーツを知り、こども達一人ひとりがアイデンティティー形成すること。
私たち人間は感受性と感性が豊かな動物であることを自覚すること。
他者を思いやる心がある人間になること。
そして、様々なバックグラウンドを持つ人々と協力し新しい価値を創造することができる人となること。
私は、子ども達のそして人類の豊かな未来を想像し、
「RYUHOW'S Children Art House Tokyo」と「世界遺産京都仁和寺」で、子ども達の新しいフレームワークを創りはじめています。
私たちは「人間」という動物である
近年私は、お父さんお母さんから「子どもの何を育ててあげればいいのか、どんな経験をさせればいいのか分からない。」と頻繁にご相談を受けるようになりました。先の見えないAI時代を生きていく子ども達が身につけるべきこと経験させるべきこととは何か。子を育てている親という立場から既に分からなくなっている方か多くいるのが実情です。
こども達の成長も時代の進化スピードも速いことから、手探りをしている時間もありません。しかし考えようによれば手探りも時間も必要ありません。
質問を受けた時、私はいつもこう言います。
「今も昔も子ども達が "子ども時代" に育まなけれなばならないのは、人間性です。一番大切なのは、学力でも知識でもありません。もちろん学力や知識があれば徳をします。しかし人間という動物として育まなければならないことを育まずに成長した時、生きる原動力や人間としての発展性という人間として一番力強くて豊かで美しいことが乏しくなってしまいます。また進むべき道すら間違ってしまうのです。
AI時代になったからといって人間の本質は変わりません。
人間が創り出した人工的な環境にいると、様々なモノ・コト・仕組みに囲まれ、私たちは本来の姿を見失いがちですが、私たちは「人間」という動物です。人間は何に喜び、何を求め、何を発展させ、そのために何が必要なのかを考えれば自ずと答えも見つかります。AI時代になったからといって子を育てる根本は変わらないのです。
人間には他の動物にはない、知能・感情・感性がそなわっていますが、人類は近年、知能の発達に目を向け続け大切な感情や感性を磨くことを忘れ、発展してきてしまいました。社会の発展や利便性、テクノロジーの発展は、人間の原点「心」を基本に考えることを時として見失わせてしまうのです。
私は、子ども達と30年の間、藝術を通し心を通わせてきた中で、こども達の感情や感性の大きな変化について、危機感を持って警鐘を鳴らします。
現代社会の流れに沿って「社会のマニアル通り」に育てるのは楽かもしれませんが、相対的に子どもの将来は楽ではないのです。人間の歴史が生み出した現代の「社会の子育てマニアル」は、社会の仕組みに組み込まれ、誰もが気が付かないうちにそのレールに乗っています。「社会の子育てマニアル」はどこに存在して、どんなふうに子ども達がそのレールに乗っているかを考えてみると新しい時代に適した育て方も見えてきます。
現代社会では、「人間の最も大切な感情と感性を大切に子を育てていくこと」を見失い多くの人が気が付かずに子育てが終わってしまう。そんな時代でもあるのです。
「人間という動物」として育てる。
子どものパーソナリティーを大切にし、五感を磨き、人間らしく豊かに生きることを教え、「自己を知ること」自分とはどんな動物なのか。が分かる経験をさせてあげる。
子どもも大人も「大切なことは何か」を見失わず21世紀を歩むことができること。簡単なようで簡単でないこと。私もいつも時々のシーンに合わせ、自分に問いただすように日々を送っています。
「人間とテクノロジーの共存」子ども達の倫理観をどう育てるか
「人間とテクノロジーの共存」
この課題は当然、様々な分野・角度から論じられています。
「人間の尊重やプライバシーを守るための倫理的ガイドラインの確立」「正しいテクノロジー理解のための教育とリテラシー」について、UXデザイン・社会的影響の評価についてを対話することの必要性についてが多く語られています。当然これらも大切ではありますが、私は一番重要なことを論じることが抜けているといつも感じます。
それは「私たち人間の根本的な倫理観の成長について」です。
テクノロジーの発展は私たち人類を良くも悪くもしていきます。その様な時代を生きる人々の思考や心が豊かに育まれていない社会はどうなるか。誰でも容易に想像がつきます。テクノロジーは目覚ましい発展をしているのに、肝心な人間の倫理観は進歩していない。それでは豊かな未来は来るはずがないのです。
人間は感情豊かな動物で、思いやりや優しさといった美しい心を持っています。その豊かさから時代や文化は築かれ人間は発展してきました。もちろん、どの時代も大小争い事は絶えません。しかし私たちは、時代を振り返ることができる人間という動物であり、21世紀という時代に生きています。テクノロジーの姿を 100% 美化していくことはできませんが、人間は「心・感情・感性」を生かし、テクノロジーは人間にはできない能力を発揮する。
人間はテクノロジーと共存した発展をなしとげ、美しい未来を創ることができる可能性を持っているのです。
しかし、今のままでは私たち人類はテクノロジーと共存した美しい未来を築くことはないでしょう。なぜなら未来に生きる子ども達の倫理観を育む環境づくりに目を向けていない社会が存在するからです。
いつしかテクノロジーは、良くも悪くも私たちの生活の中に依存しました。毎日の生活の中でテクノロジーと共存している時間がほとんどを占めています。そのような日常生活の中で私たちは、テクノロジーとの共存についてを深く考えず、日々「テクノロジールーティーン」の中で生きてしまっているのです。
ルーティーンの中で生きることは、感情を原動とした行動原理は必要ありませんから、無感情のまま過ぎゆく時間も多く、あまり深くいろんなことを考えずに毎日を送ることもできます。楽な生活も手に入れることができます。しかしその結果、未来を生きる子ども達の倫理観についてを考えたり、どう育てていくべきであるかについて、考えたとしても結論が出ないまま、また毎日のルーティーンが始まり「社会の子育てマニアル」に乗ったまま、いつの間にか子ども達の子どもとしての時間が終わってしまう結果を招く時代でもあるのです。「深く考えなければ先に進めない」ということは殆どなく、ルーティーンの中で安定した毎日を送ることができる利便性の高い生活が存在しているのです。
「深く考える」ことが統計的に減り、人類全体の「探究と追求の道」が大きく間違った方向へと進んでいることにすら気がつけないのです。
私は、一年ほど前に「感動したことがないんだけど、どうしたらいい?」という14歳の女の子と出会いました。子ども達が愛しくて仕方がない私にとってはとても絶望的な言葉でした。彼女に、これまでのことや日常生活を聞いてみるとそこには、無感情に時間を送ることができるテクノロジー生活の仕組みが見えてくるのです。
子ども時代に人間らしく心が揺さぶられる経験や体験をし、人との関わりを十分に持ち、美しい世界を知り感動すること、様々な事柄の質の違いを知ること。たくさん考え、意見を持ち、自分に合った表現手段を持って表現すること。これらが子ども達の人間形成やアイデンティティー形成には必要不可欠であり、豊かに生きていく上でとても大切なことなのです。
人の優しさや思いやりに存分に触れ、最も人間らしい「心」を輝かせて生きること。それこそが「テクノロジーとの共存」を美しく築き上げていける子ども達の倫理観の土台となるのではないでしょうか。
そしてそこには人間が最も大切にしなければならない人間らしさ「心」が見えてくるはずです。
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