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菊水山死の彷徨(抜粋版)

【あらすじ】

菊水山は、東西に長い六甲山系の西寄りに位置する標高458mの独立峰。頂上へ至る登山道は、六甲でも屈指、心臓破りの急登で知られる。
20XX年、小学生の体力低下に憂慮する神戸市教育委員会参謀本部は、麾下の小学校2校を選抜、この山での真夏の暑中行軍を実施することとなった。恐るべき暑さの夏の菊水山を歩かせ、「暑さとは何か?汗とは何か?」を、教師と小学生に身をもって体感させることにより、もって夏場の朝礼で倒れることのない強靭な児童をつくるための研究に応用せんと考えたのである。
行軍隊に選ばれたのは、鵯越第5小学校6年2組(担任・神田教諭)と布引第31小学校6年1組(担任:徳島教諭)。鵯越第5小は、学校から神戸電鉄の旧「菊水山」駅を経て菊水ゴルフクラブ前に至り、そこから一気に菊水山を踏破するルート、いっぽう布引第31小は、布引の滝、布引貯水池、市ヶ原を経て修法ヶ原に至り、さらに鍋蓋山を越え、天王谷から菊水山に登るという大迂回ルートを選んだ。順調に行軍がすすめば2校は菊水山山頂で落ち合うことになっていた。
ところが、行軍当日、夏の太平洋高気圧が異常発達し、観測史上未曾有の酷暑が行軍隊を襲う。クラスから体力に自信のある児童を選び精鋭の小隊編成とした布引第31小・徳島隊とは対照的に、クラス全員参加の中隊編成で、しかも教頭、PTA有志からなる編成外の大隊本部を随行させた鵯越第5小・神田隊は、人数の多さと指揮系統の混乱により、酷暑の中、道に迷って菊水山山中を彷徨することに。
熱中症でバタバタ倒れる児童、襲いかかるスズメバチの大群、迷い込んだ菊水ルンゼの断崖・・・。想像を絶する危難を乗り越えて、鵯越第5小・神田隊は、果たして真夏の菊水山から生還できるか・・・?
「菊水山で見たことは、一切しゃべってはならぬ!」

〈お断り〉
以下、お読みいただく小説には、現代においては不適切と思われる表現がありますが、執筆当時の時代背景や原作者の意図を勘案し、オリジナルのまま掲載させていただきます。

(前略)

「神田教諭!神田はおらぬか?!」。
山田教頭の甲高い声を聞いた瞬間、神田の胸は鉛でも呑みこんだように重くなった。ひとつ深いため息をついてから、神田は声のするほうへ歩いていった。歩くたびに、神田の汗が白茶けた地面にぽたぽたと落ちてどす黒い染みを作った。その染みは、なぜか神田に血痕を連想させた。
山田教頭は、PTA有志数名とともに、貧相な松の木がつくるわずかばかりの木陰で休んでいた。
「神田、参りました」。地面にべったりと座り込んだ山田教頭に、神田は直立不動の姿勢で敬礼した。
「いつまでだらだらと休憩するつもりか?こんな暑いところでジッとしていると、皆干上がってしまうぞ」。怒気をふくんだ口調で山田は言った。
「はっ、ただ今、鈴蘭台方面への下山路を発見すべく、学級副委員長の江藤以下5名の生徒に斥候を命じ出発させたところであります。彼らよりの報告があるまで、今しばらくこの地点にて待機いたしまして・・・」。
「ならぬ!」。山田教頭が、神田の言葉をさえぎった。
「こんなところで待機するより、歩き続けたほうが少しでも暑さをしのげる」。
「いやしかし、お言葉ですが、この暑さの中、無闇に歩き回ることはさらに兵の体力を消耗し・・・」。
「いいや、ならぬ。帰営だ。今すぐ帰営するべきだ」。
山田教頭は、そう言ってよろよろと立ち上がった。そして、神田教諭の頭越しに、点々とうずくまる生徒たちに向かって声をはりあげた。
「出発!!菊水山暑中行軍隊は、鈴蘭台方面への進出を中止し、これより鵯越へ帰営する!」。
神田は、目の前が暗くなるのを感じた。しかし、無言で敬礼し、山田教頭の前から立ち去った。その姿を見ながら、生徒たちはひそひそと言葉をかわした。
「おい、今の見たか。大隊長の教頭が、自ら出発命令を出したぞ」。
「この行軍隊の指揮官は神田隊長なのに。厄介なことになったな」。
「なに、誰が指揮官でも同じことさ、俺たち下っ端はお偉いさんに引っ張り回されて、ただついていくだけだからな」。
思い出したように時々吹いていた微かな風は、今や完全に停まっていた。目に痛いほど濃い色の青空が行軍隊の頭上に広がっていた。

(中略)

「何?鈴蘭台への道が見つかった?」。
6年1組美化委員・鈴木生徒の報告を聞いて、山田教頭はうわずった声をあげた。
「はい、そうであります、大隊長殿」。鈴木生徒も興奮気味に答える。
「私は以前、家族と一緒に菊水山から鈴蘭台までハイキングをしたことがありますが、確かにここを通ったおぼえがあります」。
神田が、鈴木の目を覗き込むようにして言った。
「証拠はあるのか?」
その口調には(いい加減なことは許さぬぞ)と言わんばかりの厳しさがこもっていた。そう聞かれた鈴木は、ちょっとムッとしたような表情を浮かべて神田に向き直った。
「はい、中隊長殿。証拠は、あれ、あそこに落ちている〈うまい棒〉の空き袋であります」。
鈴木生徒が指さすほうを見ると、密生した下生えの中に、〈うまい棒〉の空き袋がひとつ転がっていた。「たこ焼き味」であった。
「おお、確かにここを人が通った証拠だ」。山田教頭の声はふるえていた。その顔には、喜びとも驚きともつかぬ何か憑かれたような表情が浮かんでいた。
神田は、またしても(まずいな)と思った。
「大隊長殿、しかし、このような菓子の袋はごく軽量でありますから、風に飛ばされてきたものであるやも知れず、必ずしもこの袋の存在をもって判断を下すのはいかがなものかと・・・」。
「出発!!」。
山田教頭の甲高い声が、薮の中に響き渡った。
「鈴蘭台への道が見つかったぞ!菊水山暑中行軍隊は、これより当初の計画通り鈴蘭台へ向かう!」。
神田は思わず天を仰いだ。炎暑の只中にあって、神田の胸を冷たいものがおりていった。

(中略)

鍋蓋山頂上直下の小平地を過ぎると、突然パッと視界が開け、眼下の天王谷を隔てて、菊水山の偉容がその全貌をあらわした。隊の先頭を歩いていた案内人の山ガール・さわが、徳島教諭を振り返り、菊水山を無言で指さした。
徳島は、挑むような眼を菊水山に向けた。そうやって睨みつけていないと、その山に心の奥の奥まで見透かされ、自分の弱い部分を攻めたてられるような気がした。
菊水山は、その全体が不気味に揺らめいていた。いや、地震でもないのに山が揺らぐはずはない。それは、猛烈な炎暑がもたらす大気現象のいたずらであった。
(あの山のどこかに、神田教諭が・・・)
徳島は、いつも折り目正しく穏やかな神田教諭の顔を思い浮かべようとした。しかし、脳裏に浮かんだその顔はなぜかひどく悲しげに徳島を見つめていた。
「中隊長殿、いよいよ行軍の本番ですね」。
徳島の憂いは、子どもの声にかき消された。振り向くと、学級委員長の篠原がそばに立っていた。徳島は、篠原と彼につづく小隊の面々を眺めた。皆、この暑さで汗まみれになっていたが、顔にはまだ精気がみなぎっている。
修法ヶ原からここまで、迷いやすい尾根道を無事に踏破できたのは、案内人の山ガール・さわのおかげだった。このルートを熟知しているさわは、縦横に分岐する踏み跡を的確に選び、また、あちこちに潜在するスズメバチの巣や毛虫がいる木を慎重に回避しながら、徳島隊をここまで安全に導いたのであった。
しかし、その役目も終わった。ここから天王谷までは、比較的道もはっきりしていて、危険な箇所はほとんどなかった。
「出発!」。
徳島は号令をかけた。
「案内人は最後尾につけ!」。
さわは、皮肉な微笑を浮かべ、
「もう用はねえってワケかね」
そう言って、肩をすくめ、ライトグリーンの山スカートの裾をひらひらさせながら、隊の後方へしりぞいた。
徳島隊が、天王谷にかかる長い吊り橋のたもとまで下りてくると、そこには、あらかじめ手配してあった鈴蘭台の5名の山案内人が待っていた。さわはここで隊とわかれ、有馬街道を歩いて箕谷の実家へと帰っていった。
案内人の中でいちばん年長らしい源造という男が、徳島におずおずと話しかけた。
「隊長様、やっぱり登るのかね。菊水山へ」。
「登るのかね・・・それはどういう意味だ」。
徳島は、冷たい口調で源造にたずねた。
「この暑さは尋常じゃねえです、隊長様。ここから菊水山の頂上までは、心臓破りの坂がつづく。体中から汗がふきでて、カラカラに干上がって、みんな死んでしまうだよ」。
「その困難を克服するのが、われわれ暑中行軍隊の目的だ。行軍は予定通りつづける。それに、われわれはこの暑さに対処するため、じゅうぶんな用意をしてきているのだ。一日一人2リットルの水と1リットルのポカリスエット、冷えピタクール、熱さまシート、スズメバチ撃退用のハチジェットスプレーなどだ。これが、近代小学校の科学的装備というものだ。お前たちとはちがうのだ」。
徳島はそこまでひと息に言って、案内人たちの顔を順番にゆっくりと眺めていった。(わかったか)という、有無を言わさぬ目つきだった。
その間うつむいていた源造が、しばらくしてやっと顔をあげた。
「ようわかりました、隊長様。お供させていただくだ」。
布引第31小学校暑中行軍隊は、5人の案内人を先頭に立て出発した。天王谷の吊り橋を渡って山腹に取りつく。
菊水山の核心部が、灼熱の地獄が、彼らを待ち受けていた。

(中略)

神戸電鉄鈴蘭台駅に到着した鵯越第5小第1次救助隊は、現地で中高年登山サークル所属の山案内人を3人雇って、鈴蘭台南町からNTTのパラボラアンテナ保守点検用作業道路に入り、菊水山山頂を目指した。救助隊を率いる森田険作は今年学校を出たばかりの新任教諭だった。
もともと体育会系で血の気の多い森田は、異常な暑さをものともせず、顔を真っ赤にして早足で歩いた。進むにつれて道路に充満していく熱気に恐れをなした山案内人が、ひるんで立ち止まるたびに、森田は彼らの尻を蹴とばした。
「馬鹿者!歩け!歩かんか!」。
「勘弁してくだせえ、隊長様。悪いことぁ言わねえ、これ以上進むのはとても無理だで」。
「何を言うか!根性さえあれば不可能はない。俺は男だ!行け!土民ども!進め!!」。
中高年の山案内人たちは半泣きになりながら歩いた。一歩進むごとに、溶けはじめたアスファルトが靴裏にくっついて嫌な音をたてた。
「あ!隊長様!あれは?」。
山案内人のひとりが、前方を指さして叫んだ。森田が見ると、熱気で揺らめく視界の中、50メーターほど先の道路の真ん中に、奇妙なものが立っていた。一瞬それは低い枯れ木に見えた。しかし、舗装道路の中央に木が立っているわけがない。近づいていくとそれは人のカタチになった。
「おお!江藤!6年1組の江藤図書委員ではないか!」。
江藤は、直立不動で目をカッと見開いたまま、乾燥していた。救助隊に同行していた保健室の菅野美子が江藤の脈をとり、瞳孔をのぞき見た。
「生きてます!」。
「よし、水をかけてみろ」。
隊員たちがかわるがわる江藤の全身に水をかけると、高野豆腐がもどるように、みるみる生気がよみがえった。
「こ・・・」。
江藤が口をひらいた。
「どうした?江藤、しっかりしろ!」。
森田険作が怒鳴った。今にもかみつきそうな表情だった。
「こ・・・行軍・・・隊・・・は・・・」。
「行軍隊が、どうした?!」。
「ぜ・・・ぜ・・・全滅・・・」。
そして、江藤はふるえながらゆっくり腕をもちあげて、菊水山山頂のほうを指さした。

(中略)

「鵯越第5小学校暑中行軍隊遭難」のしらせを受けて、布引第31小学校の校長室には緊迫した空気が流れた。
「NTT作業道路の中間地点付近にて、江藤図書委員を仮死状態で発見。それより上部を捜索したところ、神田教諭以下生徒数名の体が、粉末状態で見つかりました」。
うわずった声で6年学年主任の中林教諭が報告する。
「粉末状態・・・」。
校長の児島がうなるような声をだした。
「報告によりますと・・・」。
中林主任がつづけた。
「神田隊長は・・・粉末状態になりながら、最期の力をふりしぼり、見事舌かみきって、こときれていたと・・・」。
重苦しい沈黙が、校長室を満たした。
「校長殿、わが布引第31小学校暑中行軍は・・・」。
教頭の門間が口をひらいた。
「むろん、中止だ!即刻中止命令をだせ!」。
「はっ!」。
門間教頭は姿勢を正し、ホッとした表情を浮かべた。
「待てよ・・・しかし・・・」。
児島校長が言った。
「それを、いったいどうやって・・・徳島隊に・・・?」。
再び重苦しい沈黙が、3人を包んだ。校長室の壁掛け時計の時を刻む音がやけに大きく聴こえた。ややあって、中林主任が、おずおずと言った。
「あのう、電話をかけたらどうでしょうか?徳島隊長は携帯電話をもっています」。
児島校長と門間教頭が、あっ!と顔を見合わせた。校長が叫んだ。
「そうか!その手があったか!すぐに徳島に電話をかけろ!」。
「はっ!」と答えて、門間は校長のデスクの電話に手を伸ばしかけた。しかし、なぜかその手をすぐにひっこめて、校長に向き直った。
「駄目であります、校長殿」。
「なぜだ?何が駄目なのだ?」。
門間教頭は、大きく息を吸いこんで、言った。
「徳島隊長の携帯は・・・楽天モバイルです」。

(中略)


布引第31小学校暑中行軍隊が全員無事に行軍を終え、鈴蘭台駅から乗り込んだ神戸電鉄の新開地行き電車はよく冷房がきいていたが、隊長の徳島教諭の頭からは湯気がでていた。それは、つい数時間前までの菊水山山中であじわった想像を絶する炎暑の余韻のせいだけではなかった。
徳島教諭は、腹を立てていた。下山後に立ち寄った鵯越第5小暑中行軍隊遭難救助本部での、指揮官とのやりとりを思い出していた。救助本部指揮官の学年主任某は、あらわれた徳島を見るや否や、ねぎらいの言葉ひとつなく、開口一番こう言ったのだ。
「菊水山では何も見なかっただろうな?」。
徳島はこの言葉に強い反発を感じた。それゆえ反射的にこう答えてしまった。
「は、何も見ませんでした」。
学年主任は、徳島の顔をさぐるように見つめた後、
「そうか、何も見なかったんだな。それならよい」。
徳島はそのまま回れ右をして、遭難救助本部を後にした。あの学年主任の態度には、自校の行軍失敗を他校の人間に対して隠そうとする、悪しきセクショナリズムが感じられた。
(しかし・・・)
徳島は、窓外に流れる山里の風景を眺めながら思った。
(ああ答えてしまったがために、困ったことになったな)
さっきから徳島の頭を悩ましているのは、山頂付近の草地で拾った2枚の「ひょうごっ子ココロンカード」の始末をどうするか?だった。
「ひょうごっ子ココロンカード」は、毎年新学期に県内の小・中学校生徒全員に、兵庫県教育委員会から支給されるカードである。このカードを提示すると県内の博物館や美術館などに無料で入館できる。もともとは、1997年におこった酒鬼薔薇事件に衝撃をうけた教育委員会が、「心の教育」の充実をはかるために設けたものだった。
しかし、その後の徳育偏重政策を経て軍国教育推進に国全体が突き進む中で、この「ココロンカード」は、兵庫県においては、軍国小・中学生の忠誠の証しとして扱われるようになっていった。カードは、兵庫県教育委員会教育長閣下より、畏れおおくも勿体なくも、ひとりひとりに下賜されたものであり、生徒各人はもとより、生徒の監督者である親、学校にもその厳しい管理が求められるようになった。カードの紛失、破損など、あってはならないこととされ、万が一そういう事態が出来した場合は、退学、懲戒解雇から懲役刑、学校の閉鎖といった厳罰に処せられた。世間体をはばかってあまり公にはなっていないが、ここ数年でも何人もの親や教師が、子どもが「ココロンカード」を紛失、破損したため切腹している。
(今後遭難者の収容が進んでいけば、教育委員会は、遺体や生存者の数と、「ココロンカード」の数をつきあわせて調べるだろう。もし、その数が2枚足りないということがわかったら・・・)
車窓からあふれる夏の明るい日差しとは反対に、徳島教諭の気持ちはどんよりと曇っていった。

(びのもんたの『朝ドバッ!』より)

「さあ!本日の〈8時くぐり〉は!」
SE:だーん!(アタック音)
「神戸!」
SE:だーん!(アタック音)
「小学校!」
SE:だーん!(アタック音)
「暑中行軍隊!!」
SE:だーん!(アタック音)
「遭難!!」
「死者、行方不明!」
SE:だーん!(アタック音)
「30名以上か?!」
SE:だーん!(アタック音)

「さあ、エライことになりましたよ。これは、ホントに。ねえ、皆さん。いいですか?死者、行方不明、30名以上ですよ、皆さん。さあ、現場に嫁田君が行ってます。ちょっと呼んでみましょう。嫁田くーん!」
「はい、嫁田です。私は今、遭難現場となった菊水山の麓、鈴蘭台南町公園に設置されました遭難対策本部の前にいます。えー、ごらんのように、私のおります後ろの方、あちらの方に、対策本部のテントが何張かありまして、えー、ここから、こう、規制線が張られまして、報道関係者の立ち入りが禁止されております。現場はたいへん物々しい雰囲気に包まれています。はい」
「嫁田くん、嫁田くん」
「はい、びのさん」
「遭難者の救助は進んでいるの?」
「はい、えー、それはですね、えー、現在のところ、27名の、暑さのため乾燥し、粉末化した遺体が発見されておりまして。えー、あとですね、えー、7名の生存者が救出されております」
「ほー!スゴイね!粉末化した遺体だって?!粉末化した遺体というのは、どうやって収容するんだろ?そのまま動かしたら、風にとばされてバラバラになっちまいますよね。集めているうちに、誰が誰だかわからなくなっちゃうじゃないですか。そこらへん、どうなんですか?毎年新聞論説委員の弥奈さんに聞きましょう。弥奈さん、どうなんですか?」
「ああ、これはね、ええと、特殊な道具があるんですよ。今回なんかは、急だったから、米軍から借りてきてるんじゃないかな。米軍が中東やアフリカなんかで作戦を展開する時、持って行ってる装備でね。それで遺体を仕分けるんですよ、こういう時は。あのう、あれですよ、掃除機みたいな装置なんだけど、吸い口のところに遺伝子センサーがついてましてね。それで誰のカラダの粉末なのかがすぐわかるわけ」
「ほー!便利なもんですねえ!」
「便利なもんです」
「びのさーん!」
「はいはい、嫁田君」
「今、こちらに、第一次救助隊の隊長をつとめられました、鵯越第5小学校の森田険作隊長に来ていただきました」
「あ、森田隊長、おはようございます。びのです」
「おはようございます。森田です」
「隊長は、立ったまま仮死状態になっていた江藤図書委員を最初に発見されたんですってね?」
「そうです」
「自分の任務を遂行するために、歩き続けて立ったまま仮死状態になるなんてねえ。江藤隊員は立派ですねえ」
「はい、その通りです。まさに軍国小学生の鑑であります」
「ねえ。鑑ですよねえ」
「あの、びのさん、ちょっといいですか?」
「あ、弥奈さん、いいですよ。どうぞ、隊長に何か聞いてください」
「毎年新聞の弥奈です。おはようございます」
「おはようございます」
「森田隊長はですね、今回の遭難の原因は何だったと思われますか?」
(森田、小声で嫁田に)「どういうことだ?こういうのは、予定の質問項目になかったぞ・・・」
「何ですか?ちょっと音声が聴き取りにくくて・・・」
(嫁田に)「約束がちがうじゃないか!」
「あ、びのです、森田隊長、あのですね」
「もう俺は何も答えん!俺は男だ!答えんぞ!!」
「あ、ちょっと待って!あ」
「あ」
「そこ、どけ!」
「あ」
「どかんか!」
「あ」
「・・・・」
「・・・・」
「はい、ここでちょっとCM入ります!」

(中略)

37名の乾燥死者を出した鵯越第5小学校暑中行軍隊の遭難事件は、全国民を震撼させ、マスコミは連日このニュースを熱狂的にとりあげた。なかでも、テレビのワイドショー番組の取材合戦はすさまじかった。TBSの人気番組「びのもんたの朝ドバッ!」は、遭難発生2日後の朝の放送で瞬間最大視聴率70%超を記録。それは、ちょうど第1次救助隊の森田険作隊長へのインタビューを現場から中継していた時であった。(ちなみにこの際、取材リポーターとディレクター、カメラマンの3名が、「教師に対する不敬罪」の現行犯で、神戸市教育委員会憲兵隊によって逮捕された)

当初、世論は「朝礼で立ちくらみを起こさない強靭な児童生徒をつくるための教育訓練研究」を目的としたこの暑中行軍の無謀さへの批判に傾いたが、それに対する文部科学省の対応は素早かった。時の文部科学大臣・児玉源次郎は、矢継ぎ早に特例措置を打ち出し、人心の平定をはかった。
「今回の遭難死者児童は、国家のために命を捧げた軍国小学生の鑑であり、3階級特進で全員東京大学法学部卒業の学位を授与する」
「遭難死者の遺族には、別途定める規定により遺族年金を支給する」
「生存者の治療費は全額国が負担し、万が一障害が残った場合は特別年金を一生涯にわたり支給する」
「遭難現場に慰霊碑もしくは記念碑を建立する」
などの特例措置である。
これにより、遺族はもちろんのこと、多くの国民は納得し、この遭難は異常な暑さによってやむなく起こった「災害」との認識が共有されていった。

7名の生存者は、神戸大学医学部付属病院に入院し手あつい治療をうけた。だが、乾燥症状が重篤だった5名は、退院後も「半ナマ」(もしくは「ナマ乾き」)状態を一生ひきずることになり、数時間おきに頭から水をかぶって水分を補給せねばならないという不自由な生活を余儀なくされた。

行軍隊の指揮系統に乱れを生じさせ遭難の原因をつくったと当初一部で非難された、随行大隊本部の山田教頭は、比較的症状が軽く、3ヵ月ほどで退院し、責任をとって教頭職を辞職。一時は自決を心配する(というか、期待する)声も周囲にはあったが、それはまったくの杞憂におわり、その後、「神戸市学校給食向上連絡協議会」「神戸市青少年精神鍛練センター」「神戸市ジャングルジム安全推進協会」の役員・理事等に天下り、4回退職金をもらって、悠々自適の老後生活に入った。
鵯越第5小暑中行軍隊と同時期に菊水山を踏破し、無事に行軍を終えた布引第31小学校暑中行軍隊の隊長・徳島教諭は、この時の実績を買われ、翌々年に大阪・天王寺公園で開催された「小学生朝礼立ちくらみ耐久世界大会」に、日本代表の監督として精鋭部隊をひきいて参戦。決勝まで進み、強豪・赤道ギニアの小学生部隊と、三日三晩飲まず食わずの激戦を繰り広げ、見事日本を勝利に導いたが、その授賞式の最中に乾燥死した。

菊水山頂上直下のNTT作業道路には、立ったまま仮死状態で発見された江藤図書委員の銅像と遭難記念碑が建立された。ここは観光スポットとなり、「銅像茶屋」もオープンし、多数の観光客を集めにぎわったが、NTT西日本との土地賃借問題がくすぶって、後に銅像も記念碑も茶屋も撤去された。

暑中遭難事件のすぐ後から、これをモデルにした小説、映画、演劇、マンガ、歌、ゲームなどが多数発表された。そのなかでも、東宝が社運をかけ巨額の製作費を投じて完成させた超大作映画「菊水山 ザ・ムービー」は、観客動員数1000万人を超える大ヒットとなった。この映画の監督・木村小作は、C.Gを一切使わないオール実写撮影を目指したが、現地の菊水山での撮影許可がどうしてもおりなかったので、やむなくニューギニア島など南太平洋の島々の山岳地帯でロケーションを敢行。撮影中にスタッフ、出演者から5名の乾燥死者を出したが、それも映画の宣伝効果を高める結果となった。

なお、よく知られているように、山岳小説を得意とする作家・新田次郎氏の「八甲田山死の彷徨」は、この菊水山暑中行軍遭難事件を、舞台を明治時代におきかえて執筆したパロディ作品である。

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