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逆剥直志著『荒田学総論』文庫版 解説

本書は、荒田学の第一人者である逆剥直志先生の名著『荒田学総論』の改訂文庫版・第2巻である。原著じたい庚天23年(2365年)の刊行以来、35年の歳月を経た現在も版を重ねているが、今回このように文庫に収録され、再び新たな読者を獲得するということは、荒田学研究の末席をけがす者として、また逆剥先生の不肖の弟子のひとりとして、この上もない喜びである。
 それは良いが、こうして文庫版の刊行にあたり本書の解説を書くという、私のごとき浅学若輩の身に余るご依頼を受け、じつはほとほと困りはてた。いったんは丁重にお断りしたのだが、尻池書店学術文庫出版部の金森三郎氏に再三再四粘り強く説得されたあげく、ついには逆剥先生から直々お手紙まで頂戴した。先生曰く「今回は広く一般教養層を対象とした文庫版であり、君のようなまだ60歳そこそこの若手が解説を書いた方が読者にとって親しみやすかろう」。この御言葉に励まされて、清水から飛び降りるつもり、意を決しお引受けする次第となったわけである。
 さて、冒頭でも述べたとおり、著者逆剥直志先生は、汎太陽系荒田学会の会長を4期12年の長きにわたって勤められた荒田学研究の宇宙的権威である。火星文科大学教授、静の海人文科学研究所所長を歴任され、現在は木星女子大学名誉教授。138歳という御高齢にもかかわらず、今なお荒田学研究の第一線で活躍されている。筆者は火星文科大の院生時代、先生から直接ご指導いただいた弟子のひとりである。
 本書は、逆剥先生の主著であるとともに荒田学研究の最高峰であって、英語、仏語、独語、スペイン語、中国語、汎太陽系標準語の各訳書が出版され、荒田学を志す者の基本テキストいやバイブルとさえいえる存在になっている。初版刊行後35年、今もって『荒田学総論』の水準を超える作品はあらわれていないといえよう。
 本書は大きくわけて4部から構成されている。序論、第1部「言語編」、第2部「人間編」、第3部「生活編」の4つである。そしてそれらは、それぞれ単体でも一冊の研究書として成り立つほどの濃い内容を有している。
 まず序論(文庫版第1巻)では、研究方法が精緻に検討された後、学説史が概観される。深い学識と実践に裏打ちされた整理は見事というほかなく、実際この序論だけ独立させ『荒田学入門』と題された本が出版され、一般教養課程の荒田学のテキストとして利用されているほどである。
 しかし、なんといっても本書の核心部といえるのが本巻所収の第1部「言語編」と第2部「人間編」(文庫版第3巻)であることはまず衆目の一致するところであろう。この2部作におさめられた刺激的な論考の数々こそまさに逆剥荒田学の真骨頂である。
 第1部「言語編」の論考において注目すべきは、木星軌道ステーション大学荒田学部のキム・マンサン教授と学説史に残る大論争を繰り広げたことでも有名な「しらんぷしゅんぷりん」論である。
 ごぞんじのように、マンサン博士は「しらんぷしゅんぷりん」の言語構造を「しらん」と「ぷしゅんぷりん」にわけ、「ぷしゅんぷりん」とはその頃大手菓子メーカーが製造販売していたプリンの一商品名であり、そのプリンのことを知らないのか、というこれは問いかけの言葉であると解釈した。マンサン博士のこの解釈は長きに渡って学会の定説とされていたが、逆剥先生はこれに対し新説をもって敢然と立ち向かわれたのである。
 逆剥先生の「しらんぷしゅんぷりん」解釈は画期的なものであった。先生は、まずマンサン博士のいう「ぷしゅんぷりん」などという名前のプリンは存在せず、おそらく「グリコ」という菓子メーカーが製造販売したことのある「プッチンプリン」と混同しているのであろう、ただし百歩譲ってもしそうであったとしても、「しらんぷしゅんぷりん」が荒田町における慣用句として成立した昭和30年代後半から40年代はじめにその「プッチンプリン」はまだ発売されていなかったというのである。
 令和末期(2040年代後半)のあの熱核戦争後廃墟となった地球各地での地道な発掘調査の結果をもとに、先生はまずこのことを立証した後、独自の「しらんぷしゅんぷりん」考を展開する。本書を読まれてもおわかりのようにその論述は複雑精緻をきわめたものであるが、思いきり簡略化していうと、「ぷしゅんぷりん」には明確な意味がそもそもないのであって、「しらんぷしゅんぷりん」は「知らん」ということを単に表現した言葉にすぎない。しいて意味があるとすれば「ぷしゅん」に「知らなくてすまない」という軽い詫びの気持ち、「ぷりん」に「そうはいっても知らないものは知らないのだ」という軽い開き直りの気持ちがこめられたものであろうというのである。
 この解釈は、いうまでもなくあの「シブキ三四郎」についての解釈と共通したものがあろう。「シブキ三四郎」についても、先生はそれまであった「三四郎」という「渋い」人物が荒田町に実在したという定説をくつがえし、この言葉は単に「渋い」ということをいっているだけで、「三四郎」には特別な意味がないということを見事に立証したのであった。
 また、続く文庫版3巻所収の「人間編」において展開される「裸のおっさん論」、「サンコのおっさん論」、「カリコリのおっさん論」、「村田のババア論」をはじめとする、昭和30年代荒田町に棲息した数々の奇人変人を研究対象とする論考は、まったくもってスリリングというほかなく、先生の深い人間観・人生観に裏打ちされた圧倒的な洞察力には、一学徒として今もって畏怖すらおぼえる次第である。
 ともあれ考えうる限り当代最高峰と目されるところの、かかる名著が簡便な文庫としてここに出版されたことを、読者とともに喜びたい。

  庚天58年1月吉日 紅砂降りしきる火星第7ドームのテラスにて

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