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「気乗りしない」感覚が教えてくれること
自分自身のことについて「やっぱりね」と思うことってありません?
「こうなるだろうと思っていた」とか。
自分はさっきちょうどそれを感じて
「やっぱりなあ~先延ばしにしていたもんなあ~」
と、反省と少しの後悔もありつつ開き直ることにした。
何があったかというと数か月かけて受けていたレクチャーの配布資料を期日までにダウンロードしなかったために資料を残すことができなかったのだ。
今日やろうと思っていたけど昨日までだった…
こうなることは予見できていた…
さて、このことから自分はどんなメッセージを放っているのか考えてみると「やらなきゃなーと思っていることは気乗りしないことである」
ということを再確認。
昔からそうなのだ。
このことからもう少し深めて考えてみる。
”どうして資料をダウンロードしなきゃと思っていたのか”
「学びの過程で身に着けた自分の知識や、自分自身の成長について自信がもてない。そのために資料やなんらかの物を残すことで自分を確認する癖がある。」
ということ。
そして、
「資料やなんらかの物が残ることが分かっているため、学びの姿勢に気の緩みがある。」
ということ。
あとは単純に復習のために見直したいという思いもあるけどね。
ずっと気を張って学び続ける必要はないので、時には省エネも大事だと思うから悪いことではないとは思う。
だけれど、資料や物質的に残るものがないと自分自身を信じられないってどういうことよ。
この数か月を経て今の自分があるのだから物質的なものや外的ななにかで自分自身を確認しなくていいんじゃないの?と思った。
(資格の証明書等、専門的な知識やスキルがあることを証明するような物を持っていることは必要だけども。)
手元に残るものがなくたって、自分が歩んできた道のりで学んできたことや携わった活動から得た経験などその瞬間瞬間で必要なものはちゃんと吸収しているはずだし、吸収できなかったことは自分が扱える段階になるまでちゃんとどこかにとってあるから大丈夫なんだろうと思う。
これまでの時間を経過して今の自分があるんだし、今の自分が過去の自分と少しでも変わっている部分があるとすればもう資料なんてなくたってそこで得たものは自分の一部になっているでしょ。
だから、資料は手元にほとんど残ってないけどその学びの期間に試行錯誤した事や悔しく思った事、ふてくされた事、気付きを得たこと、楽しかった事は自分の中に生々しく残っているからそれをたまに懐かしく振り返るだけでもいいや。
過去にしがみつくのではなくて、今の自分をそのまま受け入れていればいいや。
”完璧とまではいかなくとも、自分のレベルに合った必要な知識と経験は身に着いているから資料を残す必要はない”
という意味合いで「気乗りしなかった」のだと今回はメッセージを受け取ってみることにする。
「気乗りしない」≒「足りている」「必要ない」
と翻訳してみよう。
このメッセージの受け取り方や翻訳の仕方はエゴが混ざりやすいから、自分に都合良いものになっているようでちょっと不安だけど自分についての理解が1つ増えたということで良しとする!
もし、「こうなるだろうなあ~」という予見があったらどうしてそう感じるのかな?と自分に興味をもってあげるといいのかも。
その予見がネガティブなものだった場合は不安をもたらすかもしれないけど、自分の中にある思い癖やこれまでの経験がネガティブな予見として現れている可能性があるかもしれない。
それらが気が付かないうちに自分自身を縛っていたり、自信を失わせていることにも繋がっていそう。
ほんの少し自分に興味をもってあげることで、もう手放してもいい考えや行動が見つかると思う。
今回のことは少し残念だけど、「気乗りしない」の言い換えはその時々の状況や自分の気持ちで沢山のバリエーションが出てくると思うからこれからが楽しみだ。
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