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忙しい世の中だからこそ、情報のファストフードは食べやすい

色んな情報を見て聞いて、不安になったり怒ったり悲しくなったりするあなたは優しい人です。
色んな情報を見て聞いて、他人の表情から何かを感じられるあなたは優しい人です。
皆純粋で、優しいと思うのです。


だからなおさら、それら情報の伝えられ方に左右されやすいことを知っておくことが大切だと思うのです。
どのように伝えられているのか、どのように自分がそれを受け取っているのかということに気が付けるようになることが大切です。
そのためにも自分に注目する時間を意識して設けることが重要です。
手を拭くときでも、パッと拭くのではなく手についた水滴を見て、それをタオルで優しくぬぐってみたり、あるいは手に当てるだけで吸水して拭いてみたり。
そんなことからでもいいのです。
そこから気が付くことがあります。
そこから自分自身が見えてくることがあります。
沢山のことを自分は教えてくれます。
そこに気が付けるようになることが重要です。


世間に流れる情報は、最初は輪郭がなかったり対象が不明瞭、不明確だったりします。
最初はね。
それで、不安だとか怖さだとか心配だとか怒りだとか不満だとか色んなものを皆の中に漠然と掻き立てます。
かき混ぜて、浮き上がらせます。
かき混ぜ方が強くなるほど、自分の中に眠っていたものも一緒に浮かび上がってきます。
どんどん出てきます。
すると、なんだか分からないけどイライラしてきたり余裕がなくなってきたり、日常生活に少しずつ波がたち始めます。

あなたは、「どうして最近こんなに気分が悪いんだろう?」と不思議に思うかもしれません。
「もしかして、あれ食べたからかな?」
「もしかして、あの時あの人と話したからかな?」
「もしかして、あれをしたのが良くなかったかな?」
「もしかして、あの事がまだ影響しているのかな?」

そうして自分が抱えているものの出自を知りたくなるでしょう。
それは不快を不快のまま抱えておくことは結構大変だからです。
どうしてそうなるのかの、形や理由がだんだん欲しくなってきます。
その時、自分に問う人もいるかもしれません。
その時、人に教えてもらいたくなる人もいるかもしれません。

そうしてパッと世間に溢れる情報が飛び込んできます。
そうして何気なくコメンテーターの意見が聞こえてきます。
それらがあなたの中の漠然としたものに、形と理由を少しずつ与えていきます。
でも気が付いてください、それはあなたが見出した形と理由ではないことを。

さて、最初は輪郭がなかったり不明瞭で不明確なまま伝えられていた情報でしたね。
そこに少しずつ情報が付け足されていき、なんだかその情報の全容が見えてきた気がしてきます。
そうすると、自分の中の漠然としたものをぶつけられそうな対象が見えてきます。
自分で抱えておくことが大変なものを、そのままぶつけてもよさそうな対象です。
ぶつけて当然だと思うでしょう。
だって、その対象はそれなりのことをして自分をこんな気持ちにさせたのだから。
世間にこんなに迷惑をかけたのだから。
こんなに悪いことをしたのだから。
そう思うでしょう。


だけど、もう少しだけ辛抱してみてください。
コメンテーターは自分の考えや気持ちを言っているだけではないですか?
客観的データを提示されていたとしても、それを読み解いているのが自分ではない場合、解釈には相手の考えが入ります。
街頭インタビューも同じです。それはその人の意見です。
自分と同じだ!ということで飛びつかないでください。
同じに見えたり聞こえても、同じではないことがあります。
もう少しだけ辛抱して、自分はどう思うのか、何を見せられているのかという部分に注目してください。
分かるのは、早いです。
そして世の中の出来事は大体のことは誰にも分からないのです。
”今の時点で分かっていること”

”真実であるかのように”
伝えることが上手な人たちがいます。
そうやって情報を発信することが得意な媒体があります。
真実は当の本人ではないと分かりません。
でも、当の本人でもどうしてそうなったのか分からないこともあるのです。


「大変憤りを感じますね」
と言ったすぐそばから
「いやぁー、あのホームランはすごかったですよね」
と笑顔で言う。
「ミサイルが発射されました」
とテロップがでているのに
「現在のSNSは~」
と難しい顔をして言う。

きっと感じやすく優しいあなたはその人達の声や雰囲気からその人達の状態を読み取ることができるでしょう。
それがその人自身の命をのせて発せられた言葉なのか。
それとも、味わいの薄い言葉なのか。
状況とのミスマッチも読み解けるかもしれません。


感じやすく繊細で優しいからこそ、情報に触れたくなくなるとは思いますがあなたは誰よりも見抜く力を持っているはずです。
だからこそ、自分の感覚を信じて生きていくことが既に大切な世の中になってきています。
あなたはこれまで沢山の修行をしてきました。
だからこれからは自分を信じればいいのです。


特別自分に繊細さを感じたことがない、という人でもそろそろ何かに気が付き始めているのではないでしょうか。
何かを変えたくなってきているのではないでしょうか。
何かを変えたいけど、怖かったり不安になる気持ちになっているのではないでしょうか。
変化を感じているあなたは自分自身と繋がっているということです。
変化を感じていなくても自分の感情を感じられているあなたは自分自身と繋がっているということです。
ちゃんと、自分として生きようとしている人です。
それはとても凄いことなのです。
それを感じ始めたこと自体、自分自身にとって大変な喜びなのです。
何も行動を起こせてない、と落ち込まなくていいんです。
ちゃんとタイミングが来ます。
そのタイミングに気が付けるように自分に意識を向ける癖をつけておくことが大切です。
自分に意識を向けるとは、

ひとつひとつの動作に意識を向けること
自分の体を観察すること

こういったことからでいいのです。


情報に溢れる社会です。
皆、自分の視野の範囲に収まらない情報に意識を持っていかれています。
体を洗っているのに頭は明日の予定のことを考えています。
体を洗っているのに肌に触れる泡の感覚、シャワーの水圧、サッパリとした心地よさなどは置き去りです。
意識にものぼらせてもらえていないものが沢山です。
自分を意識にのぼらせてあげてください。
自分を認識してあげてください。
皆賢いです。賢いから沢山の情報を取り入れて処理できるのです。
でもいったん、とても小さなところに視線を向けてみてください。
自分の体だけを見て感じるところから始めてみてください。
どんどん、あなたが本来持っている感覚が開かれていくはずです。
足りていることに気が付くはずです。



最初は曖昧にしておくのがコツ。
そして少しずつその情報にいろんな意味を付け足し、
推測という言葉を使って形を作り理由を作っていく。
そこに味付けとして誰かの刺激的な感情や思考をトッピングする。
できあがったものを、それが完成形なのだと判断してむしゃむしゃ食べる私たち。

忙しい世の中だからこそ、情報のファストフードは食べやすいのです。


皆が心のエネルギーを無駄遣いしなくてすむように、今を楽しみ大切に過ごすことができるように。
そう思って書いてみました。


この記事の補足的なことも書いてみたのでよければ↓
どうか対立にならず、あなたの優しい眼差しで世界を見ることができますように。


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