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「おーい!頑張れよ〜」

と、近所の幼稚園の子供達が叫んでいた。
自分達が遊ぶ園庭に沢山のトラックが停まり、作業着を着た大人が働いている様をみて無邪気に声をかけていた。
何度も何度も、その大人が気がつくまでエールを送っていた。

もう何ヶ月経つのだろう?
あの子達が園庭で遊べなくなってから。
それでもあんなに人懐っこく、元気なエネルギーを言葉に載せて大人を励ましてくれていた。

本当に子供は純粋なのだなぁと思って泣きそうになった。本当に愛そのものなんだなぁと分かった。
だって大人なんか近所に工事のトラックが停まるだけでも「邪魔だ」とか「うるさい」とか。
そこで頑張っている人達の事なんか考えずに自分中心でマイナスな言葉を吐きまくってるのに。

状況ではなく"そこにいる人"を見られる人ってどのくらいいるんだろう?
その人達の頑張りを、その人達の命そのものを対等に見つめて声をかけられる人ってどのくらいいる?


でも大人達にもそんな時代があったはずだよね。
絶対皆の中には純粋さと愛があると思ってるよ。
なんでかわからないけど今それが発揮しにくくなっちゃってるだけだと思ってる。
そして、その純粋さと愛にその人自身を繋げる手伝いを自分は生業にしてるんだなーと思った。


そんなこと考えながら歩いてて、あの子達の両親にこの光景についてとっても教えてあげたいと思った。
だけれど、多分こういったものって子供にとっては遊びの延長みたいなところもあるだろうし、何気なくやってることだと思うから「今日は幼稚園でなにしたの?」とか、そういう問いかけでは知る事が難しいだろうなとも思った。

だからこそね、大人目線の質問や定型の質問では見えてこないものがあることを知っておいてほしいなって思った。
「良い子にしてた?」では絶対にこの光景についての情報は引き出せないと思う。
「どうだった?」でも引き出しにくいかもしれない。
「何して遊んでたの?」だったらもしかしたらちょっと見えるものがあるかもしれないけど。


私達が測れないところで子供達はとってもとっても素敵なことをしている。
だからさ、親が知らない、気が付かないところでも子供達は自分らしさを発揮して楽しみながら誰かを励まし、光り輝いているということを頭の隅にでも置いておきながら見守ってあげてほしいな。



自分もあの子達のように気さくに「頑張れよー」って言いたいなぁと思った。

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うおのらこ
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