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生まれてから2~3年の時って結構悔しいこと多くない?
お母さんと手を繋いで歩いていた2歳くらいの男の子が急に転んだ
お姉ちゃんは4~5歳くらいで、そんな弟を横目にクールに通り過ぎた
お母さんはそんな弟を「大丈夫」って励ましながらまた歩かせる
弟は声だけで泣きながら必死に歩く
うつむきながら歩く
そんな光景を見て自分があの子くらいの年齢の時のことを思い出した。
一番昔の記憶は、ストーブを囲う柵の中に入れられて(ストーブはその中にはない)
その柵につかまり立ちをして自分なりに必死に
「出せー!」
と口から出す音で抗議していた記憶。
一番昔のことで覚えている感情は、
そうやって自分が必死に抗議しているのにそれが伝わらなくて
両親が
「可愛い」
って自分を見ているときに生じた”恥”と”悔しさ”。
虐待されていたわけではなく、何気ない日常のワンシーン。
写真で見ると、自分は怒っているでも泣いているでもなく
口を開けてこちらを見ているだけだった。
しかし、強烈に覚えている。
どんなに声を出しても笑われる。
可愛いって笑われる。
どんなに嫌だと訴えても、言葉がないから声にありったけの気持ちを込めて発してみても全然受け取ってもらえない。
見当違いで大人都合の反応だけ返ってくる。
もちろん汲み取ってもらえることもあるけれど
自分が思い出せるいちばんいちばん最初の記憶と感情はこれだった。
今では恥感情とも穏やかに付き合えるようになってきたけれど
恥って結構根深いものでもあると思う。
まあ、恥は恥で役割があるから必要だったりもするけど。
そして恥感情を感じるきっかけや由来は人それぞれだったりもする。
あがり症とか、対人関係の緊張とかそういったことについての本も沢山あるけどさ、そういう知識も勿論役立つけど自分のストーリーとズレていたら見当違いな理解にもなる。
自分にとっての真実は外側にあるものからは得られなかったりする。
その親子と別れてから
ツンと鼻に染みる冷たい風をめいっぱい吸い込んで
「こんなことで躓くなんて!って悔しかったよなぁ。分かるよ。君の身体能力はこんなもんじゃない。これからまだまだ伸びるんだ。そうか、昔はとっても動けたのか。今は体が思うように動かないんだよなぁ、もどかしいよなぁ。悔しいよなぁ。こんなもんじゃないよなぁ。君はもっとすごいんだもんね。」
そう呟き、いそいそと職場に戻った昼さがり。
これからの世の中に
言葉にならない音に耳を傾けてくれる人がもっと増えますように。
言葉にならない音に気が付ける人がもっと増えますように。
言葉にならない音が聞こえる人達は、どうか直接ではなくてもエールを送ってあげてほしい。
そのエールは自分の内側に還ってきて、自分もちゃんと癒されるからね。
言葉にならない音が聞こえない時には
どうか自分を大切にしてあげて。
自分を優先してあげて。
守るべきものがあったり、やるべきことに追われているかもしれないけれど
それをこなすことを一所懸命にやっている自分を褒めて認めてあげて。
今できていることをしっかり見つめること。
子供は子供で自分のことをちゃんとやっているから。
色んなこと経験してちゃんと吸収しているから。
赤ちゃんから大人まで年齢関係なく皆凄いのですから。
だって自分には皆魂の在り方で視えるんだもの。
なんてね。
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