人生初の「ひとりでギャラリー訪問」をした話(ギャラリーが何なのかよくわからないけど思い切って入ってみた)
さかのぼること二日前、昼休みに職場を抜けてコンビニに行った際、住宅密集地の塀にギャラリーの案内看板を見つけた。そう言えばこの辺にそういうものがあるとは知っていたが、こんな近くにあったのかと思って眺めていたところ、出展者一覧の中に、私が気になっている陶芸家の名前を見つけた。これはぜひ見てみたい。しかしギャラリーなんてほとんど行ったことがないし、そもそもギャラリーが一体何なのかすらよくわからない。
そんな時頼りになるのがスマートフォンだ。ということで調べてみたところ、どうやら無料で絵画や陶芸などの芸術作品を公開する場所らしい。え、無料? どういうこと? とさらに検索したところ、以下のような解説を見つけた。
「美術館は観るだけだから有料。ギャラリーは展示品を売っているから無料。」
なるほど! なんて分かりやすい。と納得するも、新たな疑問が湧き上がる。ということは、一度入ったら買わないと気まずいのだろうか。売っているということはそういうことだろう。でも、絶対にお安くないよな。
その日はそれ以上考えることなく終わった。
そして数日後、私はいつもよりも早く職場を出る機会を得た。ふとギャラリーのことを思い出した私はスマホを使って会期を調べる。どうやらあさってでおしまいらしい。良く分からないけれど、今このノリならば行けちゃうんじゃない? 私は深く考えることをやめ、あの看板を目指して歩き始めた。
当然看板はすぐに見つかった。私は看板の脇の細い道の前で立ち止まり、奥を見渡す。決して長くはない道のどん詰まりにそれらしき建物があった。このぶんでは「たまたま前を通ったふりをして様子を窺う」といった姑息な行為は一切不可能だ。しかし、ずっとこうして通りから住宅密集地を眺めているのもかなり怪しい。どっちみち怪しいなら行くしかない。私は意を決して細い道に足を踏み入れた。
そこはこじんまりとした古民家で、涼しげな白い暖簾が熱風に揺れていた。入り口は大きくあけ放たれ、玄関には靴が数足並んでいる。奥の方でなにやら話し声が聞こえていた。
入りにくい。はっきり言って、めちゃくちゃ入りにくい。いかにも常連や知り合いしか来ないような、そんな雰囲気だ。しかしここまで来たら戻るほうが逆に怪しい。
「こんにちは」
ギャラリーの正しい入り方は全く分からないけれど、曲がりなりにも他人様の陣地、何も言わずに上がり込んで良いわけはない。私はもし江戸時代だったら「たのもー」と叫んでいたであろうノリで、奥に向かって声をかけた。
私よりも年上の、感じの良い女性が早足にやってきた。彼女は一瞬ちょっと意外そうな表情を浮かべてから、笑顔で私を招き入れてくれた。私はお礼を言って履物を脱ぎ、端に揃える。オーナーらしきその女性は私が初めてなのかを確認してから、今回の展示のコンセプトと展示場所について説明してくれた。
案の定というべきか、私のほかにお客はいない。人は彼女を含めて三名ほどいたが、みな親しげに話していたので関係者なのであろう。平日の昼間、しかも正午近くにやってくる客など珍しいに違いない。
私が最初の部屋に足を踏み入れると、先ほどの女性が声をかけてくれた。
「ここはなにでお知りになったのですか? 」
私は素直に答えた。
「通りにあった看板を見て、来ました。」
女性が意外そうな表情を浮かべた瞬間、私はしまったと思った。この界隈は小さな住宅密集地がいくつかあるだけで、日常的にその通りを使う人は限られている。もちろん会社や店は数件あるものの、徒歩で通勤する人が使うのは大通りに通じる別の道だし、車で通過する人が見るにはあの看板は小さすぎる。もしかしたら私は女性に「平日の真昼間にあてもなく歩いていたら看板を見つけてフラッと入ってきたヤバい奴」だと思われたかもしれない。しかし冷静に考えると自分の今の状況はそれに近しい部分もあるため、特に補足をすることもできずこの場は終わった。
会場は、玄関を上がってすぐの三畳ほどのスペースと、奥にある六畳ほどの部屋の二つに分かれていた。いずれもテーブルの上に作品が並んでおり、主張しすぎず、でも個性豊かな作品がそろっている。日常使いができそうなものが多いのもこの展示の特徴のようだ。そしてやはり、というべきか、付いている値札の数字は全部それなりにお高い。
ギャラリーでの立ち振る舞いの正解が分からぬまま、とりあえずそれっぽい雰囲気を出しながら順番に作品を見ていくと、ついにお目当ての作家さんのコーナーに辿り着いた。私が熱心に見始めたのが分かったのか、先ほどの女性がまた声をかけてくれた。ちょうど良いタイミングだったので、外の看板にこの作家さんの名前があったから来たのだ、ということを説明すると、納得してくれた。きっとこれで「ヤバい奴がフラッと入ってきちゃった疑惑」は解けた、と思う。
お目当ての作家さんの作品はどれもこれも素敵だった。だがしかし、くどいようだが私にとってはめちゃくちゃ高い。私は陶器が好きで、ちょっとお高い茶碗もいくつか持って入るのだが、私の「ちょっとお高い」とはゼロの数が違っていた。しかもこの日の私は給料日前でメイン口座には二万数千円しかなく(もちろんそれが全財産ということではない)、そのうちの一万円をさっき別件のために下ろしてきた身である。そんな私に一万六千円を超える茶碗が買えるだろうか、買えるわけがない。
この日我ながらラッキーだったなと思うのは、自分の通勤用のカバンがヴィトンだったことだ。とは言っても十年以上前に買ったもので、しかも二~三回修理して使っているおんぼろなのだが、とりあえず「ヴィトンを買う余裕がある人」には見えたのではないかと思う。少なくとも口座の残高がそんな悲惨なことになっているとは気づかれなかっただろう(たぶん)。ヴィトンのカバンのおかげで「完全な冷やかし」には見えなかったと思う。
あと少しですべての展示を観終わるというところで、私ははたと考えた。あれ、これどうやってこの場所から退場すればよいのだろう。お店であれば何かを買って出るか、知らぬ間にそっと出るかの二択だが、六畳のスペースに関係者が三人もいるこの空間で、自然に出ていくのはなかなか至難の業である。しかも先ほどの女性とはまた別の女性が、今度は別の作家さんの白い小皿について説明をし始めた。この皿はこんなところまで細かく模様が入っていますが、しっかりとした作りなので意外と普段使いもできるんです……って、いや、二万円を超える小皿を普段使いするとか無理でしょう。そもそもそんな高価なお皿に何を載せれば良いのさ。醤油とかソースをかけたら汚れちゃうし……枝豆? そうか、枝豆なら汚れないし安心……って、枝豆ってこんなたいそうなお皿に入れて食べるものじゃないでしょうよ(庶民である個人の見解です)。
とまあ買えない皿の用途はさておき、私は彼女の「ご検討ください」の締めの一言に、「営業だったのか」と思いつつ、その場を離れた。展示を見終えたその時、なんともタイミングの良いことに、最初に声をかけてくれた女性以外の二人が話し始めた。これ幸いとばかりに私は部屋の隅に一人立っていた女性に
「ありがとうございました」
と頭を下げて、お暇することが出来たのである。彼女は
「また来てくださいね」
と笑顔で応えてくれた。
粗相がないように極力ゆっくりと玄関に向かい、私は古民家の風情ある玄関には到底似つかわしくない、履き古した安いコンバースに足をねじ込むと、暖簾をくぐって外に出た。すぐに、向こうから日傘をさした上品なご婦人が歩いてきた。きっとあのギャラリーに行くのだろう。
そうだよな、ギャラリーって、きっとああいう人が行くところなんだよな、と思いつつ、私はふと、先ほどお気に入りの作家さんの作品を見ていたときに、オーナーらしきあの女性がこう話してくれたことを思い出した。
「ついさっきも若い男の子たちが来て、このお皿すごく素敵だって言ってくれたのよ。」
ああそうか、と私は思った。あれはきっと、私が場違いだと感じていると思って、若い男の子、つまり私のように知識も造詣も決して深くはない人たちも見に来ているから大丈夫よ、という意味でかけてくれた言葉だったのだ。
燦燦と降り注ぐ痛いほどの日差しの下で、私はあの女性の姿を思い浮かべた。着ている服も素敵だったし、とても上品だった。展示もみんな素敵だったし、開け放した窓から見える小さな庭もこだわりが感じられた。私自身が身のこなし方に迷ったせいで居心地は良くなかったけれど、とても気持ちの良い空間だった。
「また来て下さい」と最後に女性は言ってくれた。あれは本心だろうか。ギャラリーは「お店」だから、商品を買わない客に来られても、何の得にもならない気もする。けれども、そもそもギャラリーをやっている時点で、それほど収益が見込めるとも思えないし、売り上げにこだわっているようには見えなかった。
なによりも、もしも私が彼女の立場だったら、ギャラリーなんて全く行き慣れていないような(自分よりも)若造がフラッとやって来たら、結構嬉しいだろうと思う。まあそれは私の勝手な想像だけれど。
また行きたいな。職場からも近いし、一度入ったから二度目は今日よりも入りやすいだろうし、何よりもあの女性のセンスが好きだ。お給料が口座に振り込まれたとて所詮は薄給、あそこでお買い物ができるようになるまでにはきっともっと時間がかかるけれど(そして本当にそんな日が来るかも分からないけれど)、それでもまた、行っても良いのかなあ。