「ポップコーンを食べながら映画を観る」という夢を叶えるために映画館に行って絶望した話
それは私の長年の夢だった、といっても過言ではない。
いや、さすがにそれは言い過ぎた。だが私は長い間、といってもせいぜい数か月のことだが、あることをしてみたくてうずうずしていた。それは「ポップコーンを食べながら映画館で映画を観る」ことである。
先に断っておくけれど、(おそらく)お見込みのとおり、私はあまり映画館に行く方ではない。直近で観た映画は「名探偵コナン劇場版」だし、その前に観たのも「名探偵コナン劇場版」だ。つまりは名探偵コナン好きであるとともに、私にとっての映画館は「好きなものが映画化したから足を運ぶ」程度の存在なのだ。
そんな私がどうしてポップコーンを食べながらの映画鑑賞に心を惹かれたのか。それはずばり「売店からいい匂いがするから」である。シネコンというものはとてもよくできていて、チケット売り場と劇場の入り口の間に大きな売店が設置されており、ポップコーンの香りを感じずには映画は観られない、という構造になっているのだ。
とはいえども今どきの売店にはポップコーン以外にもいろいろとおいしそうな食べ物が並んでいる。にもかかわらず私がポップコーンに執着するのは、「映画館=ポップコーン」というイメージが頭の中にこびりついているからだ。早い話、「映画を観ながらポップコーンをつまむ」というベタなシチュエーションを体験してみたかったのである。
かくして有休をもらった平日のある日、私はついにその作戦を決行することにした。まずは映画選び。なんとなく邦画よりも洋画の方がポップコーンにふさわしい気がする。世界広しといえどもポップコーンに合うかどうかで観る映画を決める客など私くらいであろう。手ごろな映画を見つけ、早速映画館へ。さすが平日、人影はまばらである。これならば多少ポップコーンの音を立てても安心である。チケットを購入し、意気揚々と売店へ。
ええと、ポップコーンは……あれっ、SとかMとかのサイズはなくて、ファミリーサイズとそれ以外の二択のようだ。まあいいや。飲み物も必要だな。おいしそうな飲み物がたくさんあるんだな。でもここはやっぱり……。
「ポップコーンとコーラをください。」
そうそう、ポップコーンにはコーラでしょう。これぞまさしく王道。
私の注文を受けた売り子さんはてきぱきと準備を進める。小学校の算数の時間に先生が使っていた巨大三角定規サイズのトレイに、注ぎたてのコーラがセットされた。次に売り子さんが手にしたのは主役であるポップコーン。
いや、ちょっと待って。あやうく私は売り子さんに突っ込みを入れそうになった。なにそのポップコーン。大きすぎるでしょ。明らかにうちの風呂桶より大きいんですけど。
しかし売り子さんは注文の品をセットし終えると、笑顔とともに巨大三角定規型トレイを差し出してきた。私は厚紙の蓋で閉じられた風呂桶ポップコーンを横目で見ながらも、動揺をけとられぬよう笑顔でそれを受け取った。子供の頃に映画館で見たポップコーンは、スタバのベンティくらいの大きさだったと記憶していたのだが、思い違いだったのだろうか。
悩みながらも劇場に入った私は、自分のシートを見つけ、腰を下ろした。上映十分前だというのに、劇場には誰もいない。そもそもチケットを買った時点で、この回のお客は私を含めて五名程度なのだが。
体勢が落ち着いたところで、私はついにポップコーンと向き合うことにした。何度見ても自宅での入浴を彷彿とさせるサイズ感だ。しかし肝心の中身は厚紙の蓋のせいでまだ未確認である。もしかしたら、中身は拍子抜けするほど少量かもしれない。私は、別にそうしなくてはいけない理由などどこにもなかったのだが、そっと厚紙の蓋を開けた。
そうだよね。きっとそうだと思ったよ。私は軽い絶望とともに風呂桶の中にたんまり入ったポップコーンを見つめた。思ったよりも量が多かったことにがっかりするなんておかしな話だが仕方がない(お菓子だけに、と言いたいところだが)。
気が付くと大きなスクリーンでは、映画鑑賞マナーを紹介する動画が流れている。無論会場内はまだ明るい。本編が始まるまで、まだ時間がありそうだ。その時私ははたと考えた。
あれっ、ポップコーンって、映画が始まる前に食べ始めても良いんだっけ?
思い浮かぶイメージは、辺りが真っ暗になり、スクリーンに反射する鈍い光を受けながらポップコーンを口に運ぶ観客の姿だ。しかし、そのイメージはあくまでも彼らが上映中に食べているという事実だけを示しており、いつ食べ始めたかを明確にするものではない。私は新幹線で駅弁を食べるときは必ず発車してからお弁当の帯をほどくほど、ルールに厳格な女だ。困った。一体いつ食べ始めればよいのか。
ま、いいか。
私は急にどうでもよくなって風呂桶の中に手を突っ込んだ。だってこんなに沢山あるんだもの。
風呂桶の中のポップコーンはほんのりと温かく、私はそれらをそっと口に入れた。おいしい。そしてすかさずコーラを飲む。そうそう、これこれ。これこそが映画鑑賞って感じだ。まあまだ予告編すら始まっていないけれど。
塩気の強いポップコーンはなんとも後を引く。これならば完食できるかも、と思いつつ進めていくが、意外にもというか、予想通りというべきか、ポップコーンは全然減らない。しかも食べ進めていくうちに、ポップコーンという食べ物は意外と音が出る、ということに気が付いてしまった。まずポップコーンを手で探る音、そしてもぐもぐする音。今日はお客が少ないからいいけれど、隣の客がこんなに音を立てたら結構気になるのではないだろうか。しかも巨大三角定規型トレイも結局使いこなせず、両方のひじ掛けのドリンクホルダーを占有しているし。はっきり言って隣に居たらかなり迷惑な客だろう。
そんなことをしているうちに劇場の照明が落ち、ついに上映が始まった。今日は周りのお客に気を遣う必要はない。心置きなく「映画館ポップコーン」を満喫しよう。そう思ったのもつかの間、私は新たな問題に直面することとなった。
この日は先に述べたように劇場内はガラガラで、私は目の前に誰もお客がいない状態で真ん中の席を陣取っていたのだが、いかんせん条件が良すぎて、気を抜くとつい映画に夢中になってしまい、ポップコーンを食べる手が止まってしまうのだ。
ダメだ。私は何度も自分を律した。今日の目的はポップコーンを食べることであり、映画を楽しむことではないのだ。映画に気を取られていては本末転倒ではないか。
しかし私はまたしてもポップコーンを口に運ぶタイミングで頭を抱えることになった。私がこの日見たのは少し怖い映画だったのだが、手に汗握るシーンではポップコーンを食べている場合ではないし、平穏なシーンだと安心して風呂桶に手を伸ばすと急に展開が変わり、思わず手が止まってしまう。そして、最も想定外だったのはポップコーンの味である。塩気が強すぎるのか、飽きが来るのも思いのほか早かった。さらに、やはりポップコーンは穀物からできているだけあり、結構お腹にたまる。いつの間にか私の手はすっかり止まってしまった。
そして迎えたエンドロール。私は映画の余韻もそこそこに、風呂桶の中を覗こうとしたが、すぐに思い直した。最後に手を入れた時の感触でうすうす気が付いていたのだ。底はまだまだ遠いということに。
なんということだろう、私は負けたのだ、風呂桶ポップコーンに。
敗北の味をかみしめながら、私は一人劇場を出た。こんなはずじゃなかった。私はただ、イメージ通りの「映画館ポップコーン」を楽しみたかっただけなのに。
もしかして。私はポップコーンを購入した時からうっすら抱いていた疑念を再考せずにはいられなかった。映画館のポップコーンって、一緒に映画を観に来た人たちとシェアして食べる想定しかなくて、私のようなおひとり様用には作られていないのでは……。
そうか。「映画館でポップコーン」という行為は、リアルが充実した人々にだけ許される特権だったのか。
まさかそんな厳しいオチが待っていたなんて。私は傷ついた心にそっと蓋をして、今度はホットドックを食べながら観ようかな、あれならちゃんと一人分だし、などと考えつつ、映画館を後にした。