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会社の互助会から結婚も出産もしていない社員に支給される「調整金」というシステムは不要だと、既婚子持ちのグッドルッキングな後輩男子が主張した話

 私は行き遅れである。ゆえに一度も結婚をしていないし、出産もしていない。

 私は今の会社で二十年近く働いている。当然のことながら毎月会社の互助会費も払い続けているのだが、上記の事情により、その恩恵を受けたことは一度もない。まあ何一つおめでたいことは起こっていないのだから、お祝いされないのは当然だ。

 しかし、互助会というシステム上、私の積立金の一部は、おめでたい誰かにお祝い金として支払われている。この部分だけで言えば、私は支払い損ということになるだろう。まあそんなことを言ったらいままで呼ばれてきた結婚式のお祝い金は全て支払いっぱなしなので、今さら互助会費ごときには何も思わないのだけれど、冷静に考えると、なんだか私ちょっとかわいそうだなという気もする。

 そんな行き遅れに朗報がある。私の会社の互助会は、五十歳まで結婚も子の出産等もなかった場合、「調整金」が支給されるのだ。「調整金」というネーミングはおそらく熟考の上で決められたものだろうが、平たく言えば「払ってばっかりで恩恵を受けられなかった人たちの不公平感を調整するお金」ということだろう。金額はおそらく結婚祝金と同額だ。もちろん結婚はしても子供がいない夫婦は世の中にごまんといるわけだから、彼らよりも「調整される」我々が多額をもらうのはおかしな話であり、妥当だろう。

 若い頃は「調整金なんかもらったら終わりだよなー」などと思っていたが、結局行き遅れたため、このままいけば数年後には無事調整金を手にすることになる。ここまでくればもはや「お金もらえるの嬉しい」くらいの気持ちになっているので、この「調整金」という制度には感謝の気持ちすら抱いているのだが、先日職場でこの話になった際、後輩のグッドルッキングな既婚子持ちの男性が「調整金なんて制度は不要だ」と言いだした。彼の主張はこうである「結婚も子の誕生も、お金がかかるから互助会費からお金が支給されるのだから、お金がかかるイベントがないのに支給されるのはおかしい」。

 まあ言われてみたら確かにそうだ。調整金がもらえる時点で、お給料のほとんどを自分のために使える(人が大多数な)わけで、比較的お金に余裕がある可能性は高い。しかもお祝い金とは違って、その用途は不明瞭であり、彼の主張も一理ある。

 うん、確かに一理あるんだ。

 でもさ、私たち行き遅れがかわいそうすぎやしないだろうか。お給料に応じてある程度同じ割合を支払っているのに、一方はやれ結婚だ出産だとお祝いされて、こちらは何一つ祝われずにただせっせと原資を支払うのみ。そんなのひどすぎるじゃないか。

 そんな私の主張に対し、彼はこう答えた。
「そんなの、好きで結婚しなかっただけでしょう。どうしてそんな人にお金をあげなくちゃいけないんですか。」

 違います。結婚しなかったんじゃないんです。できなかったんです。

 そう反論してから、ふと私はあることに気が付いた。
 彼らの世代には、「結婚しない」という選択肢が普通に存在しているのだ、と。

 私が二十代前半から三十代中頃くらいまでは、少なくとも私たちより上の世代は「人は結婚することが当たり前」という考えが主流だった。だから親戚や近所のおばさまに「結婚しないの?」「はやく結婚した方が良いよ」などと言われるのは日常茶飯事で、そのたびに愛想笑いでかわしつつ、お腹の中ではちょっと活字には起こせないような感情を抱えていたのだが、そんな失礼極まりない時代は、もうずっと前に終わったようだ。
 確かに今は未婚の人に「結婚しないの?」などと聞くような人はずいぶん減ったし、「結婚しない」ことを選ぶ人たちも増えている。いつの間にか価値観が多様化した現代、色々とややこしくなってきたなと思うことも多いけれど、行き遅れが市民権を得たという点では、いい時代だと思う。

 それを踏まえて考えると、後輩の彼の主張は行き遅れという生き方……じゃなくて「結婚しない」という選択肢を前提としたものであり、むしろ私たちの生き方を認めているからこそのものなのだ。

 しかし、だからと言って「じゃあ調整金なんかいらないね」とはならない。そもそも何回も言うけれど私は結婚しないことを自ら進んで選んだわけではないし、そもそも後輩は顔が良いし性格も良い(先の発言は意地悪からのものではなく、思ったことを言い合えるようになった私との関係性によるものである)ので、一言で言えば以下の通りだ

「黙れ、ハイスペック」。

 結局この話し合いは
「そうは言っても結婚しても結婚式やハネムーンに行かない人もいるんだから、結婚が必ずお金がかかる、というものではない。だから『お金がかかるから』という理由で互助会からお金が出ているとは一概には言えないだろう」
という私の屁理屈で終結した。

 いずれにせよ、今まで支払い続けてきた互助会が、初めて私にくれるご褒美、それが「調整金」である。上手いこと自分の心を調整できる使い方を、今からじっくり考えておこうと思う。

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