「初年度」に呪われている私が八年振りの「初年度」を迎えた今年、残り六か月を棄てる決意をした話
どうも調子が良くない。
幸い、身体の話ではない。仕事の調子が良くない。正確には、仕事が全然出来ないのだ。物理的にではない、能力的な話である。なにせ八年ぶりの職場異動。仕事内容も一から、職場のルールも一から。これまでやってきた仕事の常識がほぼ通用しないところで働き始めて早六か月。そろそろ慣れても良い頃なのに、まったく慣れることなくいたずらに時だけが過ぎた。いや、人間関係はそこそこ慣れてきた、と思う。問題は仕事そのものだ。
誤解のないよう断っておくが、そもそも私は今の会社に向いていないので、異動前の職場でバリバリ働いていたわけではない。異動前も日々「私全然仕事できないな」と思いながら過ごしていた。しかし今思えばあの頃はそれなりに仕事をこなせていたのでは、と誤解するくらい、今の私はひどい。何をやっていいか分からないし、進め方も分からない、段取りもうまくいかない、作る資料もいつも変(らしい)。毎日出るのはため息ばかりである。
しかし、ある時ふと思い出した。そう言えば私、今までの人生においてスムーズに「初年度」を終えられたことがほとんどないのだ。
「初年度」の定義を「その組織に初めて身を置く年」とするのであれば、私の初年度はいつも悲惨なものだった。
まず、小学校の初年度、つまり一年生のときは厳しい担任に目をつけられて、日々生活指導を受けたうえ、なぜか親が容認していた私の左利きを矯正されそうになった。もっともこの頃はあまり物心がついていなかったので、主に被害を受けたのは保護者、特に母親だったけれども、今振り返っても一年生の頃の記憶がほぼないのは、あまり楽しい思いをしなかったからだろう。
中学一年生の時は担任が男性の体育教師で、これまた根っからの運動音痴である私とは全くそりが合わず、ある学期末に女性体育教師が私につけた「2」(5段階評価)という成績に対し、「普通に授業を受けていれば、こんな成績はつかない」と指導してきた。私としては苦手ながらに一生懸命やってその成績だったので、子供ながらに「この人に自分のことを分かってもらうのは無理だ」と絶望したのを覚えている。
高校一年生の時は勢いで受験してノリで合格した進学校の授業について行けず、退学を考えるまでに追い込まれた(結局「勉強についていけないから退学、というのもかっこ悪いと思い、なんとか踏みとどまったのだが)。
社会人になってからも、異動先の一年目はキツい先輩の下に当たったり、上司が意地悪だったり、全く仕事に馴染めなかったりと、様々なバリエーションでろくでもない一年間を過ごしている。間違いない、私は「初年度」に呪われているのだ。
どうして善良な市民である私がこうも呪われているのか、心当たりは全くないのだが、きっと前世で初年度に対して何かろくでもないことをしたのだろう。いずれにせよ呪いを解く術がない以上、この運命を甘んじて受け入れるほかにない。「初年度」である今年一年間はなにをどう頑張ってもうまくいかないし、どんなに努力しても無駄なのだ。だって呪われているんだもの。
そう思った瞬間、私は自分の方の力が抜けるのを感じた。私がこの四月からの半年間、頑張っても頑張ってもうまくいかなかったのは自分のせいではない、呪いのせいなのだ。これからは失敗したり上手くできなかったときは心の中でこう呟こう。
「仕方ない。だって私、呪われているんだもん。」
というわけで、私はこの九月を持って今年度の残り六か月を棄てることにした。三月までは完全なる消化試合に徹し、今後この部署にとどまるか、それとも見切りをつけて異動を願い出るか、はたまた他の方法を取るか、という重要なことは全部来年の自分が考えることにした。仕方ない。だって私、呪われているんだもん。
経験上、何をやってもうまくいかない時期というものはあるもので、そういう時に色々と考えたってろくな結論は出てこない。それは例えるならば充電の切れたソーラーカーで走り出そうとするようなものだ。どう足掻いてもどこにも行けない。そういう時はその場でじっと息をひそめて、充電がたまるのを待つのが一番だ。
毎日毎日どうにもならない。今までちゃんとできていたことが上手くいかない。進め方が分からなくて途方に暮れる。今年の新人社員の方が仕事ができているような気がする。でも仕方ない。だって私、呪われているんだもん。ついでに、下っ腹が出てきたのも、貯金の減りが早いのも、髪の毛が毎日まとまらないのも、きっと全部呪いのせいだ。
今年も残すところあと半年。もうこれっぽっちも頑張らないぞ。