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魚新通り
こんにちは☺️
見つけてくださり有難うございます♪
今回は、新町から魚屋町に向かう魚新通りを散歩してみました🚶♀️
新町
いつも賑やかな本町通りを離れて、魚新通りに来ました。本町通りと同じく電線が無くてすっきりしています。
![](https://assets.st-note.com/img/1719978999288-yQ97mUdY4Q.jpg?width=1200)
新町の町名由来看板は、こちらの記事に載せてますので、関心ある方は併せてご覧ください。
左側の歴史がありそうな建物は、米清旧宅というそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1719980293781-7wnhnwAEg9.jpg?width=1200)
米清旧宅は、正式名は三井家住宅主屋で、明治22年(1889)築、奥が三井家住宅蔵で大正7年(1918)築、どちらも登録有形文化財です。
魚屋町
![](https://assets.st-note.com/img/1719991747299-DsJW4uBvZ5.jpg?width=1200)
この辺りから魚屋町なのですが、町名由来看板はもう少し先なので、先に載せちゃいます。
![](https://assets.st-note.com/img/1719992280271-ePGdp6V4Ao.jpg?width=1200)
魚屋町は城下町の中でも特に賑わった町で、昔は魚屋商人が多かったので魚屋町と言います。
犬山一二ヶ町の一つで町人地でした。
ところで、旧ライン劇場ってなんだろう?🤔
調べたら1970年ごろまであった映画館でした。
井戸端まっさき
![](https://assets.st-note.com/img/1719992705761-QHId6DVqZB.jpg?width=1200)
ライン劇場は、この奥にあったようです。
左の緑地は、魚屋町ポケットパーク井戸端まっさきと、秋葉神社です。
先程載せた町名由来看板の一部を書き出してみますと・・・
旧ライン劇場へ行く道の中程に、津田氏の大門口と呼ぶ所があり、ここに津田与左衛門の屋敷があったという。ここから、木曽川の二符の渡しへ通じる道もあったが、江戸時代に入って廃止された。
木曽川の内田の渡しには、一符と二符があり、二符は廃止されたらしいです。
犬山之図
![](https://assets.st-note.com/img/1720051111991-gBvWy1xTQ7.jpg?width=1200)
さてこれは、城とまちミュージアムで買ったクリアファイルなのですが、赤で囲ったところに津田与(與)左衛門さんの名前が見えます。青で囲ったところは水溜となっていて、井戸端まっさきの辺りのように見えます。
犬山里語記の魚屋町の項を見ると・・・
中程北側に津田大門といふ所有 今は亭主番所と成(略)往古は木曽川二部の渡しへ通路の下り口と云(略)中古此御屋敷も新道へ御門替りたり 夫より西に新道に入口有 此処水溜有
津田大門は、魚屋町沿いにあったのではないですかね?🤔そこはよく分かりませんでした。
余坂の木戸跡
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余坂の木戸(善師野口)付近です。
道路改良工事をしないところが犬山城下町の素晴らしさですよね😍
![](https://assets.st-note.com/img/1720316910229-wJhfLBrZxv.jpg?width=1200)
余坂の木戸跡説明板です。
犬山城下町には木戸が全部で9ヶ所あったのですが、説明板があるのは余坂だけです。
だいぶボロボロなので、以前撮った画像も載せます。左端の土卒は、士卒(士族・卒族)の間違いのようです。
![](https://assets.st-note.com/img/1720317165736-WR5SzvuHR1.jpg?width=1200)
城とまちミュージアムのジオラマで魚屋町付近を見ると、木戸は☜印の位置にあったようです。
![](https://assets.st-note.com/img/1720831470607-mOEuUrllpR.jpg?width=1200)
木戸で魚屋町は終わり、木戸の外は城下廻りの余坂村になるのです。
最後まで読んでいただき有難うございました。
ではまた👋