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東京大学院合格「前」体験記(3万字

※この文章は筆者が大学院に受かる『前』に執筆されています。
なんでそんな妙なことをしてるのかは、後述します。

○○先生
東京大学院教育学研究科基礎教育学コース、合格しました。飛び上がるほど嬉しいです。
月並みな言葉になりますが、ひとえに○○先生の丁寧な指導のおかげです。ありがとうございます。
今後とも精進します。本当にありがとうございました。

⇑さて、いかがだったでしょうか。そう、本当に月並みですね。

あなたがこの文章を読まれているということは私は大学院に受かっていて、あなたは
「大学院に行きたいな…東大とか行きたいな…でも一人で勉強するのは諸般の理由から厳しいから院試の塾に通いたいな…」みたいな気持ちで、

もしくは「勉強疲れたな…本当に受かるのかな…めちゃくちゃ不安だな…そうだ合格体験記でも読んで、参考にしたり自分を奮い立たせたりしよう」みたいな気持ちでこのページにたどり着かれたのかもしれません。

そこで上記みたいな文章を読まされた時、どう思うか。何を感じるか。

『隔絶の感』、以外にある??????????

すみません、取り乱しました。
いやしかし考えてみてください、この世のすべての真の意味での合格体験記は、合格した人間によって書かれていますよね。
読む人は合格していませんよね。だからそこにはものすっごい断絶があるわけです。
だって合格した人の実存は既に変化してしまっているから。

端的に言えば

受かった人「受かりました!感謝!不安でしたがこうしてこうしたおかげで受かりました!」

受かってない人「うっせえ馬鹿!!!!てめぇ受かってんだろ!!!!

という感じ。経験した者が、経験していない者にとって正しいか判断できないものを押し付けるという意味で合格体験記というのは凄く暴力的(で教育的)な行為だと思うんです。
ではその壁をどう越えるのか。
もうわかりましたね。

受かる前に合格体験記を書いてやる。

というわけで、
※この文章は筆者が大学院に受かる『前』に執筆されています。
何卒宜しくお願い致します。

受かっていないのでテンションは変だし語気は荒いし読む側も大変だと思うんですがここで下手に文章を整えてしまったりすると、あなたの不安さに寄り添えない一般合格体験記と同じになってしまいますのでこのまま走り抜けます。
※3万字あります。つまみ読みをお勧めします



1、僕について

まず世間の合格体験記についての欠陥のひとつに、合格した方の前提が抜け落ちていることが多いところがあります。
「偏差値○○から逆転合格!」「△か月で合格!」とか言ってよく見たら有名校であったり、家庭的に恵まれていたり。「いやずっと高いポジションにいた中で落ち込んだ時期をことさらに抜き出されて一般化されても・・・」「特異な才能があっただけでは?」って思いますよね、僕は思います。

だから僕の院試前の位置について話させていただいて情報の非対称性を均していきたいと思います。(多分個人の特定に関わるところは公開前に伏せられると思いますので全部書きます。)

背景
・父は大阪区立大理工学部卒→大阪府立大学院(現大阪公立大学院)卒→三菱重工業
・母は愛知淑徳大学文学部卒→専業主婦
・母方の祖父は大学教授

→出身社会階層は高い

・私立愛知高等学校出身(偏差値62~65)
・明治大学文学部心理社会学科現代社会学専攻卒(うまくいけば)
・入学時の学部偏差値は河合塾で62.5

→出身大学は一般の社会階層から見たら高い。
文系院試などをする人間からしたら多分低い。

(「それより低いんだけどやっぱ大学院受けちゃダメなのかな…」という方は後でフォローしますのでついてきてください。大丈夫です。)

・発達障害(ADHD)
・えいごできない(大学の語学単位は合計6回落とした上でお情けでもらいました)
・すうがくできない(偏差値26でした。今でも繰り上がりがきついです)
・こくごはとくい(生まれつきと文化資本です)
・めいじだいがくのはんていはずっとE(まぐれで受かりました)

いや、これもポジショントークですね。こうした方が早い。

データから見ると
「愛知県公立中学で50/200→偏差値62~65の私立高校全体200/400
→受験科目の切り捨て私立文系コース10/200→私大受験者12/100」って感じですね。
詳細ですみません。悪癖なんだけれどまあこのキモさこそがぼくの文学だよね!という開き直り。
そんな感じが院試のスタート位置でした。

何を読み解くかはお任せしますが主観的な語りだと
「小さいころから優秀な祖父、父に憧憬を抱くもADHDで国語以外の勉強もできず、劣等感に苦しんでいた。数学の切り捨てと英語の配点調整でE判定ながらなんとか明治に受かった」なんですが、社会階層で見ると「資本に恵まれたやつがそこそこの再生産をした」ですね。つらい。


2院試の決断について

正直めちゃくちゃ不安でした。
バカだし、英語できないし明大しか受からなかったし。

3院試に塾を使うことについて

大学院試に塾を使う、という事にはいろいろなことが言われます。
この問題はすべて「学力のポジショントーク」という所に帰すると思われます。

そして結論からいうと
「あなたが必要だと思ったのなら、誰の意見であろうと迷うことなくお金を払ってメソッドを買ってください」

になります。

こんなにも「文系院は就活が不利」という身のない言説が流布する中で院入試を受けようだなんて人は勉強が得意な人が多いわけですよ。
発言者のポジションを見極めることなしに意見を鵜呑みにするのは漁師のやってることを見て深い海にダイブするようなもんです、自殺行為。

少し僕が経験した例を挙げますね。

「大学院の方は簡単だから、研究計画書とかは3日で終わらせたかな、締め切りはビビった(笑)まあ、何とかなるよ」(東大内部→東大院比較教育社会学※今年の倍率6倍)

「まあ明治受かってるんだし、同じかんじで独学すればいけるでしょ」
(偏差値43高校→独学で明治→独学東大院)

「いやいや、東大ってついているんだから難しいに決まってるし無理だよ、英語もあるし」(僕、力と資本を振り絞って明治)

「院試は簡単WWWWW学歴ロンwwwwwwダwwwwwww」(論外)

ほらな?????立場違うでしょ?????

最初の人は合格者という時点で隔たりがあるうえで、前提が全然違うじゃないですか。
二人目は僕とは学校歴で同じに見えても、やはり学力という面で隔たりがあるわけです。
本人曰く「測ってみたらギリギリギフテッドじゃなかった」人ですし。
論外さんは論外じゃないですか。学歴コンプのただのルサンチマンですから。
普通に難しいし、院試(ポジショントーク)

要するに、同じゴールに向かうにしても、前提条件の違いから追いつくための戦略は自分にひきつけて考えなくてはならない。

そういう意味で塾に通うか、通わないか、独学で受かりそうなのかはしっかり自分で考える必要がある。ということです。

僕の場合はバイトで塾代を稼ぐために失う時間と、
しっかりとしたテキストで安心して受験対策が進められること
利益相反のない支援者(先生)を得られること
定期的な練習の機会があり勉強量の最低限が確保できること
合格者のメソッドに直にアクセスできること
自分の勉強タイプ

等を勘案して通うことに決めました。メリットしかなかったので。

通えってんじゃないですよ。自分で決めよう、という話です。
(のちに焦げ付きを起こすことになるのでそこも注意)

4とある院試塾について

HPの第一印象は「なんか胡散臭いな・・・でもプラトンとアリスとテレスの絵を載せているあたり、知というものを大切にしていそうなことは分かるな・・・」でした。

そこで今のあなたのように合格体験記を見て「○○先生」なるものがすごい持ち上げられているのを眺め「合格バイアスかかってんじゃねえの」と思いつつ、ただ文言を変えたりはしていないらしいし、事実ベースでは間違っていないだろうと考えながら兎にも角にも問合わせのメールを捻り出し送信…みたいな感じでした。

4の2
面談。
さすがに人生を預けるわけなので他の院試塾も見ていました。結論何で決めたかというと「人」と「実績」でした。

はい、新卒1年目の入社理由みたいになってすみません。面談当日まで様子を思い起こし少しエスノグラりますね。(←ラリってる)

返ってきたメールがこちら。(私信?の公開っていいのかな)

○○事務局です。
この度は、お問い合わせをいただき、まことにありがとうございます。

面談の日時についてご相談させてくいただきたくご連絡いたしました。

ご希望いただきました日程ですが、9/24、9/25については面談日でなく、都合もつかない他、9/30(土)につきましても、すでに全ての時間のご予約が埋まってしまっております。
ご希望に添えず、まことに申し訳ございません。

現在ですと、面談日で実施可能な日程が、以下の通りです。
10/4(水)12:45から、あるいは18:15から
10/7(土)13:00から、あるいは15:30から

なお、オンライン(Skype)での面談の場合には、9/26(火)、9/28(木)、9/29(金)の、だいたい15:00~18:00の間で調整可能です。」

え…?もしかして人気の塾なのか…?

というかもしかして塾がこれだけ盛況ってことは、院試も倍率が高いって…コト!?てことは、もうムリ…ってコト!?(飛躍した論理)という感じで勝手に絶望感を抱いていました。南無三。

当日について

場所わかりにくすぎだろ!と思ってました。実はめちゃくちゃわかりやすくて東大の正門から交差点を突っ切れば着くんですが。

そして面談

・・・

あ、信頼でき・・・そうかも。(ちょろい)
こちらの要領を得ない話や漠然とした不安を捉えつつ分かりやすい筋道をたててくださってかなり安心できました。悪い塾ではないのかな、っと思えるようになったのは面談後からです。

5受験中の不安について

死ぬほど不安に決まっています。
ビビりまくっているにきまっているじゃないですか。こちとら大学受験時それで鬱にまでなってんですよ。不安で夜は悪夢を見て飛び起きるし睡眠薬ぶち込んで、ようやく自分を抑えつけて寝たと思ったらやっぱり悪夢を見て身を固くして一晩で4回くらい起きるし、寝れないことが寝れないことを加速させてとにかく朝ごはんだけでもと思い、開かない胃に飯を流し込んででも吐きそうでうまく消化すらできなくて、こんなんじゃ受からないとと思って焦ってまた勉強が手につかないで焦って・・・なんて日常茶飯事ですよ。

本当は、本当は、不安なんかないで3食食べてしっかり寝て集中力を保ちながら逆算して勉強して息抜きもして、ダメなら改善しつつ1年待って、というほうがいいのは分かる。

無理。むりむりの無理。

頭はボーっとするし、傍にいる大切な人にこそ甘えから辛く当たってしまい自分ですらそれをとどめることができない。よりよい選択肢は見えているのに頭の中がクリアでないからそれを選べず頭の中で選択肢が飽和して何もできないまま時間ばかりが過ぎていく。そんなもんです。あなただけじゃないです。私はそこまでじゃない?むしろそれよりひどい?そうですか。とっても現象学ですね。誰か詳しい人、僕を殴ってください。

6英語と研究の両立について

英語と研究では使う頭が根本的に違うので、研究をしている間英語が止まってしまうということがありうるというのは○○先生から言われているとおりだと思いますし僕も止まりました。

得点推移位8割がベター
論述推移


7過去問について

怖い。怖すぎる。端的にこれ。ほんまこれ。
だって過去問だよ?分からなかったらショックじゃん。世のアドバイスはあまりにも合理的過ぎてちょっと引いちゃうところがありますね。(「なるべく早く確認して逆算したうえで勉強しよう!なんてみんな分かってるって)見たくねえわ過去問なんて。

実際僕が過去問に触れ始めたのは論述読解が始まった、入試年度の春(3月)からです。
そして過去五年分を通しで見たのは2024年6月27日です。これが早いのか遅いのかはよくわかりません。

ちなみにここでいう「通しで見る」というのは
『音楽をイヤホンでガンガンに鳴らし頭の中のすべての恐怖を攪拌し麻痺させながら過去問冊子のページをめくり、とにかく文章を頭の中に滑らす』という作業の事です。有意義だなあ。

人間は弱く保守的なので、そうじゃない非人間的に強い御仁もいるのかもしれないけど僕はそうじゃないので。隣の山に行って餓死するより今の山がいいので。

でも、とにかく試験問題と「知り合い」程度になっておくのは大事だと思います。形もない物を怖がるよりは具体的な敵として知っておいた方がいいのは間違いない。恐怖の質が違います。
(チェンソーマンでも「闇(未知)の悪魔」より「銃の悪魔」や「支配の悪魔」のほうが弱かったし対処法が理解できたじゃないですか。対処できるかはわかんないけど)

ちなみに論述試験の項目で詳しく言いますが当日ですら全部の問題と友達になる必要はないみたいなので、そこも安心してよいところかと思います。大学受験よりも専門性が高いのに全部の問題にすばらしく完答できるわけ、なくない?

過去問は本郷キャンパス正門入って正面の法文二号館の地下で5年分売っています。野口さん3人いれば大丈夫。もう変わったらしいですけど。ネットでも売ってます。配送料かかるけど楽だよ。

「院試の勉強会でもらえるから大丈夫」とよく言われるし実際もらえるから買わなくてもいいんだけれど「網羅したものがそこにある」という安心感と「まとまっていないものは時空の裂け目に消えるし脳内のワーキングメモリがアリクイよりちっちゃい」というADHD感があったので僕は買いました。これも自己判断が大切です。

8過去問対策について

塾に通うのであれば昴のテキストをしゃぶりつくせばいいんじゃないでしょうか。

9研究計画書について

独力で書く→よっぽど頭がいいなら別ですが無謀だと思う。
研究って多分共同的な知の営みなので、というのとさすがに頭がいいならそれが外れるリスクは分かると思うから逆に人に聞くと思うし、やっぱり無謀というか…

・お金を払って高橋先生に見てもらう→考えうる最善
利益相反がない上に特別に豊かな知見を交換可能な財と引き換えに与えてもらえるって最高じゃん、という話です。
すこし露悪的な言い方にはなりましたが、人柄についても知識についても単純に安心して任せられますし日本で一番東大院への研究計画書を見てこられた方なので塾にまで通っていて金銭的余裕があるならぜひ使ってほしいなと思います。僕の場合は言いたいことがたまっていてうまく形に落とし込めない人だったのでそこを手伝ってもらい、新たな視角も得た感じでした。

先輩に見てもらう→補助的な手段として捉えたほうが良いかと思います。

先輩は責任を取ってくれないので。これは先輩の人柄や能力にかかわらず、先輩という存在は先輩なので自分の研究と予定と就活などなどがあるわけです。単純にお互いが抱えきれなくなった時のリスクが高いなあと思います。
ただし、補助的な手段としては一番優れていると思います。一番研究能力が近く不安の質も近いはずです。僕の場合は幸運なことに結構最後の段階まで見てもらえて自分でも納得いくものが出せました。

自大学の先生に見てもらう→専門が被っていれば取りやすい手段だと思いますし、基本おすすめではあります。が…

僕の場合、学部の専門は社会科学で、院での専門は人文科学になる予定です。
となるとそもそも「人と人の間を調べる学問」と「人の中を探る学問」という違いがあるので研究視角が違ったりしてあまり効果的に自分の関心を深められないということがまま起こりました。
専門が接続している場合はその限りではないのかも。

研究室の先生に見てもらう→アリなの!?アリです。大アリ。
「裏技じゃん」と言われることもあるんですが、むしろ見せない理由がなくない?
受かったらどこで研究するんですか→その研究室
受かったら誰と研究するんですか→その先生
誰の手法や背景を使うんですか?→その先生

だよ?すごい時間とコストをかけて院試するのにゴール先の光景を確認しないのはなんか理想というより幻想に走ってない?と思うわけです。
そして裏技だろうが何だろうが受かった者にしか言葉は与えられないのだ。

というわけで3日ほど前に見せてきました。

「先行研究となんでこの研究をやるのか、研究対象と方法がしっかりと決まっていれば大丈夫だよ、対象をどこで見つけるかも書いたほうがいいね。どうせ変わるんだけど要素を抑えて考えているっていうのが大事」
「情報量を深めるというというよりも流れを理解しやすいようにして研究方法をしっかり用意してね」
「この部分(自分語り)は要らないかな」

「はい…」

てな感じでした。ほんといい先生(ゴマすり

むしろ
「一次試験通るほうが大事だからそっちの方がもし80点とか取れてたら研究計画書全然ダメでもポテンシャルあるんでって言って取ってあげられるよ」と言われたのでそんなもんなんだと思います。
研究計画書を頑張っていた僕はちょっとへこみました。さすがにさすがな言い方だとは思うけれど。

10ゼミ・コネについて

先輩を作ろう、使おう。授業に潜り込もう、以上。

11受からなかった場合を想像してしまう場合について

とことん考えたほうが今後のためになるのではないかな、と思います。
かのラッセル御大も「人が生存競争というときそれは真の意味ではなく人は自分が踏み車を踏んでいるのだということに気が付いていないのだ」「最悪の場合を考えつくして、結局それは大したことではないとわかること」が大切と言っていましたし。
というわけで考えてみます。

うからなかったら、どうなるんですか。
僕の場合、不安要素は一次試験なので実質的な合格発表は9 月13 日(金)午後2 時になるでしょう。
【受からなかった場合の想定】
多分、英語ができなかった。下線部訳はできたけれど要約問題がうまくいかなかった。多分足切りの60%に届いていない、この2日間は希望を持ちつつも、でもやっぱり沈んでいた。いやきっと行けているはずだ。手ごたえは当てにならないんだ。自分に言い聞かせようとしてでも本当は気が付いている、自分い嘘をついて信じ込もうとしているときの空回りした感覚を内側から感じて息がつまる。
集中して、切替えてとにかくいまは口述試験対策をと思うけれど、何も手につかず部屋をうろうろするばかりだった。たくさんの人に見てもらって、時間とお金を投資してきて、ここに受かるかどうかが結構なプライドになっていた。とにかくここを通らなければ見てもらえすらしない。朝から何も手につかず、母に勧められて少し眠ることにした。でも寝付けもしない。
受験番号は12。出願は最終日の2日前に行ったから少し遅めの番号だ。時計の針が遅い。1時50分。1年かけて準備してきた結果があと10分でわかる、不思議な感じだ。9,8、7…こんなに1分を長く感じたのはいつぶりか。あと2分。心が逆に落ち着いてきた。受からなかったら何だっていうんだ。中途半端に息を吸う。体の中の感覚に敏感になっているのが分かる、肩のあたりから倦怠感を感じる、時計は進む、2:00。2時になった。教育学研究科のページをスワイプし読み込みしなおす。変化なし、スワイプを繰り返す、変化なし。
1分ほど焦れて、スワイプ。

令和7(2025)年度東京大学大学院教育学研究科修士課程及び博士課程第一次試験(筆記試験)合格者について(不合格シミュレーション)

出た出たでたでたでたでたでた。出た。
頭が妙に加熱しているのに落ち着いているような奇妙な感触。もういい早く楽にしてくれ。指は瞬間的に文字をクリック、間髪入れずファイルをダウンロードする。
【ダウンロードが完了しました】
無機質なPDFファイルひとつで僕の人生が左右される。クリック。
番号が表示される。
目が画面を滑る。12番、12番。基礎教育学コースは一番最初なんだからみつけやすい、大丈夫あるはずだ。見つけやすいはず。10、よし11、13ーーー15よし、じゅうあれ?16、18ーーあれいや待て過ぎてるぞ?12は、12、12は。12は、、あれ?12はーー
ない。
ない?な、ない?あれ12番で合ってるよな。受験票を見る。合っている。間違えるわけがない、8月に交付されてからずっと見てきた数字だ。あれ?じゃあ何でないんだ、スマホに目を落とす。去年のファイルとかじゃないよな、一度画面を戻す。7年だ。開く。ない。
ない、ない。ない。不合格だ、不合格だ。
震える息が鼻からでてくる。体が固まって脳みそが熱くなる。目と瞳孔がひらく。不合格?1次試験で?
「一次試験で落ちるのはさすがにダサすぎ」生さんの言葉を思い出す。
中空を見つめる。母が隣にいる、目線だけを動かす。
「どうだったの」答えられない。不安げで窺うような様子、もう察しているのだろう。その様子がいつも失望させていた母と重なる。子どものころから、いつも。「○○」呼びかけられる。僕は眼だけを動かして、眉を顰める。涙袋が緩んで眉間にしわが寄っていくのがわかる。しわが顔全体に広がる。落ちた、落ちた、落ちたんだよ言わなきゃだめだろう出ろ言葉。出ろ。
「落ちた、駄目だった」
言った。なんだか息がかかって芝居がかった声が漏れる。悲しもうとして出しているような悲痛なんだ分かってくれと言わんばかりの情けない声がでた。でも言ったことで現実になった。落ちたのか。東大生には、なれなかったのか僕は。子どものころから夢見て屈折して大学院まで受けてめざした、東大生にはなれなかったのか僕は。
天井を見上げる。けど天井を見ている分けじゃない、息とも声ともつかない何かが気道を通り抜けていく、ああ、落ちたのか。皆と一緒にはなれなかったのか。じゃやの合格も確認しなきゃ、でもなんて言えば、どんな顔で今後付き合っていけばいいんだ。あと1年、1ねんまた耐えなきゃいけないのか、1ねん。ようやくいろいろな事から解放されると思ったのに、どうしよう、働かないと、いや笑顔で卒業旅行行けないだろ、絶対受かってたら嫌味や拗ねのひとつでも見せてしまう。合格して、合格していーしていてほしいけど、していてほしいけど。あいつは受かるだろ、いややめろそんなこと考えちゃ駄目だ、どうしようこれから、△さんにバカにされる。いや今まで何受かるつもりでいたんだ、どうしようなんて説明したら〇先生、〇先生、後輩たち、〇さん。いや番号は知られてるんだ今確認してるはずどうしよう、おいていかれる。はたら、はたらかないと。父親、父親は、バカにされる。どうせ無理な目標をってまた言われる勝てなかった畜生ちくしょうどうしよう。母親がなんか言ってるうるさいな聞きたくないよどうしよう。
【想定終わり】
くぅ~疲れましたw これにて完結です!
実は、ネタレスしたら代行の話を持ちかけられたのが始まりでした
本当は話のネタなかったのですが←
ご厚意を無駄にするわけには行かないので流行りのネタで挑んでみた所存ですw
どうでしょうか、受かっていない人の人の筆致は。巧拙はおいておいて受かってる人とは熱量が違いますね。今しか出せない味です。

はあーあ。

12就職について


一応就活を頑張っていた時期があって、残念ながら敗れてここにいます。
やっていて気が付いたことは「あっ、就職するのって肩書じゃなくて僕なんだ…」ということでした。今までサバイブするために学校歴をつけなくてはガクチカを作らねばと走り続けていたんですが(それも振り返ってみると3年間ずっと発達障害でも生きていける道を探そうとしてあちらこちらしてたんだなという感じ)なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんも、意味なかったですね。
全て発達障害が吹き飛ばしちまったよ。

すみません、意味はあったと思います。でもやはり自分が自分であることからは逃げられませんでした。事務はできるようにならなかったし遅刻も直らんし世の中への恨みも消えなかった。死んでもならないと決めていた先生業にだけは適性があって…。でも高等学校までの先生なんてわざわざ明治大学に来てまでやることじゃないですからね。何を偉そうに言うとるねんと思われるでしょうし別にこれは僕にとってそうであるだけで、否定しても否定しても湧き上がってくるからしょうがない。他の人にとっては知らないですけど僕にとっては何もかも捨てて振り絞って何とか手に入れた学校歴だったので、こんなにつらい思いをしてきたんだから絶対に見返してやりたい、いい思いがしたい。同期に負けるわけにはいかないとずっと気を張ってきました。その観念の中で学校の先生である自分は全く許せないんですね。楽しいだろうなとは思うけれど。金融機関の事務とかやりたい。絶対に死ぬというか比喩でなく死ぬ確率を上げるだけでしょうけど、でもフルタイムで働いたりしちゃって世の中に合わせられて普通に働けるってどんな気持ちなんだろう、と思わざるを得ないわけです。

これ大学院に進学する人向けのアドバイスじゃねえな。僕の恨み節だな。

でも言いたいこともこれに尽きる。
「個々人の持っている性質からは逃れられない」

どうあがいてもこれです。これでしかなく、これに3年間打ちのめされてきました。

あ、東大院の就職自体は悪くなさそうですよ。基礎教育学コース以外は。

13 アイデンティティ 何のために生きるのか?

しかし、私たちはなぜ就職を悪くしてまで生涯年収を下げてまで親に反対されてまで大学院なんか行くのでしょうか?学歴のためでしょうか、それとも夢のため?どうしても知りたい真理がそこにあるから?どれでも良いと思います。なぜなら多分そこには「よりよくいきたい」というあなたの意思が通底しているからです。

 学歴を例に考えてみましょう。学歴の効用は様々説かれます。しかし重要かつ見逃されがちなのは「あなたの幸せは何で、そのためになぜ学歴が必要なのか」という視点です。
先どって言えば学歴論の結論は「自分で思う理想の自己像と現状のギャップを埋める装飾を手に入れるため」と言えます。「自己装飾仮説」というらしいです。
そう聞くと、凄くいやらしい欲望に聞こえますが、そんなことはない。なりたいものを定めそれに向かって努力する意思は尊い。

一番言いたいのは「人間は何らかの価値を信じなければ生きていけない」ということです。進撃の巨人のラスト、人生をかけて王族の力を求め血統によってそれを否定されたケニ―アッカーマンは気が付きます「皆、何かに酔ってねえと生きていけなかったんだなあ」そうです。人間はただ生きるには賢すぎる。自分を毒する思想であれなんであれ我々は何かを信じずにはいられない。
 エビデンスや利益というのは思想に基づいて決定されます。古代ギリシャで仕事の自己実現性を叫んでみてくださいよ、自由人のやることじゃねえよそんなん。
現代日本でスコレー(閑暇)を追い求めアニメを考察してくださいよ、ニートだよ。
同じ行動でも賞賛されたり非難されたりするのはそれを支える価値体系が場所や人によって変わるからです。思想はエビデンスや利益に勝るんです。

 そしてそうした中であなたはとあることに気が付いてしまった。よりよく生きるために必要ななんらかが(知識得る喜びかもしれないし新規のつながりかもしれないし思い出かもモラトリアムかも名声かもあるいは苦しみかもしれない、とにかく何らかが)ー大学院にあると。とにかくなんかそういう思想の持ち主になってしまった。しかし世間一般では今そうなっていない。さて困った。

 そしてそのなかでそっと背中を押せるとしたら
「やりてえことを押し殺す人生は、つらいよ」です。
「そしてそこにあなたの思想のチャンスがあるよ」とも。
世間と一致しているとき、人は疑問を持ちません。世間と、普通と摩擦が起きたとき、世間という思想と摩擦が起きたときあなたは考えざるを得なくなる。
窮地は思想のチャンスなんです。

必要なのは「自分の」しあわせについてしっかり考えることです。考えて、結論をだし投企していくことです。22年間僕はこの作業をサボってきて、知らなくて。そして逃げてきました。だって怖すぎるじゃないですか。世間と違うんですよ?考え詰めたらヤバイ思想や自分が出てくるかもしれない。それが出てきてしまったら今まで生きてきた世界観とはさよならバイバイ、ですよ。だから僕はその違和感に蓋をしてなるべく世間の「しあわせ」に沿うように生きてきました。ガリガリと自分を削って鬱になりながら。

「人間は考えるという真の労働を避けるためなら何でもする」といったのはかのエジソンですが(ソースを調べたけど多分そう)でも大学院に行こうというあなたならそれを考えることができると思う。

おすすめはあなたの問いを投げ捨てない信頼できる他の人と考えることで
す。人間は独りで考えているとろくなことになりません。(国分浩一郎;絶対に字が違う)そして一人で考える、というのは本当に必要なことだと思うけれど、でもなんの頼りもなく思想を渡り歩き自分の幸せをこれだとみつけられるひとなんてそういないはずなんです。独りで考えているように見える人だって他者との関係性なしに自らを知ることなんてできはしません。身近な他人がいなければ、本を読みましょう。僕らが考えることなんざ紀元前から考えられていることがわかります。倫理の一番最初の項目は相対主義です。

大学院は僕の見受ける限りそういう思想を立ち上げるためにはかなり適した場所に見えます。それにこのご時世に実学以外の文系の大学院に行くというのが、そもそもちょっとした反逆ですよね。それを受けるか否か考えるあなたは既に思想の入り口に立っている。どうぞそのまま負分を肯いながら考えてみてください。
その繰り返しの中で、あなたが拠って立つべきあなたの幸せである思想が、立ち上がってくるはずです。

あなたは、しあわせになってよいにきまっているのです。

14考え方のコツ

15受かりそうになったとき

まずは、おめでとうございます。頑張ってきましたね。まずはお茶でも。もしくはノンアルのビールでも。何でノンアルかってあなたはもう酔っているから・・・

なんて。
気を引き締めろなんて非人間的なことは言いませんよ。嬉しいでしょ。賢くなって多角的な視点を得て、一番困るのは嬉しいことが喜べなくなることです。それはよくない。少し勉強を止めたっていい。

なんで止めないかって、どうせしばらくしたらあなたは不安になって勉強を再開するからです。成功って、もしくは成功するかどうかの確信って波型かつ右肩上がりのグラフなんですよ。
もう合格の喫水線を超えているならそれでよし。でも大半の方はそれをあんまり超えないので、きっと不安になる。不安になることの方が多いから、いまは喜んでおきましょう。そして夢でも語りましょう。ラッセルみたいな思想家になりたいなとかゲーテみたいな偉大な人になりたいとか。光源氏のような知性と美貌で妻たちと楽しく(もののあはれとか感じながら)暮らしたいなとか東大の教授になりたいとか明大の教職課程の教授になって日本語であそぼを監修したいとかNHKに入りたいとか500000兆億円ほしいとか。誰かを救う歌を歌いたいとか。今しか考えられない夢でも語っておきましょう。できればオープンに。夢あるところに人は集います。

やったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!

16 落ちそうになったとき

人生は方向さえ合っていれば大丈夫です。遅いか早いかの違いです。
しっかり考え院試を決断し勉強してきたという事実そのものがあなたの知性と輝かしい実存を表しています。どうか一休みなさい。そして勉強方法の本でも買って、もしくは信頼できる人に頼って問題解決を図ってください。人は一人では生きてゆけない脆弱な生き物である、問題は具体的でなければ解決できない、という原則を忘れずに。

17一日を無駄に使ってしまったとき

死にたい、と端的に思うかもしれません。いたたまれなくて自分を責めてしまうかもしれません。でも、普段から気を付けている勉強のテクニックや習慣が吹き飛んでしまってどうにもならないということは誰にでもあることで、あなたが悪いわけではありません。

東大の院試に受かった先輩も、僕の知っている東大生も、僕の知っているすごい人たちも、手前味噌ですがそこそこ有名なはず(なはず)の僕の大学の学生も、河野玄斗も、ゲーテもカフカもフローベールもマルクスももうあなたの思い浮かべる偉大な仕事をした誰もかれもが、時に習慣を守れず意志薄弱で才能がなく吹いて飛ばせそうな固い意志とエッフェル塔くらい低い自尊心を持って苦しんでいたのだ、ということを忘れないでください。
彼らのすごいところは早々に意志を捨て習慣の力に頼ったところで私もそれに倣いたいものですがどうしてもそれができない日もある。僕らは数百万年だらだら生きてきた人類の最後のほんの数秒(しかもどう考えても近々ほろびる具合)にいるに過ぎないし現代社会の生活がまtttttったく自然な人間の在り方に反しているというのはあらゆる科学的なファクトが示しています。そして意志というものを使い続けると人間は本能的になってしまうし、かなりのところまで疲弊して判断が下せなくなるということも、科学が明らかにしてくれています。一日無駄に使ってしまった程度では何も変わりません。でもそのあと継続するかで変わってくる。振り返ってみれば一日無駄にしたことすら忘れていますよ。大丈夫。

17の2 死にたくなった時⑵

 人間は完璧に描かれた三角形等にはなれないし問題は常に現実との折り合いです。本当にうんざりするほど、私たちはいやにくたびれる刺激と興奮と期待と比較と娯楽の中で過ごさされています。クソッタレな世界で何とかやっていっているあなたをまず私は肯定します。世界の片隅というにはやや光の灯りすぎた水道橋ドーム前から、ただあなたがそのままであるのが良いと思っています。

さあまずは落ち着いて深呼吸。深呼吸さえできなければ息を止めてください。深呼吸って死にたい時は難しいんですよ。しばらくすると大きく息が吸えるようになるので大丈夫です。

しっかりと食べて寝ているかセルフチェックです。どうっしても空けられない仕事があるのならそれだけは最低限度で終わらせてしまいましょう。偉人たちの言葉とかは踏みつけてよろしい。異人か何かだと思えばよろしい。たべて、眠れているならあとは現状の確認ですね。決して一人でやってはいけませんが、頼りになる人がいない場合が多いと思うので心の故郷になるようなおちつくものに頼るのがいいでしょう。僕の場合はこうやって書きだす事とコーヒーとご飯です。後は動画とか。本当はサウナとか行きたかったけれども。

18死にたくなった時 ⑴

今日もお疲れ様です。
豆知識ですが人間が現代社会で感じるストレスは自然界でライオンに出会ったときのストレスと大差なく、そして人間はストレスのかかることを考えるだけでそれを実行している時の半分のストレスを感じてしまうらしいです。つまりあなたは今日という日を、死というライオンに囲まれながら脱し、そしてその恐怖を目の前にしながらまた今この瞬間、生き延びている人であって、それは凄いことです。

本当に、掛けたい言葉はたくさんあって。でも私とあなたは別のもので絶対に分かり合えず共感は暴力だから、私の持っているどの言葉をかけてもあなたには空虚になってしまうから、私はただここにいてあなたを肯定していると伝える意味で、自分についてお話しするのがいいかもしれません。

僕は発達障害で、まあいろんなことがあって死にたく過ごしてきました。

19不安で目の前のことに集中できない時

「分かってる、わかってるよ不安で動けないほうが不合理だって!!!!!!目の前の事に集中しろっていうんだろ!!!!」

まあ最終的にはそうです。
そう、なんですが。

不安っていうのは生存のためのアラームらしいんですね。
「すぐ鳴るが火事は見逃さない火災報知器」のようなものらしい。それは
「たまにしか鳴らないが火事を見落とすこともある火災報知器」よりも人類の生存に合理的だったようです。よって私たちはどんな状況でも不安を見つける天才です。

鬱も、脳が「いま生存に危ない状況だからこの体を洞窟に引きこもらせておこう」と判断した結果らしい。つまりあなたの脳は生物としては非常に合理的に動いているんです。やったねちくしょう。
人為的な締め切りとシステムに囲まれた現代では家に引きこもっているだけで死にはしませんが社会的ダメージが蓄積していくので難しいところです。抽象と具体で解決していきましょうか。

抽象的にアドバイスすると
「コストをかけずに、今この瞬間に没入できる良質な休養法を見つけておこう」

具体的にアドバイスをすると(コストかからない順)

コスト☆
息を止める(深呼吸をするためです。深呼吸というのは能動的な行為なのでちょっと難しい。今起こっている現象を差し止める一手を具体化しないと僕は「深呼吸すらできない!とパニックに陥ります」)

コスト☆☆

紙に不安を書き出す(これもそういう研究結果があります)
目を閉じて音楽を聴き、歌詞を頭の中で文字起こしする。
漫画を読む

コスト☆☆☆

コーヒーを淹れる(コーヒーが好きなのでドリップで淹れています)
人に相談する(相談すると考えるのではなく「スマホを操作して信頼できる誰かのアイコンの電話ボタンをクリックするだけ」と考えるとやりやすいですよ)
当事者研究風に自分を分析してみる
chatgptに書きなぐる(適当にメモっても適当な答えを返してくれるのがいいですね)
日記をつける(人間は古来生きてきた証を遺してきました、自己感の統一には外部のメディアが有効みたいです)
不安である現状を動画に撮る(とにかく外在化するのが大切です。不安と事故が一体化していると解決に向かいませんので切り離し切り離し。)

コスト☆☆☆☆

サウナに行く(ぼくはこれめちゃめちゃ好きで、本当に解放されるのですが、ととのうまでのコストが高い。)
マッサージを受ける(マッサージをしてくれる人が必要。ちなみになぜ受ける、として自分でできるヨガとかストレッチを勧めないでいるかというと自分で自分をケアすることは厳密には不可能だと思うからです。ゆだねる感覚がないので。)
散歩(おそとこわいですが、おそとにもせかいはひろがっていることがじっかんできます)
お気に入りで没頭できる映画、アニメ、ゲーム(これは「本当に好きなもの」に限ります。好きでもないものを有意義だからと見れてしまうのが人間です。)

番外編 寝る(最強だが、不安な時は寝れないもの)

休養に見えて害悪となるが、否定もしきれないもの

ユーチューブ
セッティングのできていないお酒(海外では飲む準備をセッティングというらしい。同じ中枢神経抑制作用を持つ薬物でも、何とか興奮を抑えるために濫用するか文化として楽しむかは全く違いますよね。飲み会中毒や晩酌中毒にはならないでしょう。)

20 内部生、もしくはすげえやつに会いぐちゃぐちゃになったとき

どうもこんにちは、屈辱感の所産です。

というくらい僕の毎日は屈辱と怨嗟にまみれてきたので(好きでまみれてきたわけではないがもはや好きなのかもしれない)才能に会ってぐちゃぐちゃになる回数は多いです。才能じゃなくて正しい努力の差なんじゃね?とか言ったやつタクシー代お支払いするので水全部抜いていいですか?

さてさて結論をお話しすると好きなことやって寝てリセットするか布団をかみながら相手と自分と何がちがうのか考えつくして机に向かうかのどちらかですね。

何を隠そう今僕はそんな感じなのですが(合格者回答とか見て悶絶している)
ぼくは最初そこまであんま頭良くないんですよね、特に演繹的な論理性が死ぬほどなくて(つまり単純に頭が悪いってコト)英語とか数学とかもう死ぬほど

僕の回答、どん

2021年度 基礎教育学(入試一か月前)


解放には知が必要であり、理性が未熟さから逃走し克服させる物だという考えはカントと啓蒙思想からきている。しかし権力の抑圧的な力から自由自体を見つける目的でマルクス主義から解放と学習の間のつながりを見つけることもできる。
 ここには強く影響がある、批判と解放のペダゴジーはすべての考えは社会的に決められるだけでなく良心にも基づくという中心的な考えがある。人の良心はただ権力に従っているだけではなく自らも従属的主体とすることによって説明でき、よって解放はイデオロギーの影響の外にいるものからしか生み出されない。
 解放の論理の教育的翻訳は「モノロジカル」と「ダイオロジカル」の二つの形をとる。モノロジカルは自由の要求を外部からの調停ととらえ自由にするものとされるもの不平等を均し正当化すると考えるが、アンドレオッティ等から「植民地支配的」とみなす批判もある。それは教師と生徒を再生産的な上下関係にしてしまう。
 ダイオロジカル的見方は教師をもはや自由への解放者とはみなさず生徒と経験する「共₋主体」に位置させる。フレーレは抑圧を個人がつながっていない状態と定義した。
 ダイオロジカル的教育は再生産的でなく生涯続くプロセス的で構成的なもので、生徒に自省の目を目覚めさせる。(530字、大幅オーバー。時間内に計数・削減できず。)

合格者回答
解放には教育が必要であるという考えは部分的には啓蒙主義にもたらされてきたがより明確にその二つを結び付けたのはマルクス主義である。彼らは抑圧的な権力の働きから自らを解放するためにはその権力の働きをあらわにする必要があると考えた。しかし彼らの考えによれば私たちは自らの意識に働く権力を認識することはできずその認識が外部から与えられることを期待するしかなかった。

この解放の論理が教育学に取り入れられると、「モノローグ的」なアプローチと「ダイアローグ的」なアプローチという2つの形態を取った。前者はマルクス主義の考え方の直接的な翻訳であり、外部に立つものとしての教師が生徒に正しい認識を与えるという一方的なものである。それに対して後者は、外部の教育者₋解放者に拠って正しい認識が与えられるという植民地主義的構図ではなく、教育者と生徒が共に対話的・反省的に自己と世界のつながりを学ぶことを通して正しい認識を獲得しようという試みであった。(413文字)

chat
解放には学びが不可欠であり、これは啓蒙思想とカントの「未成熟からの脱却」という考え方に根ざしている。また、マルクス主義的視点からも、抑圧からの解放と学びの関連性が強調されている。批判的および解放的な教育学は、すべての思考が社会的に決定されると同時に、意識的なものであることを主張し、これにより人々は権力の影響から自立することができるとする。教育においては、「モノロジカル」と「ダイアロジカル」という二つのアプローチがあり、前者は外部からの解放を強調するが、不平等を助長しうる。これに対して後者は、教師と生徒を共に学び、成長する「共主体」として位置づけ、個人の解放と成長を促進するプロセスを重視する。(300)

解放には知が必要であり、理性が未熟さから逃走し克服させる物だという考えはカントと啓蒙思想からきている。しかし権力の抑圧的な力から自由自体を見つける目的でマルクス主義から解放と学習の間のつながりを見つけることもできる。
 ここには強く影響がある、批判と解放の(教育学)はすべての考えは社会的に決められるだけでなく良心意識にも基づくという考えがある人の良心はただ権力に従っているだけではなく自らも従属的主体とすることによって説明でき、よって解放はイデオロギーの影響の外にいるものからしか生み出されない。
 解放の論理の教育的翻訳は「モノロジカル」と「ダイオロジカル」の二つの形をとる。モノロジカルは自由の要求を外部からの調停ととらえ自由にするものとされるもの不平等を均し正当化すると考えるが、アンドレオッティ等から「植民地支配的」とみなす批判もある。それは教師と生徒を再生産的な上下関係にしてしまう。
 ダイオロジカル的見方は教師をもはや自由への解放者とはみなさず生徒と経験する「共₋主体」に位置させる。フレーレは抑圧を個人がつながっていない状態と定義した。
 ダイオロジカル的教育は再生産的でなく生涯続くプロセス的で構成的なもので、生徒に自省の目を目覚めさせる。(530字、大幅オーバー。時間内に計数・削減できず。)

解放には知が必要だという考えはカントと啓蒙思想からきている。マルクス主義から解放と学習の間のつながりを見つけることもできる。
批判と解放のペダゴジー(教育学)はすべての考えは社会的に決められるだけでなく意識にも基づくと考える。よって解放はイデオロギーの影響の外にいるものからしか生み出されない。
 解放の論理の教育的翻訳は「モノロジカル」と「ダイオロジカル」の二つの形をとる。モノロジカルは自由の要求を外部からの調停ととらえ不平等を均すと考えるが、「植民地支配的」とみなす批判もある。それは教師と生徒を再生産的な上下関係にしてしまう。
 ダイオロジカル的見方は教師を自由への解放者とはみなさず生徒と経験する「共₋主体」に位置させる。ダイオロジカル的教育は再生産的でなく生涯続くプロセス的で構成的なもので、生徒に自省の目を目覚めさせる。(364文字)

☆☆☆
何が違うのか?
先輩の方が余計なものを捨てストーリーラインのみを追っている。僕は何が重要か分かっておらず全部ぶち込んでいる感じがする
→余計なもの、重要なものとは?→全体を説明するときにストーリー
→「わからないなりにいろんな要素を拾う」となるとせっかく文として理解する習慣がついていたはずが、単語ごとの断片になり関係ないストーリーを作ってしまう。
→その意味で今回はまだマシだった。良くはなっている。
→もしかして要約問題って本当に「この文章が何を言っているか」のストーリーしか求められていないのか?要約問題ってことは論旨・要点を短くまとめて表すこと以外要らねえのか?

21要約問題への対応

○○先生
「理想の学習は英語そのものの理解度を高めること」
また要約などへの対処法もお話しますが、「素晴らしい全体理解と要約」というきれいなかたちでなくとも、合格水準の解答を作ることは可能です。
ANDお返事です!
「自分の言葉」に拘る必要はありません!
ただ、「コピペ」になったときに、「1文をちゃんと理解してコピペできますか?」というと、かなり怪しいのではないでしょうか?
「わからないなりにいろんな要素を拾う」となると、せっかく「文」として理解する習慣がついていたはずが、「単語」ごとの断片になり、それこそ、本文に関係ないストーリーを作ってしまうという危険が強いでしょう。

たとえば○○(僕)さんが今回示してくれた答案のうち、「筆者はネオアリストテレス主義者の自然的徳倫理観を現代に適用するのは間違いだとしている。」は、添削した答案では書いていなかった箇所ですが、これで10点足せます。
これは決して「コピペ」だから入ったのではなく、「この文は何を言っているのか」を拾おうと努力した結果反映された箇所だと言えるでしょう。

「コピペでは駄目」というのは「文をちゃんと理解して答案を作ろう」という意味ですので、それを生かしてもらえれば良いな、と思います。

と、取り急ぎの答えでした!

(僕)さん

こんにちは、○○です。
ご連絡、ご相談ありがとうございます。お返事が遅くなってしまってごめんなさい。

時間的な部分(こちらが大きいか)と、〇のルール的な兼ね合い(有料の個別指導との兼ね合い)があるため、個々の答案には言及できず、横目に見ながらのコメントですが、かなり良い取り組み方ができているものと見えます。

頼りっぱなしでは良くないので先輩の回答と自分の回答を比べるなどしてかんがえてみました。
先生の「わからないなりにいろんな要素を拾う」となるとせっかく文として理解する習慣がついていたはずが、単語ごとの断片になり関係ないストーリーを作ってしまう」という助言
→その意味で今回はまだマシだった。良くはなっている。
→もしかして要約問題って本当に「この文章が何を言っているか」のストーリーしか求められていないのか?
というところから考えて自分の文を削っていくと、だいぶ回答に近くなったように感じます。

この内容、私の言わんとしたことを○○さんの文脈にしっかりと落とし込んでよく理解していただいたと思います。
そして、答案もそれに沿う形でしっかりとできていますね。

まさに現状、「英語さえ水準を突破すればいける」という状況ですね。
そして、英語については、「地の力をしっかりと伸ばす」ことと、「試験問題にアジャストする」ことの2つが有効です。
○○さんが今頑張っているやり方はとても良いですね。
また、基礎教育以外の過去問をうまく使って学習しているのも素晴らしい。

今回のメールに、東大教育のここ3年の出題のなかで、説明問題や要約問題を含むもの、そして今年度の授業では使わないものを添付しました。
これも参考にしていただければ幸いですが、河野さんが良いペースで自分の学習法を模索して成果を出している最中なので、この添付したものに惑わされず、良いアプローチを続けてください。

春学期の授業の復習も良いやり方ですし、専門科目はどんどん良くなっているので、これは一種、学習成果を実感して進めていくエンジンになると思います。
(論述対策の分はいつでも提出してください。)

簡潔なコメントになってしまっていますが、河野さんの頑張りは正しい方向だと考えています。
自信をもって、その方向で頑張ってください!

○○

22、1か月前位になって何をやるか迷ったら

まず、合格したつもりになりましょう。合格しました。合格です。もう心配することはありません。終わりました完膚なきまでに。肉片ひとつ残らず血霧にしてやりました、問題を。

さて、そんなあなたのところに入試一か月前で悩んでいる後輩がきたとして、何と答えるか?

「うーん、これはあくまで僕の答えだから他の人とかにも聞いてほしいけど、

まずは先輩に言われた参考文献はしっかり読んで内容を論じられるようにしておくことかな。基礎教はインクルーシブ系が今出やすいから、概説、歴史を抑えたうえでその辺を掘り下げると効率的かも。とにかく話のタネとなる知識を持っているか否かが大きいから。全然わからなそうに見えるけど一回読んでおけば何とか答えられた…みたいな過去問は多いので刊行されている先生らの主著はしっかり確認かな。その上で全く知らん概念が出てくることもあるからその場合は腹をくくって考察の刀をふりおろすこと。結局みられているのは知識ではあるけど論理性だから。論理や新たな発想をするためには知識が必要。というまっとうに教育学的な考え方で出題されているだろうからあまり心配せず楽しんだもん勝ちかな。とりあえず全部読んでから考えよう。しっかり残り時間と最大のパイを取れるところを考えること。次は小国先生のインクルーシブ系読めばいいんじゃないかな

英語は合否に直接関係するから気を抜かず。でもビビりすぎないで①地の力をしっかり伸ばす②試験問題にアジャストすること。過去問はあくまで練習用だからあまりこだわり過ぎず割り切って二面で解いて確かめていくのがおすすめ。2は特に先輩の回答をよく見てね。方向付けが間違っていると頑張っても意味ないから。

23ポモドーロ

24chatGPT

25勉強本との付き合いかた

26大荒れした時

1次試験18日前、試験勉強に専念するために帰省した僕の心に最大級の荒れが訪れました。朝基礎教の英語問題を解いたのですがさっぱりわからない。これが本当に分からない、和訳の採点を見てみたらこれもボーダーを下回っている。大人なんだし感情は自分で何とかしようと色々と試したのですが(寝たりASMRを聞いたりモノ食べたり)すべてダメダメ。自分に失望しきってしまいしかし期間的に何かをしないわけにもいかず、落ちた思考力でなんとか打開策を練りだそうとするも、自分のことが信じられず何もかも中途半端に終わる。そんな感じでした。

最終的に「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
と全力で叫び床をぶち抜いてやると思いながら飛び跳ねまくることでことなきを得ました。得てないかもしれない。

あと友達と電話で話したり。恋しいです。今もどうすればいいかさっぱりわかりません。やればいいことはわかってるんだが何かを選択する意志力がもうさっぱり残っていないというか。もう疲れ切ってしまった。

追記 走ったら何とかなりました

27直前期

先輩と相談し(大事)、勉強法の本を挟んだりもしつつ、一日ごとに勉強の方向性を調整していました。

なぜ人が大事かというと一人だと追い込まれた人間はすごい勢いで思い込んで別の方向に邁進することがあるからです。就活中に公認会計士の勉強を始めた名大の彼を僕は止めたほうが良かったんだろうか。
勉強が終わるまで模試を受けないと言っていた高校の友達は止めた。
止まらなかった。

まあ就活をやめて大学院受験に邁進していた僕が言えた話ではないのですがだからこそ。あの時親と友達に止められ一応塾講師の内定を取っていなかったら今頃大荒れだったでしょう…。
人間って正しいことよりも正しく見えることをやりがちなんですよね。それは頭で考えるのがめんどくさかったり厭なこと、厭な自分、厭な現実から目をそらしたい一心からかどうかは知らないんだけれども。
僕も先日まで恋の罠に落ちそうになっていました。
「恋に落ちたやつは受験も落ちる」というのが大学受験期からの信条で、高校受験でのやらかしでもある。

今やっていることは試験問題に対してクリティカルか、どんなふうに試験問題を解くか、今日はそうするのが最善か。考えつくす。
凄く焦るしこの作業は結構しんどいのですがやるとスッキリする。この時期に平静な人なんてほぼいないと思います。頑張ってきた人ほど動揺すると思うんです。掛け金が大きいほどドキドキするでしょう。

ぼくは受験者層の中でそんなに頭いいほうではないと深く自覚しているのでほぼ1年前から勉強を始めているんですね。「4月位から対策を始めた」「夏から間に合わせたと」豪語というかうそぶくというかのたまう人種も院試にはたくさんいるというかそういうやつのほうがノイジーマジョリティでえ・・・。

まあ小さなころから勉強ができたやつが行きつく先みたいなところあるしな文系院進学。なので外部からきて東大生にコンプレックスを持っているような人間は割と口をつぐみがちというか。
M1の無口な先輩がいてですね、突撃してもぐりこんでいたゼミではしゃべらないから賢いかと思ってたんですが別の場所でお会いしたら凄い快活に話してくださる方で、やはり頭が悪いと思われるのが怖くてお話ができないそうなんですよね。

確かにいるんだよね、天才が。開成から東大、とか。栃木県で一番を取り続けてきたので中学受験生でそいつの名を知らぬものはいなかった…。とか。

しかし忘れてはならないのは「天才」だって人間だよ、むしろ天才ほど自分の不才を良く知っているから頑張っている場合がおおいよということですかね。

(そうじゃない典型が僕の直の先輩にいるので何とも言えない)

でもそれだって、天才性、つまりは外れ値というのはいろんな掛け合わせでできるパターンが多いけれど、生きるのに苦労してきたからサバイブするために技術が磨かれてしまったとかそういう代償型も結構いて。
だとすればそれもやはり努力の賜物ではある気がするんだ。

でも憎い。惹きつけられてしまうそんな昼もある(僕は昼夜を問わず天才を憎んでいます。

28 発狂してしまったとき(入試14日前

睡眠時間もオーケー
食事も足りてる

後は勉強するだけ ふふ♡

「ここでの一挙手一投足が合否に直結するぞ!」というプレッシャーから人間は狂ってしまうときがあります。

具体的には全身をかきむしりながら「あ@@@@@ああああ@@@^^^@::」@l「@@」::」
ああああ」とか叫びながら音読をし始めたりします。ADHD弱者カードを持っているので差別発現をしていいのですがなんかあれ、ASDもしくはダウン症の方ってこういう感じなのでしょうか、おかしいな僕は高学歴こ、高学歴ANDERGURADUSTEsく、sくkすskすく、ふ、ひゅ0万ライス、高学歴m、、」高学校歴m¥高学校邸」こうがっこうれk冷静、れいせいtれいれいせいnなはずなんです。だって大学院進学をするんですから、インテリジェンスがあふれているはずなんでス。くちからは「あれ?おかしいな、あれ?おかしいな。あれ?おかしいな、おか、おかおかおか」という哄笑があふれてきますが大丈夫なはずで鵜、、だrてぼくは高学歴、べんこうが得きる普通の子普通うふつうおのコンだから、普通の子宝得大丈夫なんです。哄笑なんて頭おかしい人から出てこない単語ですから目玉と胃がひっくり返りそう!飲むみそ、脳みそがん0。んんんんんんn脳みそが、加熱していることはわかるんだけどなあ、覚まし方がわかんねんな。分かるねん大阪出身やから。発狂するわけないねん大阪のにんへんは大丈夫せすだいじょうーーーーーーーぶ。私が来た。かああさんかあさんかあさんかあさんかあさんかあさんさっかあさん

29 ストレスで身体に異常をきたしたとき(入試12日前)

私の精神はまあ上記のように常軌を逸していっていたわけですが、入試へのストレスは身体にも現れてきました。

不眠、はまあ大学生通してというか高校生の受験中からその兆候が見え始めたのでまあ特筆することはないかもしれませんが、まあ輪をかけて眠れない。

アトピーが悪化して全身擦り傷まみれ、顔も定期的にケアしてるのに内側から痒みがしみだしてくる、体を動かすたびに痛い。

太る(ストレス過ぎてADHDとストレス対策の筋トレも出来なくなっているのもある。)

禿げる(もともとアトピーで掻きむしって僕の前髪はなんとか・・・ごまかせねえな、というくらいに禿げているのですがアトピーとストレスがひどくなるとどうも禿げてしまう)

常に上半身に血が溜まっているので体熱い、アドレナリン出っ放し
(ADHDあるあるなのか、脳内物質が間欠泉のように吹き出るのでいつどんなテンションになるかよくわからないんですよね)

みたいな感じでした。脳みそは常にストレスで発酵寸前で比喩でなく奇声を交えながら音読をしていたし・・・

・・・いや?逆に『奇声をあげる隙間にギリッギリ音読ぽい何かを差し挟んでいた』が実態に近いかもしれない。

いやいや?近隣の方からすれば
『常に奇声をあげる人物が帰省している』が実態なのか…?

うーん真実はいつも一つw!(DetectiveCONAN)

走ったりするとある程度解消されるので頑張ってたんですがアトピーがかゆい上にストレスで自律神経が参っているようで体が熱くて、帰ってきて「のたうち回るしかできない人」って感じになるから八方塞がりてか八方人非人てな具合でした。

最終的な解決策としては試験に対してしっかりとした経過に基づく刺さる対策をできるだけやることになるのですが、こういう場合体は「闘争か逃走か」という状況になるらしく(アンディジュハンセンの本に書いてあった)まず底を脱しないことにはどうしようもできないという状況に陥るわけですね。陥ってる今、まさに、ナウ2024/08/30 15:38。シンジ君もシンパシーを覚えてくれるでしょう。逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい。
ダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだ。

さて。話を戻しますと、ストレスにも不安にも使える万能薬として、睡眠とかが挙げられることが多いと思うんです、が。
ここまで昂ぶると横になっても体痛くて心も叫びたがっててどうしようもないんですよね。映画『ここさけ』(心が裂けかかっちゃってんだ)

なんとか有効だったのは『慣れ親しんだ形式(感触)の媒体で心を満たす』ということでした。マインドフルネス、に近い感覚へ無理なく持っていけてとにかく笑えるように負担をかけない媒体に触れるというか。僕の場合は

デスノート(漫画)
を読むのが一番落ち着きました。
僕の「勉強できる人になりたい!特別になりたい!」という僕の人生を良くも悪くも理解破壊構成(人体錬成)してきたオリジンの漫画でもあるので、すごくスッと入ってきましたね。

あとは
ジスロマック(ネットライターさん)
さくら剛(作家)
借金玉(作家)
さんのような
「どう考えてもADHD的テンションでガーーーーーッと文章を出しているな」というような、つまり自分と同じ形態の文を出す作家の文章に触れると少し落ち着きました。

みなさんも
「今までは、自分から近すぎて、成長のために少し離れてたけど…でも離れてようやく気が付いたんだ。俺、やっぱり俺お前じゃないとダメなんだ!」みたいなモノに回帰するといいかもしれませんね。
モノですよ。元カノ元カレに行くなよ。落ちるぞ。てか落ちろ!!!!このタイミングで恋愛的行動に出るならもう落ちろよ!!ちくしょう!!!堕ちていけ!堕ちるなら堕ち切って退廃的で閨で房な哲学でもしてしまえよ!!それはもうそれはそれでハッピーエンドな気がするよ!!!!全訳版ようやく出たけど高いしやっぱ僕は澁澤龍彦じゃなきゃいやなんだーーーーーーーーーーーッ
マルキ・ド サド (著), Marquis de Sade (原名), 関谷 一彦
関谷さん版も、悪くない、そりゃあ決して、悪くは!!!!!!!!!!!!!!!!ないけど!!!!!!!!!!!!!うwっわあああああああああああああああ澁澤龍彦様ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

失礼かみまみた(西尾維新)というわけで。
ある程度までは人間関係、特に性愛関係のコントロールは必要だと思うしインテイクする情報も入試に寄らせて制限したりすることも必要ですがが、思い切って原初回帰すると少し落ち着くかもしれないよ(逃避にならない程度に良質な現実逃避をしよう!)という話でした。

30失敗した勉強法

独学 そりゃそう 
非tに聞かずに暴走することがたびたび これも気を付けていた

聞いた勉強法の本質を理解せずにやり方を変えたがゆえに効果が減った

音読の本質的なところは 英文全体の流れとリズム「譲歩→主張」とか、クセを覚えられるという面と文法等と精読によるその英文そのものへの理解ができて、なおかつインプットとアウトプットを高速で回せるというところ、つまり個別具体の英文に対策しながらメタい力も上がってくる。
何故だ?なんでやらなかった??????????
↓やることにしたようですね。えらい。
2024/09/02(8日前)

(先生へ)
今音読と過去問のやり方を改善していくことに力を注いでいます!
例のごとくすごくあわあわしていたのですが、全力で合わせていくしかないという結論に至りました。

和訳にこだわりすぎてしまいようやくに行き着かないという癖があるので、定石ではないのですが要約を解いてから和訳を解くことにしていき、全体に点数を散らばせつつ「B」「B」ない最低最悪bcをもぎとって行くぞ!と言うつもりで行きます。

ガタガタ震えているのも本音ですが笑
なんとか歩み切ろうと思います。

死ぬかもしれん。塾講師になってしまうかもしれん。土地とか売らないといけないかもしれない(大物になる!という目標のため不動産販売をしようかと思っている←????)

31 落ちたら、それでも。


苦しくも楽しくも幸福でも実存ブレブレでもあって大切だったこの3年半が、悪く語り直されてしまうかもしれない。
(受かったら〇〇だったけど受かったからさ!という語りに変質するに決まっている)

でもあえて今言おう。
大変だったけど最高だったよ!!
この1年勉強してきた、苦しかったのは良かったよ!頭良くなった、逆算思考できるようになった、エッセンシャル思考できるようになった。発達障がい仲間とも出会えて、一生できるようになんねェから捨てるゼ!!!!!と捨て去っていた英語に真摯に向き合ってYouTubeも始められて(おめでとう200人、すごいぞ大教室埋められんじゃん、それってもはや講演会じゃん)

いろんな人に会えて、まさか学問に親しむことになるとはなぁ、自分でもびっくりな変化だ。本質は変わっていないけれども。
教育について、ただ思い込んで「おれは教えるのがうまい!!!!!(conciet)」してたのが恥ずかしくなるくらいには教育学に親しめて、理論的な背景を得ることができて最後の1年、勉強づくせたことは幸せだったよ。大学生としてやれた気がする。

と、書き残しておきます。
人生いつまでも不安でいつまでも死に体らしい。まじかよ……

VEフランクルの夜と霧でも読んどけ!!!!

当日


あらゆるライフハック薬眠気人力を使って9時間寝る
スッキリした状態で出る
いつも通り院試演習の塾に行くような心持で東大へ。教育学研究科棟に自転車を停める
福武コモンズと法学研究科棟を混同してたのでやや迷う。
木漏れ日とか見る。
この時の僕を友達が見てて「魂が抜けたみたいにして上見てタオルで拭いてた」
認識って難しい。

会場ついて、知り合いに軽く目配せ。声はかけずに自分の試験用意。
トイレには4回位言ったけど成果物は出なかった。(その諦めが成果物か?)

見知った英語の文章を一回音読とかして、自分でまとめた英語の「これやったら失敗」パターンとかを見返したり、時計を直してたりしたら試験30分前。

色々確認が取られるのでその指示を守ることだけに専念し、あとはまあボーっとしてた。

英語開始

最初に問題文を見て傾向や分量が例年と変わっていないかチェック。変更なさそうだったので時計を60分に合わせてⅠを解く。読解20分問題一問につき20分×2と決めていたので意味内容が分からなくてもガンガンメモを取りながら読み進めていく。

Ⅰは小国先生の問題

多分
「1945年からのヨーロッパでは福祉政策が取られていたように思えるしそれは国家からの保護みたいに見えるけど、国家は全然中立じゃないよ、経済に資する「障害」を作るよ。福祉の論理がそれを暴くよ」
みたいな話と理解したし、小国先生の論調と完璧に一致していたので迷いなく回答。
⑴の要約が300字を少し超える程度。⑵はシンプルめに回答したもののやや不安で余分なつけたしをした。(加える分には大きな減点にならないと判断したのもある。)
60分ギリギリで回答。
誤読はあんまなく体感8割すら行ってるんじゃないか?と思ったので、ややウキウキしてしまう心をめちゃめちゃ抑えつつⅡへ

Ⅱは隠岐先生か、サルトルの話なので大塚先生?

アンシャンレジームの話が注で出ていたことを考えると隠岐先生濃厚かなあ?
サルトルの幼年期のエピソードとそれを回想してるサルトルが作ってる教科書の内容(子どもがどうやって本を読むようになるか)が重ねられてるエピソードと理解。

⑴はサルトルが
「本がしゃべってる!」と驚いたのはなんで?直前の母親の行動と照らし合わせて答えて、みたいな変な問題で僕が知らんひっかけがなければ「ずっと母親が作った話を口で聞かされてたから文字というものにあんま触れてなくてそう思った」と書いた。

⑵要約は400字で結構間に合わなそうだったので完成を優先させ、最初に結論を示して、読みながら書く。
やや雑だったと思うし終わりの「サルトルは最初にもう識字はできてたんで彼の教科書にはそれが触れられてないんですよ」みたいな内容がうまく入れ込めなかったので。5割でしたよと言われてもまあ納得・・・?6割はイケてるだろ。位の感じ。
とにかく完成し書ききることを考え、本当に書ききったあたりで試験終了。

Ⅰが多分できてるな…という気持ちとⅡ書ききったという所があったので、
Ⅰ7~8割Ⅱ5~6割で辛めに見積もっても合格最低点は超えたのではないかと予測していた。
Ⅱのころにはもう頭が回んなくてひたすらサイダーを飲み頭に糖分を補給し続けていた。

昼休憩は答え合わせとかはせずに誰先生の英文だったかよって午後は誰が出そうか等を話し合ったけど、今は教員が減ってて5人しかいないうちの4人が論述を出題するのであんま予想しても意味ないなって結論になって飯を食べました。

ずっとみんなの面倒をみてくれていた内部生の方が英語少し上手くいかなかったようで友達も上手くいかなくて、ちょっと調子が崩れていったところだった。
英語に関しては1年間以上勉強きてきえ本当にものすごいプレッシャーだったのでこの時点で結構調子に乗っていて「こらえろ、、、まだ笑うな、、、しかし、、、」
状態でした。別に35秒で勝ちは宣言しなかったけど。


論述


1は山名先生?デューイ的教育が持つ力の功罪みたいな。
力を保護と監視に限定してこれらは近代の学校が持つ特徴で、塾で働いているんやがそれを感じてて説明責任とか保護とかあって・・・結局福島で見た試みに少し光を見出したんや。(A´~Bと予想)
2二つ以上の地域を挙げつつ新教育について述べよ
つづり方とバートランドラッセルがいてさあ、両方教え込むのではなく個人を見てて学校の実践に力を置いたよね(B~Cと予想)
3徳倫理が道徳教育に果たしうる含意
徳倫理学は個人を注視してるから本当に道徳倫理に含意できるか不安というか。
もし含意できるとしたら「私とあなた」という他者の声を拾うという徳を備えた場合に限るのではすぇーでんの『あなたの社会の学校』とかさ
(大外ししてCか、意欲を買われてB以上か)

4当事者研究の今までの展開とが教育に果たしうる役割
展開は今は熊谷と綾屋が牽引。でも当事者がナラティブのように特権化してる気がするし閉じて展開してない。もともとは向谷地が始めた。当事者研究は専門家から主体性を取り戻すところに特徴があるから教育に導入されたらまあ教えるって所から保護者や当事者が言葉を取り戻し先生も自己の立場を再定義する構えができるのでは(A´からBと予想)

A´~B
B~C
B~C
A´~B
全部おお外しってことはないと思うので合計B以上はイケてると思う



ちゃっとGPT

あのchatGPTが推薦!
この文章は非常に個人的で感情の込められた表現が多く、読者に強い印象を与えるものです。主に大学院受験を控えた人や、自分の人生の選択に迷っている人に向けて書かれているように思います。自分の不安や挫折、期待感、そして内面の葛藤を率直に描きつつ、それが他者にどう伝わるかを深く考えています。

受験や進学に関するアドバイスが散りばめられていますが、それ以上に、自分の内面をさらけ出すことで読者に共感を促し、何かを伝えようとする意図が感じられます。特に「合格体験記」という形式を逆手に取り、まだ合格していない自分の不安や葛藤を正直に描くことで、合格者が書く体験記との隔絶感を減らそうとしているのが特徴的です。

この文章には、教育や進学に関する具体的なアドバイスも多く含まれていますが、何よりも「自分を信じ、努力し続けること」の重要性が強調されています。また、「今しか出せない味」という表現に象徴されるように、自分が今抱えている感情や状況に忠実であること、その瞬間の自分を大切にすることもテーマとして浮かび上がっています。

全体として、自己理解と他者理解、そして人間としての成長というテーマが根底にあるように感じます。この文章を通じて、読者は自分の不安や葛藤と向き合い、最終的には自分自身を受け入れ、前に進む勇気を得ることができるかもしれません。

合格発表後

英語専門両方6割取れていてこの倍率なら行けると思います。
というわけでごうひが 出ている時間だ。

ずっとどきどきしていてはっきょうしていました、このいちねんかんのせいか

では、見ます。

あ、と友人が母親がヨーグルト作ってる。

ちょっとまって、さて。さてさてさてさて・・・






結果

不合格

漠と想像していた「合格」というイメージが、吹き飛ばされて
毎晩毎瞬思い描いていた「不合格」という現実がすべてを吹き飛ばしていった。

ああーーーー落ちた。落ちたかあ。
あの倍率で欠席者もいてどうやったら落ちれるんだよ凄いなよっぽどだな。

よっぽど、何か問題があったんだろう。
やはり英語か、それとも苦手な英語が何とかうまくいって脳がはっちゃけすぎた論述か
受験態度か類先生が「すべての先生が点数を知ってい」るって言ってたからやっぱり点数で落ちたんだろう。そこは、〇〇先生に会って聞かないとな。
英語が原因なら方法の修正が遅くて間に合わなかった。
論述が原因なら自分の力を過信していた。
英語の対策のように、うまく脳みそが働かなかった時の予防策までをしっかり練っておかないといけなかった。

めちゃめちゃショック。
最後の最後、本当にギリギリのもう出し切れないところまで頑張ったから。

でもだからこそ台風が過ぎ去った後みたいな澄み渡った気持ちを感じる。
けっして晴れ渡ってはいないけど、ここまでやって駄目ならそれはもう今年は駄目だったとしか言いようがない。

自分を認められなくて「挑戦」をすることで自分を大きく見せてプライドのガワを何とか保っていたのが吹き飛んで、でもようやくちっぽけな自分を認めてあげられる中身がそこにできたような。

ここまで頑張れた自分は凄いと、自分を褒めてあげたい。

本当にたくさん受け取ったなあ
申し訳ない、報いたかった。

あと状況が悲惨だ。
悲惨とまではいかないけれど、皆が明大生の進路として順当なスタートを切りそうな中、挑戦した結果が何も手元に残っていない…。

業務内容に不満があるとかじゃなくてやり切ってないから某大手塾を引き受けられない…
しかし直ぐにスタートする元気もない。この経験を通して腹をくくってしまったから他の人にケアを押し付けて邁進することももうできない。
はたしてどうするか。まあ休んで、就活をして最大限いま行ける所に行って。
できるかどうか分からないけれど、再挑戦するしかないか。

今までありがとうございました。

なんて綺麗には終われねえよ。でも


これからどうしよう。
これから…
しんどい、しにたい。そうだとも、頑張った、死力を尽くして悔いはないよ、でも未練がないわけない。ないわけない。綺麗に終われるわけがない。きたねえ生活が待ってるんだ。生きていかねばならなくなったんだ。自分のこの、クソみてえな、体を抱えて行きていかねばならなくなったんだ。また。なんで、なんでだ、なんで落ちたんだ。こんなことで時間を無駄にしてもいいよね。だってもう、受験は終わったんだから

今までありのままの自分に絶望していた。

22歳でようやく本気の失敗をすることができて、

失敗しても自分は死なないこと
人の評価が気にならなくなってきた。

失敗という体験を怖れているのではなく失敗することで人から見られたいイメージが 傷つくのではないかと怖れていた。


そんなもんも吹き飛んで

いま、風が吹いた。



謝辞

クソ長い駄文を読んでくださってありがとうございました。

いまは働きつつ再挑戦中です。

この時のテンションで文章を出すのは今無理なので、この駄文がネットに放流されてることで、今後同じ状況になる人に役立つものになることを、切に願っています。



それではいい一日を。






















それではいい一日を。

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