働く。それは手段か、目的か。点と、線。
前段。
ゲームを全くしなかった妻が、子供たちに引きずり込まれ、Splatoonにハマり、そしてついにSwitch買った。横目にそれが羨ましいと思った。自分も欲しい物を自由に買いたい。
ところが、子供に「じゃぁ、パパは何がほしいの?」と聞かれて、躊躇する。
欲しい物がない。
40代にはいり、自分の物欲はすでにある程度満たされ、特段、欲しい物がない。高いクルマも、いいかばんも、欲しいわけじゃない。
だとしたら、なんのために働いているのか。
なんのためにストレスを感じて、時間をさき、追い立てられて、人生を費やしている。お金が欲しくて、お金を稼ぐために働いている、けど、その先になにもないのだとしたら、なんのために。
物質欲求が満たされて、最低限生活もできている。
そういう状況になったら、自分は何がしたいのか。どう暮らしたいのか。
自分は、人と関わっていたい。誰かに必要とされて、誰かの役に立ちたい。
その手段としての仕事、という考え方もできるのじゃないか。
働くことは手段か、目的か。
お金を稼ぐための手段とすれば、その喜びは、お金が手に入るその瞬間にほぼ限定される。「給料日まだかな・・・」
自分にとっての報酬は、ほぼ点で、仕事の後ろ(個人事業とかであれば前払いも)にある。それ以外の時間は?苦痛の日々?
モチベーションのキープが難しい、というのも起こって然り。
仕事自体を目的にしてみる。
仕事を通して、関わってくれる人達に喜んでもらう、誰かの役に立つ、
それを通して自分の中で幸福感を得る。そうできたら、
一つ一つの作業も、誰かとの会議も、違ってみえてくる気がする。
手段が点に対して、喜びが線になる。毎日楽しくなるかもしれない。
正論だろうし、できている人達からすれば当たり前かもしれないけれど、
自分はここまでお金を得る手段として仕事を見てきたし、
損得でジャッジすることが大半で、モチベーションに浮き沈みが大きかった。ようやく、ひとつのきっかけを掴むことができそう。
まだ、自分の中に染み込んだわけじゃないのだけど、そういう視点でしばらくみてみよう。