AIが奪うのは仕事、だけじゃない。
AI便利、AIすごい。ふとちょっと先の未来、いちプログラマーとしての自分に起こる変化を想像してみる。走り書きみたいに。
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AIについては色んな角度でテーマがあって、どれも面白そう。例えば車のことを知りたい時に、めっちゃ詳しい友人がいれば聞ける。そういう友人がいなくても、それに近しいことをAIが教えてくれる。医療のジャンルで詳しい人と知り合って教えてほしいけど、なかなかできない。でもAIなら。
こういう一種の知識(情報?)のコモデティ化。そういうことを詳しい人が誰もがITに詳しいわけでもないし、表現がうまいわけでもない。そういった点でもAIの優位性みたいなのが出てくる。とか、AIが及ばない範囲とか。一旦そういうのは置いといて。
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例えば「VRとか流行ってるけど、実際どうなの?」「こういうことやりたいんだけどどうやって作るの?」そうやって聞かれることも多い、それが仕事といってもいい。ところがどっこい、AIは僕より広い情報の海から必要な情報をひっぱてきて、まとめて、そして最近では一種のフレンドリーさをもって教えてくれる。
言葉ベタでコミュニケーション下手な僕より遥かにフレンドリーに。
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すると何がおこるのか。ご存知「今ある仕事が奪われる」っていう事態がやってくる。正直避けられないし、これ自体にはもはや危機感はない。だって変わっていくしかないもん。
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それより怖いこと。「人との接点が奪われる」だ。
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仕事(情報)を通じて知り合った、あの人やこの人達。自分にとって大半が仕事を通じて知り合った人達。そういう接点がすべてなくなって、あの人とも、この人とも知り合えなかった世界線を想像して、夜も相まって寂しい気持ちが湧いてくる。
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AIが奪うのは仕事だけ?どうやらそうじゃなさそうだ。便利さが奪うものはどうやらもっと深いところにありそう。
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じゃぁ、何をもって人と繋がりうるのか。これは自分もそう思ってるし、周りの人もいっている。「遊び(芸術とか含む)」。
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新しい遊びもしかり、遊びを持って人とつながる、そして自分で楽しむ方法は、日本のもっている古の文化の中にたくさんある。そこが一方で光を浴びるのももちろん想像に容易い。言葉にできないものを、言葉にしないまま表現することが人間にとって大切になっていく、とか、一旦話がそれちゃうので、これはまた一旦脇においといて。
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すでに長文だけど、もう一つ。AI検索の今後に期待したいことでもあるけど、AI検索が削ぎ落としているものにも目をむけておきたい。「個人」。
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情報の海からひっぱってきた情報をまとめるなかで「個人」を
削ぎ落として、まるで自分語りのようにAIが応えてくれる。
AIが食ってきた情報はまぎれもなく個人が発信した、経験にもとづく情報だったり。Aさんがいった、Bさんが書いた、そういうのは情報の合理性から考えればもちろんいらない。
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じゃぁ、使う側からみたらどうか。Aさんが言っていた、Bさんが言っていた、を知らず、個人がいない情報を得る。ここでもやはり人との接点がなくなっていく。Aiという総合人格のパートナーだけがそこにいるような。今後どうなるかわからないけど。
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情報のありようもダイナミックに変わっていく。Webサイトのあり方も、人とのあり方も、ダイナミックに。これはまだまだ興味が尽きないし、書きたいこともあるけれど、これにてお休みなさい。
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※このまとまりのない文章はAIではなく、一個人NKが生成しています。