神社と二礼二拍手一礼とメタ空間への没入。
ふと。
神社における二礼二拍手一礼、ってGoogleHomeの前で「OK,Goolge」っていうのと近い、のか?
ある場所において、一定の儀式を通して「内在する神・宇宙(自分)」に問いかけや意識付けなどアクセスする。大胆に言い換えればメタ空間への没入、というか。
「場所」と「儀式」と「メタ空間」
この関係性にフォーカスして、考えを進めていくと
結構面白くなる。これからのメタバースなどの空間というか
場所を考える上で重要な要素なんじゃなかろうか。
日本に数ある、茶道や華道など「〇〇道」と呼ばれる、これも大胆に表現すると「メタ活」において、「お作法」とよばれる儀式は、それを通して、一種のメタ空間への没入度を高める上でかかせないもので、古から日本人はそういうものへの感度が高く
数多くそういったトリガーを持っている気がする。
そんなシンボリックなものじゃなくても、もっと細かく自分の近い所に落とし込んでいくと、「モーニングルーティーン」も、一種カスタマイズされた自分の儀式を通して、一日というか「その日の自分」に没入していく、というか。
儀式の発想を一日の中に数度取り込むことで、より集中度が高い状態をキープできるんじゃないか、というのはまた別の話として。
例えば、リモートワーク。ある人にとって働く「場所」に移動する「出勤」という儀式が、仕事というメタ空間への没入度を高めていたのであれば、それがスコンと抜け落ちることでバランスが崩れる、とうのはそれはそうだし、逆に、その儀式がマイナスに働いていた事で、仕事に没入できなかったひとが、負の儀式がなくなったことで没入度にあがる、というケースも。
VRで旅行。それは美しい風景だけをみるだけでいいのか、それとも、「旅の支度」という儀式を通して、より深い「旅」というメタ空間への没入をしている、のであればそれは一つ重要な要素になる、とういうか。
どこまでを「一つの体験」とするか。どこまでを深ぼるのか、どこまで深ぼらないのか。
また違う切り口で世界を見てみると、また面白い。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?