機嫌よく行きたい_240320_#256
▼今日は祭日でしたが、仕事でした。
この時期はいつもそうなんですが、忙しいため出勤になることが多い。
そしてそんな中で送別会がありました。
100人以上いる中で急遽開催のため、準備もほどほどに案内をして、人数把握。
そして、ケータリング形式で実施の予約をし、後で費用を集めるために参加者が自分の名前を記入。
今回私はお手伝いの方だったのですが、取りまとめている上司の動きを見ていると『さすが!』と、感心してしまいました。
臨機応変に、やってしまうところが凄く、これはぜひ見習いたいと思ったんですよね。
他にも、尊敬してしまうところがある人なので、そこはそばにいてて勉強したいと思っています。
▼そう感心している自分を客観的に見ていると、
『嫌だなぁできれば近寄りたくないなぁ。』と、思ってしまっている人との差はなんなんだろうと思うんですよね。
もちろん色々あっての場合もあるんですが、それはそれで、結構ストレスになっている。
さらに近寄らないようにしようとすると、嫌でもそこに神経を使ってしまう。
この勉強したい人と近寄りたくない人との差を、無くしたいと思ったんですよね。
そう考えていて浮かんだのが『美点凝視』という言葉。
いつも読んでいるメルマガにも出てくるのですが、そのせいか頭に浮かんできました。
▼人は他人の欠点は見えやすいと聞きます。
私自身もそんなところがあり、『この人のここがなぁ』と、何様なん?と言われても仕方がないようなことが頭に並んでしまうときがあります。
それはそれで窮屈なんですよね。
だって行き着くところは、『人が信頼できないから全て自分でやる』 ところになりませんでしょうか。
人に頼めないから、頼んでももらえず、そんなやりとりもない。
それはそれで寂しいかと、思います。
そして一人では、大きなことは実現できにくく、やれることはしれているはず。
▼しかし近寄りたくない人でも、私が知らないだけできっとたくさんの素晴らしいところがある。
(ハズ)
そう思い一つでも良い箇所が浮べば、それだけでも差が一歩縮むのでは?
そう考えれました。
とにかく嫌なところは目を塞いで逸らして、嘘でも良いのでこんなところが良いんじゃない? とでも思えれば儲けもの。。。
なぜなら最近、
『毎日機嫌よく行きたい』と、よく思っているからでした。
〈今日の気づき〉
・他人の欠点には自然と気付きやすいが、
美点は見ようとしていない。
学びたいと思える人と、近寄りたくないと
思える人との差を考え埋めようとしたら、
美点凝視で一つでも良いところが
設定できれば良いのではないだろうか。
そのように実戦することで、
毎日機嫌よく行きたいと思う。
最後までお読みいただき、
ありがとうございます。
明日もみなさんにとって
大切な1日となりますように!!