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「老い」手放すこと・受け入れること
娘と海外旅行に行った。
とってもとっても幸せな時間だった。
独身で働き盛りの長男、家庭を築いている次男、旦那さんと事業を始めている長女。
子ども達はこれから自分自身の人生を築いていき、忙しくなるライフステージにいる。
逆に私は、社会人としての役割はあるものの今までのように「子どもを育てるためにガムシャラに働く」ステージは終わった。それと同時に身体的な老いを感じ始めた。
「ライフステージ」の定義どうりではないが少なくとも私自身の人生のステージは変化した。
私と子ども達のライフステージを考えると、これから子ども達と過ごす時間ってとても貴重。
今回の旅行も「娘とここにいくのはこれが最後」って思いながら楽しんだ。
更年期や老眼、体力の低下、次々にやってくる老いを受け入れながら、これからをどう生きるか…と考えている。
何年もずーーーっと考えている。
日々、思い悩んでいるわけではないが、頭の隅っこには常に「私の残りの人生どうしよっかなぁ」「やりたいことあるよねーー」「急がないと人生終わってしまうなー」という思いがある。
そうそう。旅行の話だった。
娘と台湾に行ってきた。
とっても楽しかった。幸せな時間だった。
しかし、娘に頼りっきりの旅行になってしまった。
娘は何回も海外旅行の経験があるとはいえ、台湾は2人とも初めて。
サクサクとGoogleマップで調べてUber呼んで、いろんな予約してくれて単語で会話してくれて、ハプニングもGoogle翻訳を駆使して対応してくれて。
私はといえば、老眼でスマホの画面も見えずらいし素早く変わる画面にもついていけない。
同年代では使いこなしている方だと思っているが、私にできることは何も無かった。
娘に多大なる負担をかけた気がする。
嬉しく幸せな時間ではあったがますます老いを感じてしまった。
少し落ち込んだ…
しかーし!
老いを受け入れるのは私のライフステージでの課題である。
早速「老いを受け入れる」とか検索しちゃうよね。私エライ。
きっと「娘に頼りにされたい」「親として」みたいな思いがあるんだろうな。
それを手放すのは無理だと思う。だって一生子ども達のお母さんだもん。
「手放せるもの・手放せないもの」を細かく分割してみる。
「ITのようにこれから進化していくもの」については手放すことはできそう。
「親として」なんて思っていても、その進化についていけなくなる日はくる。もう来ている。
私なりの進化はまだまだ諦めないが、子ども達のレベルには到底追いつかない。
上手に頼ることを覚えよう。
いや十分頼りっぱなしだったんだから「それを認めよう」だな。うん。
「いろんなとこに連れて行ってくれてありがとう」「これからもよろしくね」って。
娘は困った時には相談に来てくれたり、私の前で涙を見せてくれたり、私の体調を心配してくれたり、私の相談も聞いてくれる。
十分すぎるではないか。
大人になった子ども達とこんな付き合いができるなんて親として幸せである。
心がモヤッとしていたが、こうやって言語化していると自分の気持ちが落ち着いてくるのを感じる。