滋賀医科大生の事件から考える冥王星水瓶座時代のパラレル選択について
滋賀医科大生たちの性的暴行事件が大阪高裁にて逆転無罪の判決が出た件が、ここのところ大きな騒ぎを巻き起こしている。
当然だよね。私だって嫌だもの。
このことから、少し思いついたことがあったので、ここに残しておこうと思う。
Xでされている議論を見ると、当然のことだけれど、女性はほぼほぼがこの判決に抗議している。
男性もかなりの割合で疑問を示しているけれど、一部『冤罪』『ハニトラ』など、違った意見の方もいらっしゃるようだ。
うーん、どう考えたら『ハニトラ』に見えるのかなあ……
彼らの論理的な説明では「女の『嫌、やめて』は全て嫌よ嫌よも好きのうち」で『プレイ』であるらしいので、聞く必要などないから……らしいけど。
プレイか。
誰がそれをプレイと定義してるのかなぁ。
結局は主観なんだよね。それも、その説明をしている人たちのさ。
なので到底その説明は論理的とは言い難いんだが、彼らはそれが通るつもりでいるようだ。
じゃあ逆に言えば、私があなたがたを簀巻きにして近くの川に放り込んでも無罪だね?プレイだから、そういう。
だって、プレイかどうかは主観で決めていいんだものね。私がプレイだといったらプレイなんだよ。分かる?
ってまあ、日本は法治国家ですから。
冗談はこのへんにしとこうか。
要するに、彼らにとって弱いものをいたぶるのは『プレイ』であり、『エンターテイメント』なのだ。
弱いものを好き勝手にいたぶるのは暴力だ。それ以外のなにものでもない。芸術とか美学とか、そういう意見はいらない。今は倫理上の話をしているので。
つまり、彼らは『暴力を容認している』といえるよね。
ああ、あなたがたとは何も共有できないな。だって、暴力は嫌いだもの。
簀巻きにして川に放り込むなんて面倒臭いことなんかしたくないし。
それから、紀州のドン・ファンの妻が無罪になった件と一緒くたにして滋賀医科大の一件も無罪で然るべきと考えている人もいるようだけど、状況も内容も、こちらとあちらでは全く異なるので、これらを同列に考えるなど、愚の極みであると思う。
あっちか無罪ならこっちもとか考えている人は感情的になりすぎてるよ、落ち着いてね。
ああ、いけない。
批判がしたいのではないのだった。
♡♡♡
ここかから少し、話が飛びます。
新たにスタートした冥王星水瓶座時代。
様々な方が新しい時代について語られていますが、私は最近まで『その人の意識の在り方によって、存在する世界のパラレルが変わってくる』という考え方が、今ひとつピンときていなかったのでした。
でも、それが彼らのお陰で少し分かったかもしれない。
そう『弱いものを好き勝手にいたぶったり、乱暴したりすることをエンターテイメントとする世界線にいる人は、また自分自身もより強い誰かからそのような扱いを受けるし、その世界線からは抜け出せない』ということ。
オカルト扱いとはいえど「人を呪わば穴二つ」「誰かにしたことは自分自身にまた還る」というのはある意味、この世界の理でもあります。
存在するパラレルが分かれるとは、そういった意味もあるでしょう。
実際、滋賀医科大の3人が被害女性の尊厳をよってたかって傷つけたように、彼らもこれからの人生で、より強い誰かから尊厳を傷つけられ続けることになるのだ。
誰かにしたことは自分自身にまた還ってくるのだから。
いや、もう傷つけられ始めているのかも。本人たちの顔写真もXでは出回っていた。無罪とか有罪とかは全くどうでもいい。
『倫理観も衛生観念もガバガバの変態的嗜好を持つ医大生』で彼らのイメージはもう固着してしまったし(少なくとも女性たちのなかでは。しかも、かなりの数の)それを払拭するのは最早、不可能に近い。ずっとそのレッテルを貼られたまま生きていくのだ。
もう取り返しはつかないんだよ、君たちは。
♡♡♡
私はただの主婦だ。
そんなに裕福でもないし、素晴らしい夫がいるわけでもない(むしろモラハラ気味だ)子供もいるけど、お世辞にもそんなに出来の良いお子ではない。
パート先のみんなとは仲良く楽しくやっているけど、華やかな仕事でもお洒落な職場でもないし、時給も普通だ。
だけど、不幸せではないのだ。
それは『不幸せなパラレルに存在していないから』だ。
誰かを傷つけて快楽を得るパラレル。
誰かに嘘をついて豊かさを得るパラレル。
誰かを見下し、踏みつけにして優越感を得るパラレル。
私はそういうものは望まない。
だって、自分自身に還ることだからね。
私が望むのは、
心から尊敬し、愛せる誰かを胸に生きていくパラレル。
(つまり愛したその先の結果などどうでもいいということ。愛するその気もちがここにあるということが即ち幸せなのだから)
周りの人たちと信頼と友愛で繋がるパラレル。
自分自身を磨き、魂の向上をはかるパラレル。
だから、その不幸せなパラレルに存在する『暴力を容認しエンターテイメントとしているあなたがた』とは、同じ世界線には存在できない。
そのように選ぶのだ、私が。
あなたがたは、私の世界線に必要ない。
♡♡♡
私が『不幸せなパラレル』とした世界線を選ぶのも、またひとつの選択だ。
そう、冒頭で書いたように、それが不幸せかどうか決めるのは、選ぶ誰かの主観なのだから。
あなたがたは『弱いものをいたぶり、傷つけてエンターテイメントとすること』を主観で『プレイだ』とする判断をしている。それと同じこと。
やがて気がついた人から、きっとそのパラレルからは離れていくだろう。
いつまでも離れられない人たちの間では、きっと潰し合いが始まる。
それは間違っているから、その世界線は苦しいのだ。でも離れられない。勝てていれば気持ちいいものね?分からなくはないよ。
でもきっといつか、あなたは負ける。
最期まで残れたとしても、そのときにはあなたはモンスターになっている。
もう誰とも分かり合えない。繋がれない。ただ強いだけで、辺りは絶望の暗闇だ。
世界線を選ぶというのは、そういうことなのだろう。
地獄はあの世にあるのではない。すぐ側にあるのだ。
それから、地獄は落とされる場所ではない。
あなたが行くかどうかを選ぶ場所なのだ。
これからきっと、もっとパラレルは複雑に分かれていく。
踏み間違えずに進んで、辿りついた先はどんな素晴らしい世界なんだろうか。
そこでいつか、これを読むあなたと出会えたらいいな。
心からそう願っている。