国際トランスジェンダー追悼の日に考えたこと。
11月20日は国際トランスジェンダー追悼の日であったらしい。
有志の作家さんや映画監督たちもLGBTQ+ 差別反対の声明を出したとのこと。
Twitterなどを見てると、この問題は拗れに拗れて、どうしようもなくなってしまっているように思う。
性被害などの問題も絡むので、どちらも感情が乗ってしまって視野狭窄を起こし、結果それがさらなる混乱を招いているような印象。
🖤🖤🖤
私自身はこの2つのことが有耶無耶になってしまっていることが元凶だと考えているけど、どうなんだろう。
① 身体的女性とトランス女性における身体能力でのポテンシャルの差。
結局のところ、これがあるから女子トイレも女風呂も、女性下着売場もお断りなのだ。
ここにトランス女性がやってくることで、身体的女性は本能的に恐怖を感じる(無防備になる場所でもあるし当然だ)
それを『差別』として無理矢理に呑み込ませるのは、逆に身体的女性に対しての『差別』なんじゃないかと思うよ。
本能的な恐怖なので「怖くないよ〜大丈夫だよ!」など言ったところで克服できるものなどではない。
これについては(これも性差別と言われるかもしれないけど)男性特有の衝動性、加害性が原因だよね。
ただ、だからこそきちんと自分を律して、正しい行いをしている方は尊敬に値すると思う。
ここで間違えないでほしいのは、女性の方が偉いとかどうとか、そういうことを言っているわけではないということ。
女性にだって負の特性はあるのだ。
つまり、人間なんぞ所詮その程度ということ。
で、いくら『心は女よ』など言ったところで、それを真実か初見で見分けることなど不可能なのだ。そこは期待してもらっても困る。
②そのトランス女性のなかに「オートガイネフィリア(自己女性化愛好症)」や性的少数者であることを隠れ蓑にした変態がしれっと混ざっていること。
オートガイネフィリアと呼ばれる人たちは、女装したり、女性になって男性と行為をしたりすることで性的な興奮を感じる人たちであるらしい。
つまり、彼らは性と体の不一致で悩んでいるわけではないのだ。
それだって重症であれば深刻な精神疾患で、だからこそ、それは市井の女性たちにその衝動を受け止めさせるのではなく、専門医にかかって頂きたい。私たちはカウンセラーでもセラピストでもない。
変態に関しては言わずもがな。
🖤🖤🖤
これらに関して声を上げているのも、擁護せよと叫ばれているのも、全てトランス女性だ。
では、トランス男性は?
彼らの権利はどうやって守るつもりなの?
それは全く聴こえてこない。
トランス女性の権利を守れ、擁護せよと叫ぶならば、トランス男性も守られ、擁護されなければフェアではない。
LGBTQの嘘臭さはそういったところに原因があるんじゃないかな。
声の大きい者たちだけを守って、自由とか平等みたいなものを主張したつもりでいるならば、それこそちゃんちゃらおかしいし、視野狭窄だ。
でも、残念ながら世界はそんな風潮に陥りつつある。
分かりやすい強さに与する、そういう風潮。
それはすごくマズいんじゃなかろうか。
この国には『判官贔屓』という言葉がある。
敗者や弱者に同情し、声援する感情のことをそのように呼ぶ。
日本人には特有の気質であるらしいんだけど、心理学用語で「アンダードッグ効果」ともいうらしいから、人種を問わず、持ちうる気質なのだろう。
弱い者を助けて強い者に立ち向かう。
いいよね、カッコいい。
だけど、私たちは弱者と強者を本当にちゃんと見極めているだろうか。
とりあえずの手近な弱者を守(ったつもり)り、庇護した(つもり)ことで正義を遂行したつもりになってはいないだろうか。
透明化してしまっている弱者を見過ごしたりしてしまったりしてはいないだろうか。
正義を遂行するのは、気持ち良いものね?
🖤🖤🖤
差別を本当にこの世界からなくすには。
もちろん、声を上げることは大事。
その声に耳を傾ける、それも大事。
だけど、それと同じくらい大事なのは、私たちが賢く在ることだと思う。
賢く在るとはなんだろうか。
脊髄反射的な感情に流れないこと。
その言葉は、本当に正義を遂行する気持ち良さからでてしまった言葉ではないかどうか、自分を疑うこと。
常に自問自答を繰り返すこと。
ネットが普及したことで、誰もが簡単に考えを発信できるようになった。
だけど同時に、簡単に、安易に言葉を投げる人が増えすぎてしまったように思う。
思ったことをストレートに言う。
自分の正義を貫く。
ではあなたの隣人の正義は。
あなたの正義と同じであると言い切れるのか。
その、あなたの正義を貫く行為は、あなたの隣人を守る正義であるという保証はどこにあるのか。
そこまで思いが至らない人が増えすぎた。
それが私たちが『差別』というものから自由になれない理由のひとつでもあると思う。
🖤🖤🖤
どうかこの世界で性と体の不一致に悩む人が、それと同時に倒錯した性衝動や精神的疾患に悩む人が、いつか本当の自由を手にできますように。
そう願ってやまない。