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Xに見る男女の分かり合えなさの正体

 なんだか最近、ずーっと、ネットで男性と女性に分かれていがみ合ってません?
 どっちが悪いとかジャッジする気はありませんし、裁くつもりもありませんが(←言ったよ)
 この風潮の原因はどこにあるのか、いい機会だし少し考えてみたいと思います。


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 前回、書いたストッキングの炎上事件の件。

 これに関しては『女性たちが話していた「ストッキングはすぐ破れてしまう」という話のニュアンスを、他愛のない世間話であると理解できないまま「デマだ!」と勘違いして大騒ぎしてしまったこと』に原因があると、私は考えています。
 つまりは思い込みと早合点から起きてしまった事故なのですが(しかもまだ思い込んでいるままの人がいる……)それは他の揉め事に関しても大いに言えることであって。

 全体的にネット(特にX)に流れている風潮『女性は全てにおいて優遇されている』というものが、その揉め事が起こりやすくなっている原因の最たるものであるように私には感じられるのですが、Twitterの短文では言っている方も言われている方も「何故その思い込みが起きてしまうのか」掘り下げきれていないと思うので、ちょっとここでそれについて深掘りしてみたいと思います。

 繰り返して書きますが、ジャッジしたい、優劣を決定したいわけではありません。お間違いなきよう。


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 私自身がずっとこの種類の投稿を読んできて分かったのは『女性は生物記号的に「女である」とするだけで価値があるし、また本人たちもそう思っているであろう』とする感覚が、そういった「思い込む」人たちの、必ずどこかに潜んでいるんだなということ。

 私は当事者である女性ですが、この『女性は全てにおいて優遇されている』という思い込みは、正直、如何なものかと思っています。
 それは、その主張の根拠は大体が
「いざとなれば『女性』であることを利用すればいいから」
「いざとなれば泣けばいいから」
「いざとなれば体を売ればいいから」
という内容に終始していること。

 女性といっても均一な、一括りの存在ではありません。
 そういった身体的性別をこの世界をサバイブするための道具として使う者もいるでしょう。
 だけど、全員がそうではない。個体差も個人差もある。
 そこを認識できずに、一括りであると「思い込む」→ だからそういう誤認が生まれる。

 ここまで書いて、ひとつ注意して読んで頂きたいのは『女性は全てにおいて優遇されている』そして『女性は生物記号的に「女である」とするだけで価値がある』と思い込んでいるのは『男性』のみである、とは一言も書いていないことです。
 間違った方向へいきやすい内容なので、前置きをしておきたいと思います。

 女性のなかでもそういった者もいるでしょう。優遇されて当然よ!という旧世代的な価値観。困ったら甘えればいいや、という甘さ。
 私はそれも嫌いです。
 はっきりいってそういうのと同類となど、考えて頂きたくない。

 それでは『女性は全てにおいて優遇されている』との思い込みの根拠である『女性は生物記号的に「女である」とするだけで価値がある』の部分を掘り下げていきたいと思います。少し性的な内容が入ってきますが、ご了承下さい。

 結局、何故「女である」だけで価値が生まれてしまうのかといえば「出産が可能だから」です。
 もっと有り体もなく言ってしまえば、「行為を持ちたい」人たちの欲を身体的機能として受け入れられるから、です。
(女性の側にも欲はあるでしょうが、またそれは別の話とさせて下さい。収拾がつかないので)

 実際にそれに応え対価を得て、それを生業としている方もいらっしゃるので、そこは否定できない。
 需要がある。だから供給がある。

 ただし、その「出産ができる」「欲を身体的機能において受け入れる」ことについても、一括りに『全ての女性がそれをできる』と考えるのはとても危険であると思います。

 しつこく書きますが、女性といっても一括りの均一な存在ではありません。様々な女性がおります。
 逆にそれは男性の側にも言えることですね。
 男性でも全てがアグレッシブで身体能力に優れた方ばかりではないでしょう。それと同じことです。

 そしてさらなる危険を孕んでいるのは『女性は生物記号的に「女である」とするだけで価値があるし、また本人たちもそう思っているであろう』の、『本人たちもそう思っているであろう』の部分。
 さっき、私は申し上げました。
 「同類となど考えて頂きたくない」とね。
 その思い込みをもって私のような者に接するのであれば、それは信頼関係を築けるはずなどない。
 つまりは、その『本人たちもそう思っているであろう』というのもまた、思い込みなのです。

 私はあまりこれについては詳しくありませんが、アメリカのグリーンカードを女性が取得したことについての失言をしてしまった投稿も拝見しました。
 これなど、失言になるようなことを言ってしまった原因はまさにそれです。
 女は「女であること」を手段として使うものだ。でもあなたは違うよね、とね。
 そんな褒められ方をして嬉しい女性など、いるのでしょうか。特に海外でお仕事をされているような、キャリア組の女性たちに。

 つまり、これらがすっぽり頭から抜け落ちてしまっている。

 男性の投稿が女性を怒らせてしまう結果が目立つのは、単純に数が多くて目立つからと、ネット社会への親和性が女性よりも高いことが原因であると思います。
 また、女性は男性よりも身体能力が低い場合が多く、体格差においても同様です。
 報復を恐れる以上、そういった攻撃的要素を含んだ言動、投稿には慎重にならざるをえない。
 また社会的にも男性の方が地位が高かったり、立場がある場合が多く、女性を下に見てしまいやすい。これもひとつの原因と思われます。

 これらが、この性別における分断での争いのバックグラウンドであると思います。


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 それでは実際にリアルな世界では、果たして『女性は優遇されている』のか?
 うーん、レディスデーとかそういったものはなしにしましょう。定食屋さんのレディスセットとかね。
 それは優遇ではなく、女性の集客をしたいという企業側の戦略的な販促ですから。

 女性は男性と違って学校や社会での競争を免れている。
 女性はどうしようもなくなったら風俗で働けばいい。恵まれている。
 女性は生活に困ったら適当な男性と結婚すればいい。
 女性は困ったら股を開けばいい(軽蔑すべき発言ですが)

 こんなところかな。
 これもまた、全て残念な思い込みです。

 女性同士にも競争は存在しますよ。ルッキズムという競争がね。それによるカーストも存在します。私自身がそのカーストを身を以て体験しておりますから。
 残りの3つ、結婚も風俗も最後のひとつもですが、これらは全て『尊厳を放棄する』行為です。
 それをもってして「優遇である」とするなど、本当に主観的な思い込みが過ぎるとしか言いようがない。
 いい大人がその主観的な思い込みを剥き出しにして他者と関わっていくなど、愚の骨頂でしかないわけで。

 結論として、女性である私から言わせてもらうならば『全て思い込みだね』です。
 優遇と思われているのは、企業の販促であったり、尊厳を放棄した結果であったり、特に後者である尊厳の放棄など、これをもってして優遇と勘違いしているのは恥ずかしいとしか言いようがない。

 それに甘んじている女性たちもまた同様です。
 生業としてきちんとした意識をもってこなされているならばともかく、何となくな甘えと逃げの手段としてそれがあるならば、それはとても良くない。
 生活のため、やむを得ずの手段としてしている場合もあるでしょう。それだっていけない。
 本来ならば身内が、それができないならば国や自治体が助けなければいけない案件です。

 間違っても優遇などではない。

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 長々と書きましたが、これはとても危険な兆候であると思います。

 能登半島の震災における避難所での生理用品の扱い、これもずいぶん大騒ぎになりました。
 ただこれも、原因は当事者である女性たちの話を全く聞くことなく、激しく思い込んでしまった結果の大騒ぎです。

 つまり、直近のストッキングでの炎上の件と原因は全く同じ。
 今年の元旦から1ミリも成長できていない。

 ストッキングも生理用品も、大騒ぎしている彼らには不要なものであるはずです。
 それなのに何故、そんな大騒ぎをするのでしょうか。

 優遇されているように見えるから、です。

 生理用品は必要な物資です。衛生用品です。トイレットペーパー同様の生活必需品です。
 身体的機能が男性と女性とで違う以上、必要なものが変わってくるのは当然です。
 優遇でなどあろうはずがない。

 ストッキングの件も同じです。
 優遇されている?
 その企業にとっての主要なターゲット層は女性です。今は自社の製品を使っていなくても、明日は買って下さるかもしれない。
 潜在的な意味では、みんなお客さまなのです。
 どんな企業でもお客さまに失礼はあってはならない。失礼があれば謝罪はしなければならない。
 当たり前のことです。

 優遇されているように見えて、それならばそれでいいではありませんか。
 黙って見ていればいい。
 それなのに我慢できずに口を挟んでしまうのはどうしてなのでしょうか。

 自分自身が不遇な環境にあるからではないでしょうか。
 私自身は女性なので男性の人生における苦しさを、伝聞で知ることはできても、直接体験することはできません。逆もまた然りです。
 どちらの人生の方が楽だ、得だ、など意味のない繰言でしかない。

 その方々にしてみれば、女性の人生の方が得であるように思えてならないのでしょう。だからそんな余裕のない行動をしてしまう。
 自分たちよりも、学力も実力も劣っていても体が女性であるというだけで優遇を受けられる(と、思い込んでいる)それがどうにも許せない。

 アフガニスタンのタリバン政権は、大人の女性同士が会話をすることを禁止してしまいました。
 この国も、この風潮が高じていくとそのような方向に走っていきかねません。

 女性はみんなが『思い込みのなかの「女性」のイメージ』一括りの生き物で、女性としての『体』があればいい。
 優遇は見せ掛けであっても許せない。

 ああ、そういえば『女体にありつく権利』などとのたまって大炎上された方もいましたっけ。


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 ここまで書いてみての個人的な感想ですが。
 ああ、日本とは今やこの程度の国なのか、と。

 私自身は日本が好きです。
 全てに詳しいわけではありませんが、歴史も好きですし、文化風習にも誇りをもっています。
 だからこそ、この体たらくが悲しい。

 とにかく、自分たちの不遇とは対照的(だと思い込んでいる)な、自分たちより立場も実力も下(だと思い込んでいる)なのにも関わらず、女であるというだけで甘えて楽に生きてる(ように見える=事実だと思い込んでいる)女性たちか許せない。

 けれどそれは女性たちを叩いても、はっきりいって全く栓のないことで。
 それならば自分自身を不遇にしている者たちを叩き、戦うべきです。
 けれど、それはしない。
 匿名の掲示板で、全く関係のない、叩きやすい者をとりあえず叩いて日々の鬱憤を晴らしている。なんと情けない。

 フェミニストと一緒にされても困りますから、逆も書いておきます。
 女性たちもまた然りです。
 男性たちに全てを頼り、おいしいところだけを取ろう、より多くのものを引き出そうとしている女性たちがいるのもまた事実。

 こんな人たちが増えてしまえば、早晩、この国は滅びていくでしょう。
 真っ当な生き方をしている人たちにすれば迷惑でしかない。

 各方面で来年2025年は変化の一年になると言われています。これはその前触れのようなものなのか。
 どうか、この争いがその膿出しのようなものでありますようにと願うばかりです。
 

 
 

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