希望という名の「蜜柑」
私が子どもだったころ、地元の駅前で行方不明になった子どもを探すビラを配る母親を見たことがあります。
それは新潟で9年間に渡り監禁されていた少女が発見された事件の報道直後のことでした。
微笑みながらビラを配る母親は言っていました。
「新潟の事件があったように自分の子どもは生きていて見つけてくれるのを待っているかもしれない。」
私はそのとき友達と「いや、もう死んでいるんじゃないか」と言い合っていました。
その母親の希望はなんだか残酷なことに思えて仕方がなかったです。
演劇療法というものを学んだことがあります。
演劇療法の中では、実際には天気が悪くて見えなかった富士山を見えたことにして再現して演じます。起こってしまった事実は絶対に変わりませんが演じることによって心が癒されるという療法です。
大人になって、クリント・イーストウッド監督の「チェンジリング」という映画を観ました。
私があのとき感じていたモヤモヤの答えがわかったような気がしました。あの地元の駅で見た母親は、母としての誇りを持って子どもを探し続ける物語を生きていくことを決めた人なのだろうと。
芥川龍之介「蜜柑」
不可解で下等で退屈な世の中を象徴している醜い田舎娘から、見送りの弟たちに投げ渡される蜜柑。彼女の健気な思いが、色鮮やかな蜜柑に投影され、その温かな色が主人公の「私」の心を上記のように変化させるのでした。まるでモノクロの世界に突如現れた鮮やかなオレンジ色が花咲くように主人公の「私」の心を温めていったのだと思います。
私も、子を探す母親たちの健気で真摯な生き様を見て、憂鬱な世の中から少し抜け出ることができました。自分も居住まいを正し、生きていこうと思いました。
参考サイト
ウキペディア 蜜柑(小説)芥川龍之介の短編小説
ウキペディア チェンジリング (2008年の映画)
↓こちらでも記事を書いています。興味のある方は読んでみてください。