満蒙分離工作失敗の謎 12/22
〔109〕満蒙分離工作が失敗した謎
昭和八(1933)年に建国された満洲国は、翌年帝政を布いて執政愛新覚羅溥儀を皇帝に仰ぎ、国号を大満洲帝国とした。
溥儀の父の醇親王が北京に留まり、満洲帝国の行く末を観ていたのは何を期していたのか、明快に説明した人を知らない。
そもそも孫文は漢族の秘密結社を束ねる洪門の棟梁たる洪棍になり、その立場で満族の首脳西太后と約して満蒙分離に尽力したが、チャイニーズ・メイスンの頭首として大東社と通じていたのは明らかである。
大東社の極東拠点であった天津南開中学が日本へ派遣した留学生王希天・呉達閣・周恩来ら「天津三羽烏」と学外同志張学良の四名が大東社員であったことは謂うまでもない。このうち周恩来が共産党に、張学良が国民党に入るのは、ともに孫文の革命を完遂するためである。
諸般の事情で満州の独立は未達成に終り、満洲の地は愛新覚羅の棟梁醇親王が張作霖に預けて遠隔操作していたが、これを独立させたのは、関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐(21期)と、その説に感化された関東軍高級参謀板垣征四郎大佐(16期)であった。
そもそも満洲族と蒙古族は古来通婚しており、満・漢・蒙・蔵・回の五族合衆国たる大清帝国においても、満洲人および蒙古族が旗人(軍事貴族)を構成していたから、満漢分離策は蒙漢分離策をも意味していた。
辛亥革命の直後、粛親王指導の下に「第一次満蒙独立運動」が発生したのは辛亥革命の目的を実現するための当然の行動であるから、わが大隈内閣は当初これを支持したが、袁世凱の暗殺死とともに国際世論に配慮する形で方向を転換した。
さて、この支那からの満蒙独立運動を、現在の通説はどのように見ておるか、張作霖研究で学位を得た渋谷由里の著作『馬賊でみる満洲』からの下記抜粋を観てほしい。
第一次満蒙独立運動という策謀は辛亥革命で動揺する中国に軍事介入して、満洲と内蒙古を中国から独立させようとするものだった。当時の日本政府は西園寺公望内閣だったが中国に介入せず中立的な立場を採った。これに対し中国の混乱をチャンスと見た日本陸軍の一部や大陸浪人たちは大きな不満を持った。長く中国大陸で活動した大陸浪人の大物で川島芳子の義父である川島浪速は清朝皇族と親しく、袁世凱が清朝皇帝を退位させて革命派と和議しようとした時、袁世凱の暗殺を謀り失敗した。
浪速は清朝再興運動に日本の大陸浪人が参加するよう呼びかけ、日本陸軍や元馬賊の張作霖とも接触を図った。1912年2月、清朝の皇族粛親王一家は川島浪速と高山公通陸軍大佐の手引きで北京を脱出し日本の租借地である旅順に入った。
しかし落合謙太郎奉天総領事からこの事を報告された日本政府は、粛親王一家の生活保障と宗社党(清朝再興を目指す政治結社)の温存を条件にしつつ支援を中止した。そして川島浪速には日本への帰国命令が出た。
日本陸軍の中には高山公通の他に多賀宗之少佐という満蒙独立の支援者がいた。多賀宗之は1912年3月にモンゴルの王公カラチン王とパリン王が北京を脱出する際に参謀本部から3万円、外務省から8万円の秘密借款を成立させた。
川島浪速は満蒙独立運動を続け、2012年5月に同志の薄益三が馬賊の左憲章と協力して「満蒙独立義勇軍」を立ち上げたが、苛烈な行軍や資金の欠乏などで士気が衰え、6月上旬に中国兵と戦った時に多数の死傷者が出た(鄭家屯事件)。この事件が日中の外交問題になるのを避けて、第一次・満蒙独立運動はここで頓挫した。
以上が渋谷由里の解説する満蒙独立運動であるが、世界大百科事典も次のように説明している。
大正期の軍部・大陸浪人を中心とする満蒙独立の陰謀計画。
(1) 第1次 1912年に辛亥革命で清朝が滅亡すると、南満州・東部内モンゴル(蒙古)の独占支配をめざす参謀本部と大陸浪人川島浪速らは清朝の粛親王を擁して満州に独立政権をつくり,同時に蒙古王カラチン・パリンに資金と武器を与えて独立させる計画をたて,実行に移した。計画は外務省の反対と満州軍閥張作霖との対立で挙兵中止となった。
(2) 第2次 第1次世界大戦中に中国侵略政策をおしすすめた日本政府は1915年に袁世凱の帝制に反対する第三革命の勃発に乗じて反袁政策を強めた。
つまり、満蒙独立運動は本来、清朝の摂政醇親王と洪門元帥の洪棍孫文が約した「漢族政体からの満蒙切り離し」工作であって、帝国軍人の一部と大陸浪人が支援したものであるが、渋谷百合は「革命で動揺した支那に軍事介入した」と唱え、平凡社『世界大百科事典』は、これを日本政府が推し進めた「中国侵略戦争の一環」と捉えている。
令和の歴史見直しはこの辺りから始めなければならぬが、それはさておき白頭狸が注目するのは、粛親王の運動を「満州軍閥張作霖」が妨害したことである。
ということは、粛親王の満蒙分離工作を醇親王の傭兵張作霖の奉天政権が妨害したわけで、満蒙分離工作の工程を巡って愛新覚羅氏の内部で両親王の対立があったことになる。
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