國體共産党を建てたスターリン 12/9重要改訂あり。必再々読
〔102〕大東亜戦争と太平洋戦争
大東亜共栄圏の根幹は日本列島と、それを囲む朝鮮半島と満洲および台湾島である。
明治二十八(一八九四)年に台湾を“植民地”とし、明治四十三(一九一〇)年に大韓帝国と国家統合した後、愛新覚羅氏を支援して昭和七(一九三二)年に建てた満洲国と連邦関係になり、東南アジアで唯一独立を保っていたタイ王国と連携した大日本帝国は、英米の植民地となっていた下記の諸地域の解放を目指して戦ったのが大東亜戦争である。
植民地とは以下の諸地域である。すなわち
アメリカ領フィリピン
フランス領仏印(ベトナム・ラオス・カンボジア)
イギリス領シンガポール・マライ半島・ビルマ
オランダ領インドネシア
ポルトガル領東ティモール
であるが、
西アジアの印度・セイロンや南アジアのオーストラリア・ニュージーランドもイギリスの植民地といって間違いではないであろう。
植民地といっても資源と労働力の搾取を主目的とする欧米型と人種平等を理念とする日本型では、その性格が全く異なっていたことは、戦前・戦中の日本が掲げたプロパガンダでも明らかで、台湾島を“植民地”と表現したのはそのためである。
大東亜戦争で順調に勝利を収めていた日本は、太平洋の西岸から南洋を舞台にしてアメリカと戦ったが戦況利あらず、米軍による非戦闘員の鏖殺と原爆の使用、およびその結果としてのソ連の対日宣戦を眼にして降伏したことで、結局WWⅡの敗戦国となった。
これが米国など連合国のいう太平洋戦争である。太平洋戦争の原因は、アメリカに入って支配層となった国際共産党すなわちトロツキストが、ワンワールド國體の代表となった大日本帝国による大東亜共栄圏の樹立を妨害せんとして重要物資の禁輸を断行したからである。
稀代の戦略家石原莞爾は、帝国陸軍内の権力闘争で敗れて予備役に編入されていたが、吉薗周蔵に「今は隠忍自重すべき時なのに、対米戦争に踏み込んだ日本は必ず敗れる」と断言し、三〇年後の対米戦を目標として戦後日本の進むべき計画を秘かに練った。その結果が「朝鮮戦争とヴェトナム戦争におけるアメリカの敗北」と狸は確信する。
世に大東亜戦争と太平洋戦争を併せてWWⅡと呼ぶが、両戦争の性格が全く異なるのは、前者が植民地解放のための植民主義国家と反植民主義国家大日本帝国の軍事抗争であるのに対し、後者は国際共産主義(トロツキスト)とワンワールド國體の戦いだからである。
このように言えば、ワンワールド國體を構成するはずの欧州各国の王室が日本の敵になった理由を問われるのが当然であろうが、答えは植民地主義と資本主義の進展の結果、各国の政体が植民地獲得のための「帝国主義戦争」に勤しむこととなり、欧州王室と各国政体の距離が広がっていたこと、と狸は確信する。
欧州政体間の軍事抗争が英仏「連合」と独伊「同盟」の対立に発展し、前者にアメリカが、後者に日本が加わるが、これに加えてそれまで潜在していたワンワールド國體とトロツキストの対立が軍事的に表面化した。
つまり対立軸として「植民地の争奪と解放」及び「ワンワールド國體とトロツキストの抗争」が同時に存在していたが、アメリカのローズベルト政体がトロツキストに支配されており、ロシアはスターリン政体が一国共産主義を主旨としていたので、複雑化したのがWWⅡの真相なのである。
このため、開戦当初はポーランド分割のため手を結んだヒトラー・ドイツとスターリン・ロシアが目的を達するや直ちに戦端を開いたのは、スラブ諸国を獲得するための軍事抗争が始まったのである。両国は、経済思想が集産主義と共産主義とで異なるが、専制主義政体として同種間反発があるのであろう。
ともかくドイツとの戦いの中で互いに接近したトロツキスト・アメリカとヤルタ密約を結んだスターリン・ロシアは日米戦争の帰趨を窺っていたが、アメリカの原爆投下をみて対日開戦に踏み切ったのである。
原爆投下による戦勝のすさびに、日本の属国化すなわち半植民地化を図った米国は、日本人を原罪意識で染め上げるため、戦争責任と贖罪意識を一方的に日本に押し付けるWGIPを実行し、ほぼ完全な成功を収めたのが今日の両国関係である。
かるがゆえに今後の日本の針路は明かである。すなわち米国の間接支配からの脱却しかないが、今やその時期が来たのだ。
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