見出し画像

〔65〕稽古31・平成大停滞と白頭狸の大運の関係(3)

〔65〕稽古31 平成大停滞と白頭狸の大運の関係(3)
 平成十(1998)年に五十七歳(正確には五十六歳十一月)を以て大運が丙戌の食神に交入した白頭狸は、親の遺産や國體有志の支援を受けながら歴史研究に没頭しました。
 この間の狸の業績は吉薗明子さんから渡された『吉薗周蔵手記』の解読が主たるもので、平成八(1986)年から月刊紙『ニューリーダー』に連載すること実に十数年に及びました。

 平成十二(1890)年十二月に、白頭狸は和歌山市新内の行きつけのスナック「ユース」で、東隆明と言う人物が体内電磁波を用いて治療するとの噂を聞き、興味を持ちました。
 東氏が近々和歌山へ来ると聞いた狸は、その日に「ユース」に赴きましたが、今回は都合があってこられぬという訳で、連絡を取ってもらい、逢うことができたのは年末でした。

 この時に東氏の話をあらかた聞いた狸は、翌十三年の正月に高田馬場で再開した東隆明氏から、「ようやくこの茶碗を貰ってもらえる人に遭えた」との言と共に贈られたのが「耀変天目茶碗」です。
 もちろん現代作です。最近は多くの陶芸家が「耀変天目」の再現に取り組んでいることが一般にも知られていますが、再現品にも上下があります。この出来栄えはタダモノではないのです。
 これを東さんがなぜくれたのか。それも「前から探していた渡し先にようやく会えた」というのです。この裏には何かの事情がある、と思った狸が収集した情報のなかに、ピンとくるものがありました。

 東さんは狸より二歳下の和歌山市生まれですが、母は居酒屋の女将、実父は近衛文麿侯爵の嫡子でシベリア抑留中に病死した近衛文隆です。
 東隆明氏生誕の経緯などは、ノンフィクション作家の西木正明氏が平成十一(1999)年に発表した小説『夢顔さんによろしく』である程度窺うことができ、折から『夢顔さんによろしく』は『異国の丘』の題でミュージカルとして上演されていました。ただし陸軍での階級が『平成新修華族家系大成』には少尉とありますが、西木氏の作品では大尉とされています。
 文隆氏の妹の近衛温子が侯爵細川護貞に嫁いで生まれたのが細川護熙氏で、東隆明さんはその従弟に当ります。平成五、六年の日本国首相に就いた細川護熙さんは、引退してからは湯河原の別荘で園芸に勤しむ傍ら、専門職人を招いて陶芸に明け暮れているとの噂があり、この耀変天目にはそのあたりの匂いが漂うのです。
 それはともかく、白頭狸は東隆明さんによって命を救われたことを今も忘れません。東さんは御岳教の神主として「お祓い」と称する宗教儀礼を行っていました。この「お祓い」は神棚に一礼した信者の皮膚を東氏が指先で軽くこすると、瞬間的な激痛とともに皮膚に「蚯蚓腫れ」が生じ、少量の血が浮かびます。この「お祓い」を受ければ血液の循環が著しく改善され、瘀血が抜けますから、実質は医療類似行為とも言えるのでしょう。 
 白頭狸が「お祓い」を受けたのは平成十三年一月十五日のことですが、両脚の太腿が一面に牡丹色になりました。これに驚いた東氏は「普通は蚯蚓腫れで済むのに、あなたの内出血は一面に広がっておる。すでに壊疽になっているのだ」と言いながら、携帯電話で狸の太腿を撮影していました。
 白頭狸の太腿には糖尿病により発生した大量の瘀血が溜まり、壊疽が始まっていたのですが、この「お祓い」により瘀血が除去された狸は「ただの糖尿」にまで復したのです。 
 このお祓いがなければ、間もなく両脚切断を必要とした筈の白頭狸は、御礼の申し上げようもない東さんに、「東鳳真人」の號を奉りました。

ここから先は

1,811字

¥ 300

いただいたサポートはクリエイター活動の励みになります。