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〔100〕國體論断片 瀬島機関と丹羽中国大使 8/1加筆

〔100〕落合國體論断片 瀬島が育てた丹羽中国大使
 このnoteで「白頭狸の時務随想」と題して「社会的熱力学論」を進めていたところ、たまたま届いた『月干日本』に掲載されている倉重篤郎氏の政権ウオッチ33「湛山に就いてのあるエピソード」を眼にして、その内容に違和感を覚えた私(落合莞爾)が連載中の「社会的熱力学論」に割り込み〔97〕から述べた「昭和天皇の岸信介観」は〔99〕で一応完了しました。
 そのあとは〔100〕から「社会的熱力学論」に復帰して論じるつもりでしたが、今回の國體論断片に脇役として登場した丹羽宇一郎氏について、昔から抱いてきた疑念が払拭できず、改めて探究したところ、今回得られた情報の内容が國體勢力の活動の一端を示す極めて重要なものなので、白頭狸の枠をもう一つ分借りて〔100〕とし、以下に述べることとします。

 そもそも丹羽宇一郎氏が伊藤忠商事出身ということから、本件に瀬島龍三の匂いを感じていた落合ですが、瀬島氏が本件発生の三年前に薨去されていることから何となく思考から除外したのですが、これが誤りで、やはり当たっていたようです。
 瀬島龍三は紛れもない國體参謀です。
 このことは大東亜戦争の原因、経過、始末を探究してきた落合が、何重にも確認したところですが、最高度の國體機密に任じていたことから、その活動の全貌と仔細を直接知る人は、今となっては全世界に十人を超えないと言って良いと思われます。
 このゆえに瀬島龍三が歴史家、政体政治家、評論家などの世間から受けてきた誤解は著しいもので、落合が平成初年に親炙した馬野周二博士も「極東軍事裁判の法廷にシベリアから出頭した瀬島は、昭和天皇に戦争責任がある、と証言した」と逆賊呼ばわりして憤っていました。

 東京都知事だった石原慎太郎が、何かテレビ番組で「丹羽とかいう商人が中国大使になって(日本は大中華帝国の属領になったら幸せになれる)なぞとほざいてやがる」と単純に憤慨していたところを見ると、丹羽宇一郎の後ろに瀬島龍三がいたことに思いは及ばなかったのでしょう。
 その三年前に他界した瀬島龍三が丹羽の後ろにいた、とは防衛大臣経験者の石原慎太郎でも思い浮かばなかったのはムリもありません。
 ここが石原慎太郎の限界などと、このnote で一旦は述べた落合は、石原に顔向けができないので書き直す羽目になりました。世間の先生方も、丹羽の中国大使拝命の意味を理解していない人が大多数ですから、慎太郎を責めることはできません。
 つまり、戦後日本では政体の運営に携わる政治家も経済人も官僚も文化人も、おおよそこのレベルです。

 丹羽氏を中国大使に就けた人事には必ず裏があると感じた落合は、おのれの脳内で思いを巡らした結果、「外務省首脳と民主党政権の間の軋轢」と推理したもののそれ以上洞察できず、棚上げして今日に至りました。
 今回の〔99〕でそれを述べてみたものの、この推理がいかにも浅薄で洞察の域にまで達しないことをもどかしく思う落合は、今回のnote投稿を好機会とみて年来の疑問を前出の某筋にぶつけて見ることといたしました。
 それが昨日(7/3Ⅰ)のことですが、某筋は一言だけ「丹羽は瀬島が育てたのです」と告げられたので、落合は思わずわが膝を叩きました。國體伝授とはまさに禅問答です。

 
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