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私は私を愛して生きていく〈過去の自分を見つめる自問自答〉

前の会社の同期が結婚しました。
私はそれをインスタのストーリーで知りました。

結婚式に呼ばれなかったことがなんだかとてもショックで、日曜の朝だというのに気が重くなっています。


というのも、私は小さい頃から仲のいい友達というのができませんでした。作りたい気持ちはあったのだけれど、いつのまにかなんとなく距離を感じてしまう。友達だけれど、仲間として休みの遊びの日には呼ばれない。そういうような薄ーい繋がりの友達しかできませんでした。
これが私のコンプレックスです。

この原因がなんとなくわかってきたのはここ最近のことです。私は社会人になってから、どうにも人生が立ち行かなくなってしまいました。すがるような思いで、カウンセリングを受けました。
「こんなところに相談に行くなんて、私は病気ではないのに」という気持ちと、「ここで何かしらの診断がつけば楽になるのかもしれない」という気持ちが半々くらいでした。

結果として、何も診断名はつきませんでした。しかし私の今までの家庭環境は普通ではなかったこと、それによって今まで生きづらさを抱えていたことが第三者の視点を通して自分でも見ることができました。


仲のいい友達を作ることができないという私の悩みも、元を辿ると幼い頃の家族や親戚の何気ない言葉にあったのだと思います。ひとつは
「お姉ちゃんより可愛くない」
「太ってる」
など、容姿を馬鹿にするような言葉です。
その時代では可愛いの裏返しで言った言葉かもしれませんが、未だにその言葉を許すことはできません。
このような言葉たちは、私はこのままでは愛されないんだという気持ちを心に植えつけていったのだと思います。

もうひとつ、私は引っ込み思案な性格で、なかなか話し出さない子供でした。それを見た親戚が
「ああいう子は嫌いだ」
と馬鹿にしたように他の人に話していました。幼心にとてもショックを受けて、やっぱり私は愛されない子なのだという思いが強くなっていきました。


このままでは愛されないと思った私は、他人からどう思われるかをとても気にかけるようになりました。このままでは嫌われてしまう、嫌われない行動を取らなければ、気に入られなければという思いが強くなればなるほど、体は強張り喉が締め付けられるように声が出なくなっていきます。

どれだけ私は大丈夫、次こそはうまくやれると思っていても、心に植えつけられた声は消えません。
「なんでもっと明るく話せないんだろう」
「黙っていたら嫌われるぞ」
と自分を自分で責めるようになりました。
他の人はそんなこと思っていないだろうに、幼い頃の記憶でいっぱいになってしまうのです。

私の努力不足だと思っていたコンプレックスは、カウンセリングを受けたことで少しずつ癒えてきています。しかし仲のいい友達がほとんどいないという事実は変わりません。同期のストーリーを見てまだこんなにも落ち込んでしまいます。けれどそんな自分を「今まで頑張ってきたんだね」と抱きしめてあげたい。嫌なところ全てを肯定してあげたい。これが今の私の目標です。

カウンセリングを受けてしばらくして知った自問自答ファッション。初めて見たときなんとなく惹かれたのは、ファッションという側面から"自分を深く知る"ことをずっと求めていたからだと思います。

私ってどういう人なの?を知るのは怖さもあるけれど、ちょっとずつわかってきて楽しさもある。今までこの暗い気持ちを出すことを躊躇っていたけれど、自問自答していく上で書いて昇華させていくという工程は必要不可欠だと思いました。もしかしたら今後消してしまうかもしれないけれど、今思う私の気持ちを書き綴ってみました。

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