自己実現の説明を求められて
もう、20年以上も前のことです。「自己実現ってどういうことでしょうか」と何度か尋ねられたことがありました。
「さあ・・・何でしょうね。自分で考えるところに意義があるかもしれませんね。」とお茶を濁し、どう説明するのが一番よかったのか、それから時々思い出しては考えて続けています。
最近は「自分らしく生きている、と自分が思えばそれでいいのではないか」と思ったり、「いやいや、その人らしさって案外他人から見て指摘され、そうかな、って思ったり、いや、そうじゃないよ、と思ったりしながら自分のイメージができていくんじゃないかな」・・・相変わらず私の考えは揺れ動きます。
はっきりとしているのは、『自己実現』が一つの抽象概念だということです。抽象概念は人が体験の中からイメージをたくさん集めて作っていく言葉なので、すぐにわかる生活感覚からかけ離れます。
自己実現という言葉の提案者は、自分の置かれた時代と環境にいた人たちを眺め、そのイメージをまとめたわけです。それは案外とても狭い世界です。
そこには「自分らしく人生に満足しながらも社会貢献もする」という意味合いが感じられます。最初から何か良いことのように感じさせるニュアンスを含みます。
人にはいろいろな面があり、よくも悪くもその人らしさがありますし、時代が変われば肯定的な意味合いも微妙に変化します。複雑で判断しずらい人生の価値をあっさりと問うような言葉は・・・不気味です。
価値には必ず誰かのjudgeが入り込みます。微妙にその人の好みや何らかの利益がそこに含まれます。
そうした類(たぐい)の言葉は、自己啓発セミナーや宗教団体の勧誘時などのビジネスシーンで都合よく利用されやすい『強い言葉』なので、気をつけましょう・・・そんな風に伝えてもよかったのかもしれません。