図書館本 25冊目『この世界からは出て行くけれど』キム・チョヨプ

帯の紹介文  ” 韓国新世代SF作家の旗手が未来へ踏み出す者たちに贈る優しさと希望に満ちた7篇 ”  を見て、「これ絶対読みたいやつ!」と直感し、その下の紹介文  『わたしたちが光の速さで進めないなら』に続く、第二短篇集。”  の言葉 を見て、「あれ?この人?!あの人っ?!」  とやっと気付く鈍さ…

韓国小説作家さんの名前を覚えられていませんね。
キム・チョヨプさん、この NOTE に「図書館本」と記録するようになってから3回目の登場です。
同じ著者の3冊目紹介は初めてです。(まだ、始めて半年ですし…)

「やはりこの人か~、この、完結していない長めタイトル…」
作者序文で、韓国語版のタイトルは、直訳すると『さっき行ってきた世界』ということですが、もう、「完結させないタイトルの人」でいいでしょう。

わたしがこのタイトルを完結させるなら、『この世界からは出ていくけれど… また帰ってくる。』 
やっぱり、センスないわー。最後に「。」て…

最近、小説といえば新聞の連載小説しか読んでないぐらいだったので、なにか物語に飢えてました。
期待通り、面白かったです。期待の斜め上を行ってましたね。

7篇それぞれ、交流の物語とでもいうのでしょうか。

「欠陥のない正常で正しい」多数側の人たちは、「欠陥を持つ、不完全で弱い」存在とされる少数側の人たちに対して、その異質さと世界の隔たりゆえに、無関心であったり排他的な態度であったりします。

その「欠陥のない側」の一部の人が、偶然のきっかけで「欠陥のある」人と関わることとなり、意思疎通を試みます。

彼、彼女らは当初「異質さ」「欠陥」に馴染めず、不快感を抱いたりもしますが、多数側が勝手に欠陥と思っていることが、実は欠陥ではないのだな、と実感し(多数側にとっても、少数側にとっても)、大切な隣人・友人として、知りたい、伝えたい、と、「欠陥がある」側の人により近付こうとしていきます。


越えられない壁があっても、時間をかけて、諦めずに交流を続けていけば、こういうのもありなんだ、と思えるようになっていくという感じ。
(今、この世界にもあって欲しいこの感覚…)

欠陥のない多数側に含まれるけれど、「欠陥のある人」との接点を持った一部の人たちは、完全には理解し合えないところも、それはそれで否定せずに受け入れられるようになっていく。
(それにはやはり、努力と時間が必要で、自然に上手い具合に溝が埋まるものではなく、良かれと思っても、勝手な押しつけになることもある。で、拒絶されて憤慨したりもする。一歩進んで二歩さがる… 進まんのかいっ…)

多数側の人たちがいっぺんに変わることは出来ないだろうけれど、変わることの出来た一部の人たちが、ちょっとずつ空気を変えていけそうな予感がします。

「ここに収録された小説はすべて、自分が属していた世界から他の世界へと旅立ったり、そうして旅立っていく人を見守る話だったりします。」

後からこの序文の言葉を読み返すと、短篇それぞれの作中人物たちが次から次へと浮かんできて、「あ~、そうなんだなぁ、そうだったなぁ~。どうしてるかなぁ~、会いたいよーっ!!」と懐かしくなり、またページをめくり始めちゃいました。
(普段、これだけ短篇集を読み返すことはないです。NOTE  に記録するようになってから、本の読み方が変わった気がします。)

SFの短篇集なので、次から次へと様々な設定で、いろんな交流が出てきます。
近未来の地球の地球人、他の惑星に移住した、かなり未来の元地球人、数百年前の元地球人…
地球人がいっぱいや~
いやいや、いろんな状況になってるんですよ。

ひとつ読み終えて、次のお話に入っていくのが毎回楽しみでした。

そして今回、ちゃんと名前を覚えました。キム・チョヨプさん。


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