「生まれて来た事に意味がある」という究極の言葉に込めまれた想いとは? BUMP OF CHICKEN「ガラスのブルース」
BUMP OF CHICKE『ガラスのブルース』
この曲はVo.藤原基央さんが「生きる理由」の答えを求めていた時期にできた曲だという。
そして彼が生み出した詩が、
これである。
生きる理由を探す上で、究極の言葉だと思う。
しかし、解として究極である一方で個人的にだから何なのかという気持ちも生まれる。
その気持ちを埋めてくれるのが、
これである。
そもそもなぜヒトが生きる理由を考えるのか。
それは現代が、
「三食ご飯が食べられる事、安全に睡眠ができる事」
そんな事が当たり前になったからである。
生きる事があまりにカンタンになったから生きている実感がなくなっているのである。
生きている実感がないのだから、生きる理由を見つけ出したくなるのは必然だと思う。
生きる理由に「富や名声」を求め始めたらそれらは青天井だし、合理性を持たせようとするのなら「ヒトが生まれた瞬間にこの世をさる事が一番合理的」であるのは間違いない。
それでも「お腹が空くこと」などは誰にも共通することである。これこそが生きている実感そのものであり、
昨日よりマシな飯が喰えたことで、今日はいい日だった“ことにする”と言う視点。
ここに生まれたこと、そして生きる理由の根源が詰まっているのだろう。
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