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80歳の鍼灸師が絶賛する一冊!悩める現代人必読の書から共感の輪郭を掴む!BUMP OF CHICKEN「メーデー」

御年80歳の鍼灸師の先生にお勧めをされた一冊が、

『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』箒木蓬生著

であった。
著者は、悩める現代人に最も必要と考えるのは「共感する」ことで、そのためにネガティブ・ケイパビリティという能力が必要だと説いてる。

【ネガティブ・ケイパビリティ】
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」
「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」

『ネガティブ・ケイパビリティ』箒木蓬生

精神科医の先生が綴られる文章は、まだまだ勉強が足りない私には難しかったが、
治療家がよく使う「共感」という言葉に対して違和感を覚える私が、正しい形での「共感」の輪郭を掴むことができたような気がする。
(「共感」は精神科医の先生たちでも初期から叩き込まれる重要な態度であるという。)

学校で教わる共感の一幕はこんな感じ。

👴「ここが痛くて辛いんです。」
🧑‍⚕️「ここが痛くて辛いんですね。それは大変ですね。」

穿った見方をしてしまう私からするとその返しは軽率だといつも思う。
(実際にその言葉に救われる方がいるのだから、まだ私が気付けていない重要な事も多々あるのだと思う)

しかし、この著書を元に考えると「それは大変ですね。」の一言は、ポジティブ・ケイパビリティそのものだといえるのではないだろうか。

【ポジティブ・ケイパビリティ】
問題が発生したときに迅速かつ的確に対処する能力、すなわち「わからない」を「わかる」に直線的に落とし込む能力

Google AIより

人の脳には分かろうとする方向性があり、分からないことは不快なのである。
本書では、不規則に並べられた数字を見るとイラ💢っとするが3の倍などと規則性がわかるとスッキリする。という例が挙げられている。

話を戻すと、患者が持つ計り知れないバックボーンを理解して分かった気になって「大変ですね」という言葉を返す。そうすれば治療家側の脳は満足です。
しかしながら、それは本当に共感なのでしょうか?

「大変ですね。」には治療家と患者という生身の会話をすっ飛ばして、その治療家の持つ陳腐な解釈によってその場が納められている状態です。


ネガティブ・ケイパビリティが精神分析学の分野でも必要だと主張をした英国の精神科医のビオン氏は、

精神分析学には膨大な知見と理論の蓄積があります。その学習と応用ばかりにかまけて、目の前の患者との生身の会話を疎かにしがちです。

ウィルフレッド・R・ビオン

このように述べており、私が違和感を感じていたのは、いわゆる「ハウツー」としての「共感」なのだということが明確になった。

ビオンは、患者との間に起こる現象・言葉に対してネガティブ・ケイパビリティの能力が要請されると主張して以下の言葉を残しています。

ネガティブ・ケイパビリティが保持するのは、形のない、無限の、言葉では言い表しようのない、非存在の存在です。
この状態は、記憶も欲望も捨てて、初めて行き着けるのです。

ウィルフレッド・R・ビオン

つまり、「ハウツーの共感」として会社の利益、個人の成果を考えようものならそこに本質な共感はないと言えるだろう。

不明のまま抱えていた謎は、それを抱く人の体温によって成長、成熟し、さらに豊かな謎へと育つ。
場合によっては、一段と深みがました謎は、そこの浅い答えよりも遥かに貴重なものをうちに宿す。

『ネガティブ・ケイパビリティ』箒木蓬生

これは個人的解釈だが、
治療家と患者の間にあるべき共感とは耳触りの良い言葉を投げかけることでも、同情した態度を見せることでもない。
ただただその患者とその問題を抱え続けるという覚悟なのだと思う。
決して治療家にその患者の悩みが「分かる」訳がないのだから。

さて、急に舵を切って語りたいのが
BUMP OF CHICKEN『メーデー』である。

君に嫌われた君の沈黙が聴こえた
君の目の前に居るのに遠くから聴こえた

発信源を探したら辿り着いた水溜まり
これが人の心なら深さなど解らない

BUMP OF CHICKEN『メーデー』

目の前で対峙しているはずの患者からのSOS。
それが人の心の一体どのくらいの深さから発せられているかは誰にも分かりようがない。

誰もが違う生き物他人同士だから
寂しさを知った時は温もりに気付けるんだ

勇気はあるだろうか一度心覗いたら
君が隠した痛みひとつ残らず知ってしまうよ
傷付ける代わりに同じだけ傷付こう
分かち合えるもんじゃないのなら
二倍あればいい

BUMP OF CHICKEN『メーデー』

対峙する患者の悩みに覚悟を持って共感するのならば、その患者に「痛みを知られる」という痛みを味合わせるのだから、それ相応の傷つく覚悟が私にもいる。
結局どこまでいっても人の痛み、悩みなんてものは「分かる」なんてものではない。
だからここでこそ、ネガティブ・ケイパビリティの考えが重要で、
その問題を宙ぶらりんで構わないからお互いが大事に抱えて大切に成熟させていくのだ。

紹介した『ネガティブ・ケイパビリティ』箒木蓬生著はまだまだ語りたいことだらけだが、長くなっているので別の機会に譲ろうと思う。

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