漢字
私のブログのブロガーさんは今年を漢字一文字で表すと「訃」だと書いていたが、私はそれを受けて「哀」だと思う。
もしくは「悼」かな。
淡々と「訃」と俯瞰できるほど人間が出来ていなくて、ただ只管に哀しくて仕方がない。
また、世の人達が淡々と「税」と答えたように彼等がこの世を去ったことに触れる事がない一年では決して無いのだ。
昨年から続く訃報に対し、全く乗り越えることが出来ず 鬼籍に入った方々を思い出し語るごとに泣けて仕方がない。
こういう感受性というか、中2的な感性には我ながら もう少し鈍感でも良いのにと思わないでもないのだが、そうそうなおせない部分である。
大人のくせに…と思ったり
年寄りに近づいた事による涙脆さなのか?と思ったり。
当然、間にラジオやテレビ等を通して彼らを知り直接お話をしたことがない人が殆どだが、あの頃の自分の心に届き 言葉やメロディーを口ずさみ過ごした日々。
否が応でも自分の中の一部として彼らの曲が沁みておる。
日々の生活する事で 紛れておるが、やはり改めて振り返ると胸が締め付けられるのだ。
「あの頃の自分を支えてくれてありがとうございます」と伝えたい。
感謝の気持ちは絶えることがない。