卒寿祝いの帰省で学んだもの
実は、この月曜日から実家に帰省していました。(今、帰阪中です)
理由は、祖父の卒寿祝いです。
高齢になっても変わらず元気に出歩く祖父を見ていると、いつまでも元気でいてほしいなと心から思います。
卒寿祝いと言うことで、久しぶりに家族が全員揃い、全員でお祝いできたのは良い思い出になりました。
ちなみに、兄弟4人でやった麻雀は僕のボロ負けでした…笑
久しぶりにやりすぎて、役なんかまったく覚えていませんでした笑
で、ここからが今回の本題。
帰省して家族と話す中で、カバディの話になりました。
今週末が全日本大会なのでその話をすると、初めて聞いたメンバーが同じ反応をしました。
それが、「えっ、あんたが全日本出れるん?凄いんなぁ」でした。
兄弟4人とも幼少期から競泳に取り組んできており、上2人は全中や国体の決勝に残ったり、インハイやインカレ、JOCなど全国の舞台を多々経験しています。
僕の双子の兄も、全国を狙っていたくらいのレベルです。
なので、この反応を見た時に、「全日本出場」という言葉だけを聞いて勘違いしているなと思っていました。
案の定、続けて「全日本出場ってことは、それの予選大会にも勝ち進んでってこやんな?」と聞いてきました。
やっぱり、、、と思いながら、そこで改めて全日本出場の経緯を説明します。
まだまだ全体のチーム数は、他のスポーツに比べて少ないこと
エントリーすればチームとして出場できること
レギュラーで出れるかどうかは分からない
すると、基本的には「なんだ、そういうことか」というリアクションになります。
それが悪いわけでもないし当然の反応だなと思っていたら、長男だけが違う反応をしていました。
「いや、そうじゃなくて。あんたが全日本に出場するんやろ?それだけで充分凄いやん」
という反応でした。
この反応を見て、「あっ、そういう考え方もあるんや」と感じました。
また、同じ「全日本出場」という言葉があっても、それに対しての捉え方・反応はこんなに違うのかとも感じました。
どれが良くてどれが悪いわけではないですが、物事への考え方をもっと広く持とうと思った瞬間です。
ところで、このnoteを読んでくださっているそこのあなた。
なぜ、90歳のお祝いを「卒寿」と呼ぶのかご存じですか?
じつは、卒寿の「卒」の略字である「卆」が「九十」に見えることから、90歳のお祝いは卒寿と言われるようになったんです。
他にも、米寿や白寿というお祝いもありますよね。
米寿は、「米」の字を分解すれば八十八になるから、88歳のお祝いを米寿と言います。
白寿は、「百」から「一」を引けば(取り除けば)、「白」になることから、99歳のお祝いを白寿と言います。
他にも、長寿祝いだとこのような成り立ちがあります👇
なぜ、急にこんな長寿祝いの話をしたのか。
じつは、この卒寿の成り立ちの話も、帰省時の家族間の会話で出たことなんです。
そして、物事や言葉にはすべて意味があり、成り立ちがあります。
今回話をした長寿祝いもそうです。ただ知らない・興味がないだけで、しっかりとした成り立ちや理由があるんです。
ただ、こういった情報を「興味がない」と言って関係ないものとして扱うのか、「面白い」と言って興味を持って扱うのか。
その在り方が、色々な場面に影響を与えると思っています。
もちろん、それは仕事もそうだし友人関係もそうです。もちろん、カバディも。
自分はレイドをしないからレイド関係の情報は必要ないと思うのか、アンティしかしないけどレイドの考え方を知ってアンティに活かしたいと思うのか。
どちらが選手として成長するのかは想像つきますよね。
たったこの1つの思考の差で、その後が大きく変わるんです。
そして、その根本は「物事への考え方が広くなる」ことだと考えています。
1つの事象を多方面の観点から見て考えられると、良いんだと思います。
と、本来の目的である「祖父の卒寿祝い」で帰った今回の帰省で、色々な学びを得たコロ助でした。
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