見出し画像

【小説】IHとヒーター

 雲が一面に広がる1月半ば、建設現場では少々ピリついた空気が漂っていた。雨が降ってくる前に危険な仕事を終わらせようと、皆が急ぎ足で着々と仕事を進めていた。

「おい藤原!お前どこ見て歩いてんだ!上見て歩けって何回言わせんだよ!頭から串刺しにされてえのかクソ野郎!」
「すみません!注意します!
チッ、うっせえよクソハゲ。俺の命の心配するぐれえならそのズル剥け待ったなしの頭皮心配しやがれ。」

 藤原清は数メートル上にいる上司にはギリギリ聞こえない声量でヤジを飛ばす。地上にいる数名には聞こえていたのか、耳が付いていないふりをしてそそくさと藤原から離れていった。煙草代わりに暴言を吐き捨てることで一時的にストレスを和らげた藤原は、この現場の職長であり唯一の女性、町田あかりの姿を目の中心に映した。あかりは若くして職長になり、魅力的な容姿から皆の注目の的であった。普段指示を出されるたびに不貞腐れる連中も、あかりの指示には喜んで応える。藤原もその中の1人である。休憩時間は明かりを囲い、休日は何をするのか、彼氏はいるのか、パンクロックは好きか、どこに住んでいるのか、処女なのか、と、放送事故レベルのインタビューが四方八方から投げかかってくる。毎度毎度あかりは被弾することなく見事に質問を躱し、作ってきた弁当を飄々と頬張る。この幸の薄い連中の中には、あかりの姿をおかずにする者も少なくないと、先月の飲み会で暴露しあっていた。
 今日の休憩時間の終わり際、いつものように連中があかりを囲う中、突然あかりが藤原の方へ笑顔を向け、手をクイクイと上下に振り、連中を掻き分けて木材の山の方へ向かった。藤原はキョトンとし、一瞬戸惑った。「あっち行け」の合図かもしれないという考えもよぎったが、その考えを揉み消すように周りからヤジが飛んできた。
「おおっ、!」「ヒューヒュー!」「俺のあかりちゃん取るんじゃねえぞ!」「死ね!」
馬鹿なおっさん達は、突如として男子になった。何歳になっても変わらない彼らの姿を見ると、藤原の不安は蒸発し、高揚感のみが脳の周りにこびりついていた。藤原はあかりから少し遅れて木材の山の方へ歩き出した。何の話かとウキウキしている藤原は、頭が先行して前進し、まるで鳩のような歩き方になっていた。浮き足だった足がそのまま空へ飛んでいきそうな歩き方だった。藤原があかりに追いつくと、2人同時に木材の山の麓に座り込んだ。隣り合わせに座るあかりの顔を藤原が覗くと、あかりはもう笑っていなかった。はっきりと顔が見えているはずなのに、何かが顔を覆っているような表情だった。あかりから藤原を呼んだのに、一言も言葉を発しない。あかりは両手をゴソゴソとさすっているだけだった。あまりにこちらからは話しかけずらいと感じた藤原は、一度前を向き、煙草を1本咥えた。刻一刻と休憩時間の終わりが近づいていた。この1本を吸い終えたらこちらから話しかけようと思った時に限って、異常なスピードで煙草は灰になっているような気がした。そして橙色の部分にまで灰が到達しようかというタイミングで一度大きく息を吐き、意を決した。

「煙草、、1本吸いますか、、、?」

トランプタワーの最後を建てるかのように恐る恐る話しかけた。声は震えていたが、あかりには届いたようで、藤原の方へ顔を向けた。あかりは緊張で固まっている藤原を見て少し微笑んだ。

「大丈夫、ありがとう。ごめんね急に。」
我を取り戻したようにあかりは優しい落ち着いた声で話し始めた。
「それでね藤原さん、突然で申し訳ないんだけど、、、あなたの家にこの後お邪魔したいの。」
「え、家、、ですか、、?」
藤原はあんぐりと開きかけた顎を下から支えた。あまりに突拍子もない発言に、喜んで良いのか、よっぽど大事な話があるのか、感情の行き所に迷った。
「今日がダメなら後日でもいいの。来週でも来月でもお邪魔できる日ができたら連絡して欲しい。」
「あ、いやぁ、まあ今日でも大丈夫は大丈夫なんですけどね、、なんせ女性なんざ招いたことがないもんですから、、どうもてなせば良いか、、、」
藤原はわかりやすく頭を掻いた。
「その辺はお気遣いなく。本当に少しお邪魔できたらそれでいいの。ありがとう。じゃあまた後でね。」
後半はあかりが一方的に話し続け、話を終えるとスタスタと去っていった。藤原は連中の元へゆっくりと俯きながら向かった。なんとも言えない表情をしながらこちらへ向かってくる姿に、連中は反応に困った。思えばいつもあかりにタメ口で話す藤原は、あの時間はずっと敬語になっていた。
 その日の作業はずっとソワソワしていて、あっという間に時間が過ぎた。帰り道ではあかりにバレないように、念の為コンドームを1箱買った。

(、、、ガチャッ)
「それじゃ、汚いですけど、どうぞ、、」
家の前で少し待ってもらい、軽く部屋を片付けた藤原は、片付けにキリがないと早々に悟り、諦めの念であかりを家の中へ入れた。
「ありがとう。お邪魔します。」
あかりが玄関へ足を踏み入れた途端に、リビングから1匹の猫がスタスタと近寄ってきた。あかりの元へ来るや否や、しゃがむあかりの腕を伝い肩へ乗ってきた。まるで犬のように人懐っこい猫だった。
「この子がよく話しているネコ助ね。ネーミングセンスはともかく人懐っこくて可愛いわね。飼い主が良い証拠じゃない。」
あかりは玄関で楽しそうにネコ助と戯れあっている。その姿は実に神々しく、藤原にとっても目の保養になったため、なかなかネコ助に「やめなさい」と注意ができなかった。
「すみません生意気な猫で。お陰でまあ偉く太ってきましたよこいつも。ハハ。」
ようやく藤原の緊張も解けてきた。玄関は寒いため早く中へ入って温かいお茶でももてなしたいところだが、ネコ助があまりにしつこくあかりに肌を寄せるため、なかなか言い出せずもどかしい気分に徐々になっていた。

「さあどうぞ中へ入ってください。温かいお茶でも入れますよ。」
「いえ、大丈夫よ、ちょうど良かったわ。」
あかりはネコ助を抱え立ち上がった。意味不明な発言に藤原はキョトンとし、半身になっていた体を正面へ向き直した。
「何のことです?」
「今日ここへ来たのはね、この子を貰うためなの。」
あかりの表情が変わった。陰気な顔で真っ直ぐ藤原を見つめる。
「いや、、突然何をおっしゃるんですか、、、」
「私ね、今の仕事を始める前、風俗嬢やってたの。もしこの子を譲ってくれるなら、1回だけ無料でもてなしてあげても良いわよ。どうせコンドームでも買ってるんでしょう。」
「え、いや、、、急にそんなん言われましてもネコ助は家族ですから。そんな突然譲るなんてことは、、、」
淡々ととんでもない発言をし続けるあかりに、藤原は頭が追いつかなくなった。今温かいお茶を必要としているのは紛れもなく藤原の方だろう。
「にしてもなんでネコ助なんですか?あかりさんやったらそんなにお金には困ってないでしょう。」
あかりは一度ため息を吐いた。
「あのね、嫌いなの。あなたみたいな脳みそを全く使わずにのうのうと生きている人が。あなたが猫の話をする度に虫唾が走るの。あなたは自分語りに夢中でなんにも気づいてないでしょうけどね。」
ネコ助を包むあかりの腕が少しきつく締まった。ネコ助が「グゥウ」とhくい唸り声を上げた。
「ちょっと、やめてください。一旦ネコ助を離してやってくださいよ。苦しそうです。」
あかりは少し俯きしゃがむと、そっとネコ助を地面に添えるように離した。ネコ助は素早く藤原の足元へ向かった。
「はあ、相当あなたが好きなのね。まあ今日のところはこれで失礼するわ。でも1つだけお土産を置いていくわ。この世はね、模倣で溢れているの。愛、友情、家族、地位、、」
あかりは辺りを見回す。
「それとそうね、そこのIHやヒーターだってそう。今はなんでも模倣で造り上げることができてしまうの。私はそれを幼い時から経験した。何が本物で何が模倣かももう分からない。今だってそれに悩まされて毎日を生きているの。それなのにあなた達を見ていると、家族だの親友だの、空虚で実体のない言葉を平気で信じているでしょう。本当にイライラするの。はあ、こんな所にいたら身体中が痒くなってくるわ。あなたも猫にばっかり気を取られるんじゃなくて、少しは視野を広げて生きたらどうなの。」

(バタン!)
あかりは吐き捨てるように言うと、突っ立っている藤原に目をやることなく勢いよく扉を閉めた。閉める直前に、一瞬ネコ助を見たような気がした。
 藤原は3分間ほどその場から動けなかった。今起きた10分ほどの出来事が、10秒に濃縮して何回も頭の中で再生される。一度整理しようと藤原はリビングに座り、煙草を1本取り出した。1本では気分は何も変わらなかった。何度も何度も紫煙を燻らした。上に昇っていく煙が、溜息とストレスを模倣しているように感じた。
 隣を見ると確かにネコ助は存在していて、窓の外では雪がチラチラと舞い始めた。刺すように冷たい風が隙間から入り込んできた。藤原はヒーターの電源を付けた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?