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【小説】蓋

3年1組の田代は、クラスの中心メンバーからいじめを受けている。
彼は今日も朝から、画鋲を上靴に入れられ、机にはガムを大量に付けられ、投稿するや否や彼の弁当をゴミ箱へ捨てられた。
こんな生活もかれこれ6ヶ月を迎えようとしている。初めの頃は田代も必死に抵抗していた。担任の先生に相談したり、部活の先生に相談したり、SNSに訴えかけたりもした。あらゆる手段を使ったが、その全てが空しく散っていった。全員が他人事のような対応だった。SNSに至っては、田代の訴えを面白がり、誹謗中傷を助長する者さえいた。それからは、田代にとっては全てが敵に思えた。だから今は誰にも相談しなくなり、それと共に感情も殺すようになった。今は何をされても特に感情が動くことはない。恨めしい気持ちさえもう湧かない。

(ガタッ!)
「あっ、ごめん田代、ちゃんと前見て歩いてなかったわ〜。お前の机に油性インクぶち撒けちまった。」

田代の席にいじめの中心メンバー、河野がやって来た。隣には中心メンバーの江崎もいる。河野は机にぶつかると同時に手に持っていた油性インクを机に撒いた。言わずもがな、机にぶつかったのはわざとである。このように、田代は休み時間に静かに読書をすることさえ許されない。

「おい、こいつ最近反応悪くね?面白くねえんだけど。」
「それは俺も思ってた。慣れたんじゃねえの?ほら、クスリと一緒だよ。だんだん強くしていかないと効果がない。」
「あーそう言うことか。じゃ、そろそろ殺しちゃう?ハハハ」

田代の前で聞こえるように大きな声で2人は話す。その声は教室中に響いている。しかし、クラスの誰もが聞こえないふりをする。面倒ごとには関わりたくない。そんな見て見ぬ振りをするクラスメイトだって、田代にとっては敵である。
こうしていつも通りの日々が今日も終わり、田代が教室を出ると、1人の生徒が田代を待ち伏せていた。

「田代君?だよな。ちょっと喫茶店行かない?」

話しかけて来たのは隣のクラスの委員長、山下だった。田代とは何の関わりもなかったため、田代は少し戸惑った。隣のクラスにまでいじめが浸透し始めたのかとも考えた。しかし見たところ謙虚そうで悪い人ではないと感じたため、渋々了承し2人で喫茶店に向かった。

「隣のクラスの奴が首を突っ込むのはお節介かもしれないけどさ、ちょっと見ていられなくて。でも関わりが無い方がかえって話しやすいかもと思ってさ。いつからあんなことが始まったの?」

テーブル席で向かいに座った山下は、頼んだカフェオレに見向きもせず、こちらを真っ直ぐ見て質問を投げかけてくる。

「、、、ありがとう。始まったのは半年前ぐらいかな。今はもう怒りの感情すら湧かないよ。」

山下とは対照的に、田代は手元のアップルジュースに向けて話しかける。未だに警戒心は拭いきれていない様子である。

「中心になってる奴、河野だっけ、許せないよな。クズだよ。実はおれ、今日あいつに忠告したんだ。次田代に何かしたら大事にするって。だからまた何かあったらおれに言ってくれ。」

何故隣のクラスの生徒がここまでしてくれるのか田代には皆目見当もつかなかったが、気にかけてくれるというだけで、堪らなく嬉しい気持ちになった。蓋をしていた感情が空いた、そんな気がした。

「あっ、それか今度2人で河野ぶっ飛ばしに行く?2人がかりだったらあの巨体でも倒れるんじゃない?おれこう見えて空手やってたんだぜ。」

そう言うと山下は空手の型を上半身だけで見せた。田代は少し微笑んだ。久々に笑った。
それからは、2人で何気ない会話を交わした。趣味の話、プロ野球の話、修学旅行の話、そんな何気ない会話の全てが新鮮で、半年ぶりに田代の中で時間が進んだ。

「そしたらあいつさぁ、、、、あれ、田代どうした?体調悪い?」
「、、、いや、何でもない。ありがとう、本当にありがとう。」

田代は涙を流していた。下を向き、大粒の涙をテーブルにこぼした。そんな田代を山下はじっと見つめた。

(パシャッ)

突然田代の前からシャッター音が鳴った。田代は驚き目の前を見ると、山下は携帯を手に持ち、嘲笑うような表情を田代に向けている。
シャッター音が鳴ると、喫茶店の奥からいじめの中心メンバーがぞろぞろと4人やってきた。先頭には、河野がいた。

「あっ、河野くん。いい顔撮れたよ〜。ほら見て。」

山下は河野に携帯を渡す。

「おい、それはいいけどお前、俺のことボロカスに言い過ぎだろ。お前後で1発殴らせろよ。」
「はは、ごめんごめん。でもその方がリアルじゃん。迫真の演技だったでしょ?」

2人は笑い合う。そして山下は席を立ち、唖然としている田代へ顔を向けた。

「じゃ、そういうことだから。そろそろ行くわ、またね。あっ、お会計よろしく。」

そう言うと、中心メンバーの輪に入り店を後にした。

田代は一瞬の出来事にショックを隠せず、灰を被ったように顔を曇らせた。次第に先ほどの涙とは別の涙が流れ始めた。唇を思い切り噛み締め、歯と唇の間から血が滲み出した。

数週間後、田代は死んだ。

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